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Netflix ザ・ホワイトタイガー 批評 インド社会問題・カースト・資本主義レビュー感想

ザ・ホワイトタイガー(The White Tiger/2021)

 

ラミン・バーラニ監督とえば数々の貧困、資本主義、社会問題などを題材に高い評価を得てきた監督であり、大味の娯楽映画とは反対側の監督である。

Netflix:ホワイトタイガーのプロモーションムービーはエンタメ的で、ライトな客層も躊躇わず再生できるような印象だけに、ラミン・バーラニという名前がここで現れるのは違和感があったが、しっかりと問題定義の含まれた、バーラニらしい作品に仕上がっていた。

 

物語は貧しい村から脱却し、現代のインドで成功する起業家の主人公を暗く、かつユーモラスに叙事詩的な成り上がりを描いてる。特徴的なのは主人公のバルラムによるナレーションだ。まるでドキュメンタリーのようにインドの社会問題について語りながら物語が進展していく。

今回は定義されている問題を整理しながら映画を読み解いていく。

 

超資本主義と社会主義の矛盾

インドは憲法社会主義と掲げ続けているが、実質、資本主義を志向した混合経済となっている。放置される資本主義の“やったもん勝ち”は、貧困・失業・労働問題などの多くの社会問題が弊害として生まれる。この問題の象徴的なシーンは偉大なる社会主義者と称される州首相のマダムが雇い主のもとに訪れ「税金を払わずに国の炭鉱から石炭を掘れるのは、私のおかげよ。このまま税金を払わないなら私に250万ルピーを払いなさい」と横暴な態度で求めるシーン。日本円で約370万円、インドの大学初任給は5万円である。

社会主義個人主義的な資本主義の弊害に反対し、より平等で公正な社会を目指す思想、運動、体制を指し、貧困層が指示する象徴的な偉大な社会主義者が私利私欲で活動している姿は、野心を掻き立てる大きな出来事であった。

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複雑なカースト制度

インドは未だにカースト制度の残る稀有な国家だ。その歴史は3500年も遡らなければならず、気の遠くなるよなタイムスパンがインドにおけるカースト制度の特徴である。それ故に問題は根深く、実態を捉えるのは難しい。しかしながら、インドが近代化を迎えるにあたり最も大きな問題でもある。

宗教的、人種的、職業的な起因で複雑に関係、影響しつつ今日のカースト制度は一般的に4段階に分けられると言われている。またこれは世襲的であり生まれた後に変えることはできない。低い身分に生まれれば、生まれた瞬間からその運命(社会原理)からは逃れられない。しかし、劇中ではナレーションでこう語られる。

『インドが最も繁栄していた頃は1000のカーストがあった。今では2つだけ。腹が膨れているか、へこんでいるか』これは、カースト制度以上に、貧困格差は強く分断されているということだ。このシーンはバルハムが運転手としてテストされる車内のシーンだが、もう一つ重要な会話が含まれている。

ボスのコウノトリはバルハムにカーストは?うちの使用人は上位カーストだ」カーストの確認をする。対して、英語を話すアショクは「なぜカーストが重要なんだ?」と疑問を投げかける。多様な考えを持つ側と、カースト制度が染み付いている側の対比は、インドに生まれた側と観客の構造である。カーストがなぜ重要か、双方ともその問いを言語化して答えることはしない。その状態こそが、カースト制度を生まれた瞬間から受け入れていることの複雑さなのだろう。

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ニワトリの檻

冒頭で檻の中のニワトリが強調して描かれる。ナレーションで「インド1万年の歴史で最も素晴らしい発明はニワトリの檻」とバルハムは語る。これは資本主義の象徴して強く強調される。

選べない身分と、逃れようとしない忠誠心。逃れるよりも従順であることが当然の身分という思考はなかなか日本人には本質を捉えるのは難しい。しかしながら、“檻”という普遍的な表現は、この日本において社会生活する上でも地続きの問題定義といして解釈できないか、とも考えずにはいられない。

カースト上位の生活を目の当たりにしていく中で、カースト制度という抑圧されたシステムを批判し、極端な手段で脱するに十分な動機は、轢き逃げ事故のスケープゴートという大きな出来事よりも、こうした日々の蓄積の上に起きた必然的なものだったのだろう。その大きなキーワードは腐敗である。

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少数派ムスリム

1980年代以降、多数派のヒンドゥーと少数派のムスリムの対立構造が問題となっている。1947年に、ヒンドゥーイスラームの宗教の対立から分離独立が起きことがきっかけであるが、その後も様々な、対立的な言説流布などが行われ、その溝は深い。カースト制度と並び、宗教信仰上の違いもまた、レイヤー化されながら人々が分断される要因なのである。

劇中ではこの問題にも成り上がりのための手法として触れる。20年仕えた先輩運転手は名前も信仰も偽り働いていた。彼はムスリムだったのだ。そのことをネタに彼は解雇される。彼がムスリムであったからなのか、嘘をついていたからなのか、表面的な理由よりも、ムスリムが重要なキーワードとされる。

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白人の時代は終わる。今世紀は黄色と茶色い人の時代だ。

物語のラストでバルハムはこう語る。バルハムが起業に走ってからエンドロールまで7分ほどしかない。成り上がりの最終形態は、この映画の問題定義の本筋とは、少し飛躍しすぎている。ただ、エンターテイメントしてのエディング、及び今後の未来地図としてある程度提示すべき事項でもあり、無論、駆け足なエンディングである。

1980年代に8割だったアメリカの白人の割合は、現在60%である。今後30年以内に白人は半数を切り、マイノリティへとなっていく。比べて中国の経済成長や、民主主義の崩壊など、20世紀の構造のまま22世紀は絶対に迎えられない。バルハムはカースト制から脱却することで成功を手にした。インドの社会問題を取り扱う上で、象徴的な問題からの脱却である。しかし最後のセリフは、非常に広域な提唱として捉えることができる。

現在GAFAなどのグローバル企業を筆頭に、日本企業も海外に仕事を委託するというのが一般化している。それは、工場生産などの話ではなく、IT分野における委託である。少なくとも1990年代までは内側と外側という構造で企業は成り立ってきた。経営する側と生産する労働者側である。植民地時代から続くように、外に労働と需要を作り、内側でお金を回すと言う構造だ。しかしインターネットテクノロジーにより、この境界線がなくなっているのが現代である。これから、人々は場で仕事をする。場とはプラットフォームである。アプリ開発ならappストア、音楽ならSpotifyApple Musicのように、多国籍企業の土壌の上で仕事する。インドでも中国でも日本でもここに参加できる。こうしたIT分野で仕事をする人たちが政治家よりも年収が高いというのが現代である。インドや中国のメンバーでスタートアップされた多国籍企業が大きなプラットフォームを作るかもしれない。こういった可能性を、最後のメッセージとして締めている。

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