sugroupの考察したがりマンブログ

すぐに忘れてしまうから書いて覚える。

この映画なんでダメなのか。映画『すべての終わり』レビュー・批評

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ネタバレでございます。

 

 

 

Netflixオリジナルフィルムとして7月13日に公開された『すべての終わり』。『ダイバージェント』のテオ・ジェームズやフォレスト・ウィテカーが出演、製作・製作総指揮には『デッドプール2』や『アトミック・ブロンド』のケリー・マコーミック、『アトミック・ブロンド』のニック・メイヤー、『その女諜報員 アレックス』のタイ・ダンカン、ポール・シフなど、編集には『IT イット』や『華麗なるギャツビー』からジェイソン・バランタインが参加している。

 

と、面々を見ると中々な良作が生まれそうであるが、実際に見てみると最悪の一言だ。

というかこの映画、企画は2011年に立ち上がっており随分と長い期間を経て公開に至っている。実はこの映画の脚本は2010年に“ブラックリスト”入りしていた脚本だったのだ。非常に優れた脚本なのに、中々映画化されなかったり企画が頓挫したりと眠ったままの脚本はハリウッドでブラックリストと呼ばれ、映画化が非常に難しい作品が多い。このブラックリストから映画化まで漕ぎ着けた作品は多く賞を受賞しており、ブラックリストに挑む製作陣という視点も見所の一つである。『スラムドッグ$ミリオネア』『ソーシャル・ネットワーク』『セッション』『レヴェナント:蘇りし者』『スポット・ライト 世紀のスクープ』などもブラックリストからの映画化で、特に映画不可能と言われた大傑作『プリズナーズ』もブラックリスト入りしていた脚本だ。

『すべての終わり』がこんなにも長い期間を経て世に出たのも頷けるが、この長い期間というのは非常に危険である。

マンチェスター・バイ・ザ・シー』のケネス・ロナーガンは前作の『マーガレット』で、2005年に撮影終了したにも関わらず、製作陣側と折り合いがつかずに6年間も編集を重ね最終的には何が正解かわからなくなり意味のわからない作品と酷評されたのは有名なエピソードだ。彼はその時の自分を“間違っていた”と猛省したらしく、『マンチェスター・バイ・ザ・シー』という傑作を生むのだが『すべの終わり』にも同じような匂いを感じざるを得ない。

脚本のリライトなのか、度重なる編集か。意味の無いシーン、無駄になったプロット、中途半端な登場人物のオンパレードだ。

 

映画の基本的セオリー“三幕構成”の二幕入る箇所は、おおむね全体の1/3程度で上映から30〜40分くらいの場合が多い。一幕で主人公の紹介や設定、時代背景、状況説明などを終えた後に非日常に突入する所からが第二幕である。この第二幕の入ったくらいで初めて登場する人物は物語上、重要なキーマンとなるのだが、本作の場合は女の子のリッキーだ。

リッキーはこの腐敗した街から逃げ出したい、対してウィルとトムは車の整備が出来る人材を必要としている。利害が一致し長い旅路を共にするのだから当然ここにドラマが求められるはずだが、リッキーは突然発狂し姿を消すと、なんとそれ以降登場しない。いったい彼女は何のためについてきたのか。

まず“世界終末化した状況からの脱出・解明”がメインプロットになるわけだが、サブプロットとしてウィルとトムの関係性のドラマがある。

例えばリッキーの存在が二人の関係を好転させるきっかけとなったり、二人がそれぞれに抱いていることの聞き出し役としても機能するであろう。それでなくても、ウィルとトムとの関わりによって成長したリッキーが終盤に登場して二人の手助けとなれば、少しは腑に落ちる。あんな風に全く使い物にならないし可愛くも無い女の子が、そのまま消えるだけなんてどうかしてる。

 

目玉の配役、フォレスト・ウィテカーだが、早すぎる。何が早いか。トムというキャラクターから、ただのフォレスト・ウィテカーになるまでだ。冒頭、トムが見せた娘彼氏ウィルへの厳しい態度はどこへ行ったのかと思うほど、普通にあれはフォレスト・ウィテカーだ。中の人が画面にいるだけだ。ウィルも早々に『いくぞ相棒!』みたいなテンションだから、サブプロットのドラマが崩壊。

おまけに、リッキーの失踪、トムの死、数々の困難を乗り越えてきたのにウィルの成熟度は変化しない。

なにより『クローバーフィールド』のように断片的に聞こえるラジオ放送などで混乱した状況で覆い被せ、真実にナビゲートしようとしているに何故かウィルはこれに関わろうとしないのだ。

例えばゾンビ映画は、ゾンビ化した“根本的な理由”に意味がない。終末化した世界の中での人間ドラマをメタファーとして描くからだ。だから根本的な解決は必要ない。

ただこの映画は終末化したところでコミュニティを作るのではなく、クロスカントリーロードムービーとなっている。つまりどこへたどり着くか。すなわち、たどり着いた先にどんな答えがあるか、が重要になるのだ。

ウィルは断片的な情報、目の前にある状況から世界に何が起きているか追い求めるべきなのに、どうして傍観ばかりしているのだと、嘆かずにはいられない。

ウィルの職業弁護士に意味も無く、その弁護士の唐突なドライビングテクニックや、元海兵隊とはいえ肋骨が折れ肺に穴を開け、挙句ギャンギャン走り回る車からの超高難易度な射撃を成功させるトムにも頭があがらないが、困難を乗り越えてたどり着くポーラ(ウィルの婚約者)のもとで起きるラストも本当に意味不明だ。

ご近所さんと呼ぶ男の家でかくまってもらっていたみたいだが、この男の中途半端すぎるサイコキャラは何だったのか。

それよりも映画も残り15分程度といったところで、突然の新キャラだ。意味ありげにポーラへの好意を感じさせたり、ウィルへの敵対心を見せたり、陰謀説を唱えたり、ウィルの車を物色していたり。さらには“森に子供がいる”というウォーキングデッドのシーズン2を見ているかのような安い誘い出しで案の定、ご近所さんはウィル殺害を試みるが、ウェスタン弁護士仕込みの早撃ちに合いあっけなく死亡する。この人物が何者だったのか、ポーラと何かあったのかは明かされることなく、そそくさとウィルの敏感なアンテナが世界の異変を感じ取り、迷いもなくポーラを連れ出し脱出。凄まじい土ボコリが襲いかかってくるのがわかると映画終了。

 

 

そして、Netflixそっ閉じ。

 

ガソリンを探して先に進むゲーム感、クロスカントリー的なのにキャデラックというギャップ、ガスマスク着用でのマッドマックスなヒーロー感など、面白くなりそうなピースが散らばっているのに、なんとなくで消化していくのが惜しい。

とにかく、傑作になりうる要素があるのに、ことごとくハズしてくる。予告編と内容が全く変わらない、言うなれば長編予告編である。

監督自身も本当に納得のいく結果だったのか疑わしい。

なんにせよ、大概こういう結果の次に撮った映画は、頗る面白くなって賞レースに絡んだりするから次作を楽しみに待っている!