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500日のサマー/彼女は小悪魔じゃない 考察・批評・レビュー

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映画が本当に好きなんです、と言っても、いつになっても手をつけてない名作映画が沢山あって、“え?観てないの?”みたいな劣等感に駆られながらもその映画を観るタイミングは出来る限りナチュラルに訪れるほうが自分にとっていい映画になるはず。観たい時にふと、観たいものを観ると、実生活とどこかリンクし易くて自分の迷いや不安にヒントをくれる。何かに強いられず出会うのがいい映画生活だと思ったりする。

 

もう10年近く前の映画になる『500日のサマー』。ジョセフ・ゴードン=レヴィットの主演する映画で観てなかったのはこの映画だけで、今になって10年前のジョセフ・ゴードン=レヴィット観ると、撫で肩で草食系な出で立ちに少し違和感があったりして。『素直になれなくて(2010/フジテレビ系)』の、俳優ー瑛太を思い出したりした。当時はすごい草食系ブームだったのも同時に思い出す。

 

さて、映画の話。

iTunesのダウンロード配信で観た。f:id:sugroup:20181119213909j:image

iTunesの映画詳細には“時間軸を錯綜する複雑な構成ながら”とあったが、時間軸が変わる前には必ず『◯◯◯日目』と表示が出るから、額縁の角度で時間軸を予測しなければいけない『裏切りのサーカス』に比べたらベリーイージー

そんなことよりもヒロインのサマーがリアルすぎるでしょう。

サマーを観て、「小悪魔だな」なんて言っている男がいたらそいつは本当に鈍感で受け身で単純な男だと思う。

女の子にとって、自分のことを好きな人がいて、だけどこっちは好きじゃない、でも生理的に受け付けないわけじゃないしLIKEではある。それなら仲良くしたいに決まってる。そんなふうに女性として自信を保たせてくれるような人を拒む理由も無い。故に、LIKEな関係が続けば続くほど永遠に平行線なLIKEな関係。

でも男はどんどん熱を上げすぎてあらゆるLIKEの要素の中にLOVEを探し続けてしまう。なんでなの?どうしてなの?の繰り返し。

気づいたら女の子はサラッと恋人が出来たりして男は絶望の淵。「でも、こんなこともあって、あんなこともあって」って誰かに相談しても「それもLIKEのうちだよ」って納得できない答えを乗り越えられない。サマーのように大胆にキスしたりセックスしたりがLIKEのうちなのかは人それぞれ違うけれど、いや、LIKEとLOVEと境界線というのは本当に複雑なんでしょう。男はそれをシンプルに考えすぎなのである。

あんなに思わせぶりしてしてきたのに叶わない。彼女は小悪魔だ。違う。彼女は仲良くしたかっただけ。自分のことを好きだとわかっている相手に恐怖心なんて無いし、嫌われることもない。「私のこと好き?」みたいな質問もできるし、大胆に触れ合ってみたりもできる。だってLIKEだから。

そんな風に自分にゾッコンの男の子から女性として思われる時間は楽しいはずだし、自信にも繋がって悪気があるわけじゃない、ただ仲良くしているだけ。

もっとゆっくり、慎重に、タイミングを見て嫌われないように接して、照れたり緊張したりするとしたら、それは本当に好きな人だから。トムが知らないサマーの顔なわけですよね。

 

こんなふうな関係、今も世の中のそこらじゅうにあるでしょう。男女問題の根本は何年経っても色褪せない。いままさに渦中にいるそんな人が『500日のサマー』を見てみたら、あの子が好きそうな髪型も服装も少しだけ自分らしく戻してみて、トムがオータムに出会ったように、前に進めるのでは?

 

っておもいました。