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崎山蒼志/五月雨《誰かが言葉にできずにいること》レビュー・考察・

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芸術家は弱い。敏感に反応し、人が感じないことを感じ、ごく普通のことが苦痛だと感じたり、傷つきやすい。これらが慢性的だ。そうした弱さは理性の及ばぬ領域にある。これは本能的で、言語という知的能力を失い、なんとも言い難く言葉にできずにもがく。

芸術家はこれを精神表現、芸術とする。芸術表現の術を持たぬ人、あるいは芸として精神表現するに至らない、いわるゆ普通の人が偶発的に<自らの弱さの居所を探す>とき、それを正確に表現する芸術に出会えると、人は救われる。人は第一に極めて個人的なことを芸術に期待している。芸術家たる所以は、弱さの表現であり、それがどれだけ普遍的で個人的かに尽きる。

 

崎山蒼志が、16歳でどれだけ人生経験を積んでいるかは重要では無い。彼の身の回りの出来事、社会、自分の心に、敏感であるか?ということだ。彼の人生の中で起きた小さな出来事は個人的なことだが、自らの心が卒倒するような弱さの根源を、彼は普遍的かつ的確に表現する。

『五月雨』の歌詞の「あなた」は、崎山蒼志にとっての「あなた」ではない。彼が詩う、「意味のない<僕ら>」、にとっての「あなた」である。

年齢も経験も歌唱力も見た目も、なにもかも吹き飛ばして多くの人の心を掴む彼の音楽は、「僕ら」が言葉にできずにいる心の情況そのものであり、崎山蒼志は歌手でもシンガーソングライターでもなく、芸術家なのである。