スグループ

モノとポップカルチャー、それっぽく言ったりたまに爆ディス

ザ・サイレンス 闇のハンター ボロクソに酷評・レビュー・批評・考察

「ザサイレンス闇のハンター」の画像検索結果

 

『DON'T MAKE NOISE』ということで「ドント・ブリーズ」、「クワイエット・プレイス」、「バードボックス」などの『◯◯しちゃダメ』系のドントムービーとでも言えばいいか、それ系に分類されるB級クソ映画です。

 

最近のドント系映画は、一時期流行った死から逃れられない系ファイナルシリーズみたいに量産されているけど、あっちはあっちでポップコーン食べながら「どんな死に方するの!?え!?ありえねー!」って笑って観ていられるのが楽しいからよかった。もともとサイコキラー的な楽しみ方で例えば『13日の金曜日』は毎回若者グループが別荘にキャンプに行くみたいな話だけど、過程よりもどんな死に方するかを楽しむ映画ってのは話の本筋もキャラクターもしっかり描かれない方が観てる側も辛くならず楽しめる。逆に『ウォーキング・デッド』みたいにキャラクターをしっかり描けば描くほど殺されるのが辛くなるってのをわざとやる場合もあるわけで。

 

だから同じような手法が流行って似たような映画が量産されてもファイナルシリーズは「殺され方のエンターテイメント」が面白ければそれ以上でも以下でもないのでOK。でもこのドント系だと◯◯しちゃダメっていうそこだけじゃ展開が回らなくなり、一つ二つなにかを加えてとりあえず映画って言えるところまで持ってきました、みたいな完成度に落ちてしまっているパターンがあって今作はクソ映画。

 

とにかくこれだけは言いたい。カルト集団が本当にゴミ。具体的にどんなカルトなのか、どれくらいの勢力があり、何が目的なんか一切はっきりせず、5、6人が家に訪れてくるくらいで口の中がなんかキモいくらいしかない。女の子を渡せって言ってたけど、つまり終末化した世界で子供も産ませるため?そんなことより、あんたら何が目的なのよって感じだ。そのへんの胡散臭いチンピラが思いつきでやりました感が否めないルックスと芯の無さである。そう、君たちカルト集団がうだうだしててはっきりしないから話の本筋がブレる。あの気持ち悪い鳥、ベスプが世界を滅ぼすくらいの勢いで活動しているっていうののに1時間半の映画で、1時間弱頃に突然出てきてグダグダ意味不明のポーズで突っ立ってたり、アポなし訪問して意味不明の要求をしてきて。アイツらに恐怖やサイコな要素は感じられず、とにかく映画の邪魔をするな!という気分である。電車で乗り合わせた頭おかしいやつと同じくらいのウザったさを感じた。

例えば、彼らがベスプに感知されない耐性を持っていたり、あるいはベスプに関連する何者かなのであれば話は変わってくる。こちら側の敵ではあるが、生き延びるための情報でもありメインプロットと繋がりがある。口の中グルゥゥゥって鳴らしてたからそんな流れかなと思ったが何も説明されず。

 

前後するが、冒頭に連れ出した犬がうざったい。なぜだろう。動物や小さい子供がそれやったらだめだから!っていうのをどんどん遂行していく系のハラハラするようなシーンってのはパニック映画等の見所の一つだし、映画COP CAR/コップ・カーの子供だけという閉鎖的な状況で、よく理解せずやってはいけないことをバンバンやるから「それやっちゃだめ!あー言わんこっちゃない」ってハラハラは楽しめる。

こっちの犬はなぜかものすごくうざったい。

それもそのはず、あの犬車から出されるまでにほとんど劇中に登場してない。だから愛着が無い。1シーンでも主人公の女の子と散歩するシーンでもあれば変わったろうに、ガスステーションでワンワン吠えてたくらいしか登場しないからファミリー感がまるでない。だからただうるさいだけの犬である。電車の赤子もそう。うるさい。他人の子供だからである。音立てたら危険な時にギャーギャーわめかれたら、赤ちゃんってことは重々承知の上でうるさいし排除したい。犬もそれと同じ描写の域を出ず、うるさいぶん殴りたい。

 

グレンって呼ばれてた親友の男性も20分くらいで退場。もうなんだかなぁ。そこで自損事故で死ぬなら登場させた意味あったのか。鹿が飛び出してまさかの崖から落ちるっていう鈍臭いハンドル捌きで横転した挙句、足が挟まって動けない。俺はいいから先に行け?そんな切羽詰まった状況かね。その結果ベスプに襲われ、どうにでもなれで銃バンバン売ってゾンビ映画の鉄板の展開。腕っ節が強くてサバイバルに強そうで、ブルーカラー感強い叔父が大活躍する展開を期待してたんだけど。

 

スタンリーはカルト集団のボスを倒れたあとも殴りまくるけど、急なサイコ感というかあの瞬間ふっと頭に『ウォーキング・デッド』のリックが浮かんできちゃって影響されちゃったみたいな脈絡の無さ。

 

そしてラスト。カルト集団とのどうでもいい戦いを制したあとトボトボ家に入ろうとしたところで、寒そうな地域に避難しました!って話がジャンプし「ベスプは寒さに弱い。適応して進化しないだろうか。私はした。」みたいなもうほんっとこっちが寒くなるようなナレーションで急に話まとめようとしてきてイラつく。それっぽいエンディング足したってごまかされねえよ。だいたい結局車移動なんかいって突っ込みたい。テスラで移動してたら割と筋通るのに。

 

ほんとはっきりしてほしい。ベスプはあくまでも世界終末化させるためだけのもので、それ自体に大きな意味を持たせないならゾンビ映画と一緒で、根本的な解決はせず、そういった世界の中でどんな問題に立ち向かうかを描くべきである。その問題は我々の世界と地続きになっていて、現代社会のメタファーであると。おそらくゾンビ映画の中で人間通しの対立が起きるように、カルト集団を出したんだろうが、彼らが何を表しているかは意味不明。

それともベスプに犯された世界を立ち直す、つまり根本的な解決を目的とするのであれば、主人公サイドはベスプ問題の中心にいる人物でなければうまく成り立たない。洞窟関連の研究者だとか政府機関だとか。

でこの映画は手話ができるから私たちは生き残れる、みたいな特別条件を持ったグループとするも、結構しゃべってるし手話でなくても筆談で生き残ってる奴がいるし、耳が聞こえないという設定にちゃんと説得力ありました?

で邦題でつけられた『闇のハンター』ってなによ?カルト集団が女の子を欲しがっていること?実はアイツら老若男女構わずさらって男はベスプの卵を育てる用、女の子は子供産ませるため?そんな深読みするかよ。それともベスプが目が退化して見えないから?いやベスプってハンターなのかね、人間食べてるだけじゃない。

製作陣の中で変な男女関係のもつれが生じてうまく仕事が捗らなかったんじゃないかと思うくらいの映画である。