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Netflix『DON'T LOOK UP』レビュー・解説・考察・批評・ネタバレ(ドント・ルック・アップ)

共同脚本家/監督アダム・マッケイの、まだ乾ききっていない傷に触れるような現代のディストピアに、ブラックコメディを展開させた『DON'T LOOK UP』。気候変動・新型コロナウイルス、そして政治と分断——

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気候変動とCOVID(新型コロナウイルス)両方のメタファー

 

2019年11月8日、パラマウント・ピクチャーズより本作を配給されることが発表された。アダム・マッケイが脚本・監督・制作を担当することが決まり、翌年2020年2月19日にはNetflixパラマウント社から本作を買い取った。

 コロナ前に企画された本作は、気候変動トランプ政権時の分断を深めた4年間をメタファーとしてブラックコメディに描くものだった。公開を待たずにパンデミックが起きたことで、図らずも新型コロナウイルスによって混乱した世界の人々が、どれほど順応性があり気が散りやすく二極化し、そして自分自身の生活に夢中になっているかについて暗喩することとなる。

 結局のところ気候変動とは、地球上のすべての人が即座に差し迫った危機に陥るものではなく、現在進行形の災害である。

50年後にはそれが全人類に差し迫った危機になっているかもしれないが、彗星の衝突ほど緊急な危機として表現するには時が早い。しかし、図らずして起こった新型コロナウイルスによるパンデミックは、全人類に危機をもたらしていて、未だに乾ききっていない傷口に触れるかのような社会風刺になっている。無論、現実社会の感染症パンデミックという要素が、この映画の注力を分散させてしまった要因にもなっているのだ。

空を見上げるな、空を見上げろ

 分断が起きる原因を考えてみる。国家が分断された例を挙げるとドイツ・ベトナム朝鮮半島などがある。共通するのは、そもそも分断したのではなく占領国によって“分断させられた”のである。過去に植民地であったか戦争で負けたことが原因だ。もともとの原因から目を逸らすため国同士や国民同士を反目させ合い意図的に分断を起こし統治しやすくする。これらは分割統治・分断統治と呼ばれ、反対勢力の力をそぐために行われたことが始まりである。つまり分断とは自然発生的ではなく意図的に起こされるもので、それが歴史である。

 もっとわかりやすく言えば、ある団体や組織の力を奪うため、一部の友好的なグループを優遇し特権を与え、反抗的なグループには懲罰的な対応を続けることで双方間の連帯を断ち切り格差や階級を作る。一方には優越感を、一方には自己評価を下げさせ、これらは巧妙に行われる。そしてその背後に必ず利益を得る組織が存在している。

 話を戻す。本作において、なされた分断は、「彗星は資源である」と「彗星によって人類は滅亡してしまう」の二極化だ。これだけ見ると後者の方が圧倒的に陰謀論的で懐疑的にとられてしまう。

視聴者は『彗星を発見し計算を行うと地球に衝突する』という事実を冒頭で見せられているから、BASH社によるベース計画、現実と向き合わずアーティストの破局報道や公開プロポーズに一喜一憂している国民が間抜けに見えるのだ。

 さらにメリル・ストリープが演じるいかにもトランプ的な大統領を中心に行われる分断化は巧妙である。

 レオナルド・ディカプリオ演じるミンディ博士は、最初のテレビ出演で“セクシーな博士”と好評を受けると、その気になりはじめたら止まらず数々のテレビ・CM出演を繰り返し、逢瀬を重ねれば髪型や身嗜みが徐々に高品質になり、さらには命じられた首席科学顧問を引き受ける。人類に警告するために表舞台に立ったはずの人間が、分断化を利用する政治の鉄砲玉として利用されてしまうのだ。いつのまにか“彼が何かを言ってくれれば私たちは安心する”SNSによって偶像化されていくのだ。

 トランプが、“漂白剤がCOVID-19の奇跡の治療薬である”と失言した際にもそばに立っていた新型コロナウイルス対策の政府調整官デボラ・バークス医師は、まさにそれである。思えば日本にはそのような偶像化された人物がいただろうか?心当たりがある人も多いはずだ。

 そして、その背後に利益を受け取るのは誰か?本作ではBASH社と政府である。明らかにMeta社(旧Facebook)のマーク・ザッカーバーグをモデルにしたマーク・ライアンス演じるピーター・イッシャーウェルCEOは数兆ドル相当の貴重な資源があると信じており、それらを利益化する利権を得るため介入してくる。

 

豪華キャストが意味するもの

明らかに気候変動とトランプ批判が込められたキャスティングである。レオナルド・ディカプリオは気候変動や環境保護に強い関心を寄せていることで有名であり、トランプ前大統領がパリ協定離脱を表明した衝撃的なニュースには猛反発をしていた。アリアナ・グランデもトランプ批判で有名、メリル・ストリープに至ってはゴールデングローブ賞の受賞スピーチで痛烈にトランプ前大統領を批判し大きなニュースになっており、その本人がトランプ的な大統領を演じるとは何ともコメディである。

 この映画に出演する彼らによって過去積み上げられたオスカーは一体何十にのぼるだろう。残念ながら、それほどまでの豪華キャストをうまく消費する術はなかったようだ。一番の問題は、機能するかどうか十分に考慮されていない社会的論評を詰め込みすぎていることだ。パンデミックが起きたことは想定外で、現実のディストピアにある程度沿うようなアイディアが詰め込まれながら出来上がったことが予測できる。

 SNSによって偶像化されていく人物、科学が非常に多くの人から簡単に却下されてしまうこと、災害の危機が党派的な問題に展開していくこと、分断化がもたらすデモや暴動、利益は全体の99%よりも一部の利権者や億万長者に優先されていくこと、スキャンダルが自分の政治的立場を脅かすとき愛国的な光景をバックグラウンドに危機を悪用する。そしてそれが目に見えて自分に向かってくる危機だとしても、それがデマであると考える人もいる。そうした混乱の中でも自分の携帯電話に夢中になり、真剣に考えない人もいる。

 これほど多くの社会的問題、さらにこれらは現実世界で今もなお起きていることである。メタファーがメタファーにならない。詰め込みすぎて消化されない社会的論評をいくら豪華キャストで固めたところで、返ってチープなパロディになってしまうのだ。

 

最後に

エンディングでは、一部の高所得者や権力者たちが地球から脱出し冷凍保存から目覚めた瞬間に動物に襲われるという、非常に滑稽で、まるで食い散らかした残飯を片付けるかのようなラストで終わる。

この映画では本当に社会的論評が行われていたか。行う義務はないが、いい映画の条件である。いくつもの問題提議の中で散らかったままの問題はあれど、「人物の偶像化による分断と世論操作」という点においては、現代社会批判として表現されていた。