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『サンクチュアリ-聖域-』考察・ネタバレ・レビュー・解説

おそらく、多くの若い世代にとって謎に包まれている日本の伝統的なスポーツ、大相撲。子供の頃から身近であるようで、裏舞台をあまり知ってはいない。何か厳しい指導があったり、強固な上下関係や破ってはいけない伝統がありそうで、ちゃんこを食べている。そんな漠然としたイメージに、時津風部屋の事件や八百長などもニュースで目にしたことがある。相撲とはなんだろうか?——

サンクチュアリ』の物語のフォーマットは、主人公が身辺の苦難に耐え、過激な特訓を自らに課し、いくども挫折を味わいながら、不屈の闘士と根性で乗り越えていく、まさにスポ根ものだ。言ってしまえば大衆的な味付けで誰にとっても見やすい。テンポよくシリアスと笑いのバランスをうまく取りながら、1話ごとにクリフハンガーを利用し、1日で見切ってしまう人がほとんどだろう。Netflixという媒体は利用者の8割が20代〜40代であり、また世界的プラットフォームでもある。彼らの目に相撲はどう映るだろうか。いずれにせよ、この『サンクチュアリ』によって大相撲を取り巻く“伝統”に最も明るくスポットが当たった出来事だろう。物語が始まって比較的早い段階で帰国子女の国島という女性記者が登場する。彼女は、まさに相撲をあまり知らない観客目線を担っている。稽古の中で起こる暴力性、女性蔑視的な伝統、陰湿ないじめ、これらに拒否反応を示す。実際、相撲を舞台にしてスポ根をやる以上、どうやっても慣習や指導において時代錯誤な描写がついてくる。この物語に相撲の異常性を告発したい意図は無く、むしろ最初にクリアにしておくために国島というキャラクターによってある程度問題視しておくのだ。観客は国島と一緒に相撲界にある暴力性や世界観を受け入れていく。

 

観客にとって登場するキャラクターに愛着が持てるように設計されおり、権力や立場を利用した陰湿な攻撃を行う敵対キャラクターにも因果応報として罰が与えられ、緊張と緩和を繰り返しながら時代錯誤な現場を認められるように制作されている。無論、国島もしばらくすると何も問題視しなくなる。わざと金的を行っても土俵に立てるが、すぐに2度目の出稽古で借りを返す。戦意を喪失した猿桜にとどめを刺した静内にも罰則は無いが、静内の悲惨な幼少期をたっぷりと見せ麻痺させる。記者会見の間にトイレで吐く龍貴は、その家に生まれたことの重圧からは救われないが、妻の弥生が一族から逃げ出せたこと、龍谷親方がいかにもな新興宗教の信者であるような描写があることで、哀れなキャラクターとして消化させている。たしかに“しごき”という名の暴力は日常的に行われている。竹刀を使って指導する親方の姿も、後輩を馬乗りで殴る先輩力士の姿も、今日のTwitterでは炎上して平常運転だが小瀬という主人公が元々暴力的であることでバランスを取っている。

伝統を重んじる大相撲にも権力・金・女がついて回る。力士があまり女性経験がなさそうであることは猿河のユーモアと通して描かれるが、小瀬の色恋メロドラマと若手実業家(というよりYoutuber的だが)との金の付き合いについては一際チープさが目立った。財布を盗まれ、舎弟のような扱いを受ける程度で良かったのかもしれないが、サブプロットとはいえ、もう少し社会問題について考察された至難であるほうが、相撲という独立した世界観のシリアスさには寄り添えるのでは無いかという違和感は否めない。

ともあれ最終話の壮大なクリフハンガーは、続編が検討されていないはずがない。馴染みある相撲の、エンターテインメント的に魅せる裏側とスポ根スタイルで、日本での人気は上昇中だ。一方、海外からは賞賛の声も多いがレビュアーからの評は芳しく無い。おおむね、問題定義への回答やチープさが指摘されている。こういったフィードバックを利用して、より白熱できて成熟した相撲ドラマを制作してほしい。そして、ドラマを通して最も強く受け取ったことは、横綱になることはいかに厳しく険しい道のりかである。ここについては意見が分かれないはずだ。猿桜が横綱として土俵に上がる時、いつかその瞬間を我々が目撃できるまで、製作陣は絶対に人気を衰えさせてはいけない。