sugroupの考察したがりマンブログ

すぐに忘れてしまうから書いて覚える。

枕を簡単に洗えると思うなよ?

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過去最高気温の記録を各地で塗り替えるほど猛烈な酷暑だった。今年の夏の良かったところと言えば、洗濯物がパリッパリに乾くことくらいだ。敷布団や、7月に買ったばかりの枕は、天日干しを頻繁にして、直射日光の力に頼りながらの寝具ライフであったわけだ。

9月上旬、ようやく残暑の影も潜め、雨の日が続いた。開けっ放しにした窓から少し秋の匂いがする風が吹く朝、外をトラックが通り過ぎる音で目が覚めた。今日も雨だ。ここ一週間は雨が続いていて枕の天日干しもできていない。枕は洗濯機で洗えるのだろうか。目覚めたばかり、半ば寝ぼけた状態で枕の洗濯表示マークを見てみる。よくわからないが、ネットで調べると、どうやら洗えるみたいだ。

 

“なんだあ、洗えるんだあ🤪”

 

この時を振り返り今はこう思う。

寝起きと同時に枕を洗濯機に放り投げスタートボタンを押す。はたせるかな、一抹の不安はおおよそ10分後に姿を見せる。あの時、まずは顔を洗い、歯を磨き、朝ごはんを食べ、考えるべきだったんだ。枕は洗濯機で洗えるのか、とーー

 

<すすぎ>の段階で、異変に気がついた。それは洗濯機から出る音として聞いたことのない音。ーーまるで去年の夏の終わり、親友と行く当ての無いドライブの末にたどり着いた、飲み込まれそうで真っ黒な九十九里浜の波が打ち出す轟音、それと似ていた。あの時僕ら二人は、波はこんなに黒いのか、と季節外れで荒れた波を眺め、“飲み込まれそうだ”と呟いたら、肌に纏わりつく潮風に背中を押されるが如く、10分足らずで立ち去ったーー木箱に小豆を入れて動かしたら、波の音がする。それは簡単なギミックだが、フォーリー・アーティストという存在の認知として一役買った。まるで関係性の無い物同士が、アイディア次第で同じような音を鳴らす。耳の職人、卓越した類推能力が成せる技だ。それが、我が家の洗濯機の中で起きているという事実だ。洗濯機の蓋を開ければ、枕の袋は破れ、透明なビーズが雪化粧のように洗濯槽に溢れていた。自分の愚かさに憤慨する余裕もない、針の筵のような気分だ。

 

もうだめだと思ったね、取り除けても、どこか内部のほうへ入ってしまっている分は、どうしようもない。詰まってオシャカさ、不運(ハードラック)と踊(ダンス)っちまったんだよ、と言い聞かせる他なかったよ。自分の行いを恨んでも、保障するのは自分さ、運のせいにしてごまかしたんだーー

 

「洗濯機 枕」と検索ボックスに打ち込むと、まず予備候補に出てくるのは「破裂」「故障」。検索ワードの候補は、検索件数が多いほど上位表示されるはずだし、即ち「方法」「やり方」は調べずに失敗しているようだ。同じ愚か者が世の中に多く存在する。過信による過失で、「やってしまった」と気づいた頃にベストアンサーに縋り付くようだ。論ずる余地もなく、自分も同じ括りである。

Webに覚え書きされた愚か者たちの経験談は実に虚しい。買い換える以外に無いから、至極当然、覚え書きは力の無いボヤキ程度でしかない。

今回、天に召された洗濯機は、4年弱前に購入した。洗濯機の寿命は平均8年と言われている。2018現在、人間の平均寿命は約80歳であることから、例えれば、40歳程度で亡くなった、ということになる。働き盛りで、若すぎる死。

業者に頼んで、洗濯機ごと分解し修理することもできるようだが、3万円程度かかるらしい。そもそも3万円程度の洗濯機だ。治ったとして本当に8年も生きるのか怪しいところ。多額な延命処置を業者にお願いすることは、できなかった。理屈だけで洗いきれない選択は、早々に新しい洗濯機が居座る輝かしい光景にすすがれ、心の排水溝へと脱水されていく。

 

それから2時間後。私は今、家電量販店にいる。洗濯機売り場の近くにある丸いテーブルで、担当のお姉さんと話している。配送の日程や、配送料、運び入れるマンションの動線などの確認だ。

 

「古い洗濯機はどうされますか?」

 

一瞬、その姿が頭に浮かび、その刹那、“古い洗濯機”が新しい洗濯機として運び込まれた4年前のあの日を思い出した。この4年間は自分の人生設計としてもあらゆる選択を迫られた期間だった。毎晩、暗い顔で帰る顔を見上げていたのは、家に入ってすぐの場所に置いてある貴方だった。ほんの数週間前、重要な決断をした私を見届けるかのように潔く去る貴方に、そして新しい洗濯機に

かんぱぁぁーい😜🍻

『この世界の片隅に』が纏う生身の感覚。考察・レビュー

劇場公開を見逃した。というより、見送った。

あろうことか日本の長編アニメに無知なあまり、映画ファンとしてご法度の<先入観で価値を決めつける思考不足>で、いつかのソフト化で観ればよいと見送ってしまったのだ。

この世界の片隅に』が劇場公開された頃、ちょうど『君の名は』ブームに重なっていた。少し調べていればどれだけ劇場で見るべきだったかわかるはずだったが、『ジャック・リーチャー』や『ジェイソン・ボーン』『10 クローバーフィールド・レーン』で頭がいっぱいだったその頃、口の中がアメリカ映画になっており、『君の名は』(内容に批判的ではないが手放しで称賛もできない)のような、<みんなが良いと言えば良いもの>という批判できぬ風潮、全国的な同調圧力だろう、という先入観で<今年の日本の長編アニメ>として一緒くたにし、『世界の片隅に』を見送るという非常に無知極まりない愚行に陥った。というか近年は少し批判したら世界を敵に回してしまうようなダメと言えぬ同調圧力が凄まじい流行り方の映画が目立つ。

 

そして2018年某日。公開から約2年。Netflixに新作映画がたくさん追加されていたこの時、『この世界の片隅に』も追加されたことを知る。ただ、それでも同時に追加されたジョセフ・ゴードン=レヴィットの『スノーデン』を先に見たのだが。それに加えAmazonの『高い城の男』見たり『中間管理職 トネガワ』を読んだりと、一通りリストを消化下あたり、箸休めにさて次は何を楽しもうかと悩んだ時“5分だけ見て決めるか”という、あれほどの名作に対して失礼極まりない...正に愚の骨頂な態度で『この世界の片隅に』を再生した。

 

たった5分で引き込まれたのは言うまでもない。戦時中は知らない。戦後間もない国の雰囲気も知らない。高度経済成長期も教科書の中の話、バブル期の実感も無い。そんな90年生まれが心苦しくなるほど“あの時”感を抱く。ノスタルジーでもヒストリーでもない、あの時。

 

東日本大震災は21歳の頃で、東京とは言え、確かに経験者だ。だから“あの時”を語れる。YouTubeに溢れる映像や、毎年ニュースで繰り返される“震災の記憶”とは少し違う。

あの時の感じ。例えば何度も何度も繰り返されるCMの心地悪さ、普通を装いながら、どこかぎこちないやり取り。電車で向かいに座っている人も、なんだか他人じゃないような感覚、日本全体が暗いムードで、言葉を選びながら過ごしていた、震災時の空気感。

こういったあの時感はどう語っても、その時を生きていなければ肌に感じることは難しい。

 

難しいはずなのに、『この世界の片隅に』は戦時中の空気感を、肌に感じるように表現していく。

人前で泣くことが反戦になるから、隠れて泣くのか。戦争が正義だと信じていたのか。憲兵隊のやりとりは何だかスズと同じように騙されて、蟻の列が砂糖まで繋がっているような気がして、もう爆弾は落ちないから魚も浮かないと冗談めかし、防空壕の中でキスをする瞬間もあって、戦死をおめでとうございますと言って...。

文にするだけなら、今を生きる若者として想像できない感覚なのに、感傷的に誇張されることなく、ごく自然な日常として描かれていく。あの時こうだったと、その時生まれていない自分も語れるような気がするほど、異常と日常の感覚を狂わせる。

 

アニメだとしても、劇中の出来事はどうしたって僕らの生きる現実と地続きの世界である。故に、戦争で何が起きたか知っている僕らは、彼女たちの身に起きる未来を待つ事しか出来ず、居た堪れない気持ちで見守るしかない。

『向こうは空爆が少ないから、広島へ帰んしゃい』

出来る事なら画面の中に飛び込んで叫びたい。行っちゃダメだと。

 

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スズはどんどん大切なものを失っていった。絵を描くことも、スズの子供的な一面を支えるあの子も。スズほど明るく生きる才能に溢れた人を、あんな風に感情的に独白させてしまう戦争は...確かに残酷だ。残酷なのはわかっている。誰もが小学校から勉強してきた。大人になっても戦争の悲惨さを伝える番組や映画も幾度となく見てきた。そうじゃない。戦争が残酷だとか、必死に暮らしてた人がいるとか、そういうありふれた形式(一般的で画一化)は、もはや現在では若者にとって他人事だ。伝言ゲームの激化し、あらゆるコンテンツが個人の時間を奪い合う現代に、2時間の時間を費やし身を乗り出して感じようとする姿勢を作り出すには高いハードルがあるが、戦時中の空気感を生身で体感したかのよう感覚が、上映たった5分で脳内に染み渡る。

 

完璧すぎる快作ローガン・ラッキー 考察・批評

オーシャンズシリーズ(11,12,13)のスティーブン・ソダーバーグ監督最新作、「ローガン・ラッキー」。ソダーバーグの絶対に外さない構成力、編集力ーー編集を兼任する場合が多いーーで毎作一定水準を超えてくれる安心感もありながら、オーシャンズシリーズ以来のケイパー映画(チーム強奪)となる今作は、オーシャンズファンならば2018年公開「オーシャンズ8」よりも注目すべき作品といっても過言ではない。

 

オーシャンズシリーズよろしく、巧みに計算された綿密な強奪計画に加え、随所にギャグを挟みながら、テンポ良く展開させる。その重要なファクターとなるのがキャラクター造形だ。

 

絵に描いたようなブルーカラー感溢れる設定のジミー・ローガン(兄)と、精神不安定で義手のクライド・ローガン(弟のバーテンダー。以下クライド)は、そんな観客の第一印象に強烈なアッパーをかますかのように、マックス・チルブレイン率NASCARチーム3人を一掃する。ジミーの強靭な戦闘力もさることながら、まるで日課であるかのような手際の良さで火炎瓶作製から投下まで流れるようにこなすジミーにも心を掴まれる。

気になるのが、彼らが語る“ローガン家の呪い”だ。これだけ連呼するならば、その“呪い”がどこかのプロット上ーーあるいはストーリー展開上ーーで何らか影響を及ぼすに違いない。

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ダニエル・クレイグ演じる爆弾のプロ、ジョー・バングも最高のキャラクターだ。いかにも悪そうな見た目から、壁だろうがビルだろうがド派手に吹っ飛ばしてくれると思いきや化学反応を利用した爆薬で、さらには方程式を壁に書き連ね、全く似合わない偏差値で笑わせてくれる。そのくせ仲間へ渡す爆薬の説明書は“1を2に混ぜる、2を3に混ぜる、3を4に混ぜる、逃げろ”という見た目通りの大雑把さだ。緩急が効いていて素晴らしい。

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強盗・強奪映画は山ほどあれど、リアルでコミカルで効率よくテンポよく、そして地味に斬新なローガン・ラッキーの強奪作戦は見事に秀逸だった。POSシステムをダウンさせるのは初めて観た気がするが、標的となるレース上の収益を現金化するだけでなく、さらには販売情報管理が曖昧になったことから、強奪金を返却して自体を収束させるーー実際はピンハネしているため強奪成功、POSの件により損害金が不明確、さらにはサーキット経営者は盗難保険の悪用で一儲けーーことにまで繋がると一頻りの満足感がある。吸引機でお金を吸い上げる絵面もチープなギミックなのにバサバサと吐き出される絵面がこちらのストレスまで解消してくれるような感覚だ。

ラストでは、時期を見てお金を掘り起こし、ジミーのバーに集まり楽しく飲んでいるが、ジミーがお酒を注いだ一見さんはFBI特別捜査官のサラだった。最後に悲惨な目に合うローガン家の呪いは健在というオチでスッキリ着地。

 

 

 

 

さて、ここまでは割とライトな感想としつつ、映画職人ソダーバーグのもう一段階深いメタ的なところまで掘り下げたいと思う。

まずは刑務所についてだが、中で起きている事件・事故などをとにかく隠蔽しようとする所長の姿がしつこく描かれる。権力者、社会上層部が、既得権益やその地位を守ろうとするばかりに起きる事なかれ主義体質への社会風刺だ。

サーキット経営者が、犯人への処罰よりも保険金で儲かるならと告訴を取り下げるのも、然るべき処置と損得を天秤にかけてしまう点もそうだ。盗んだ側も捜査の手が及ばず、盗まれた側も得ならwin-winで良いのかもしれないが、こういったパターンは、類推するとフォードピント事件や三菱リコール隠しと、根源的な思考回路は変わりない。

所長も経営者も最終的には強盗を手助けする形となり、現代社会を皮肉る結果となっている。

 

劇中のテーマ曲、カントリーロードが物語るウェストバージニア州を舞台とした今作は、アメリカの激化する格差社会について考察されている。アメリカ企業では従業員とCEOの給料が一時500倍にも格差が広がったように、一部の金持ちとその他大勢の貧困層という構図は社会問題だ。中流階級でさえ、一度職を失えば一気に貧困層へと落ちてしまう。クライドはラグビー選手から怪我で引退、ジミーはイラクで腕を吹っ飛ばされバーテンに。田舎町で、NASCARサーキット上の下で作業したり、二人と対照的な人物として、キャラクターとしてセレブな元妻の夫や、所長などが配置されていたりと、これでもかと丁寧に格差社会を舞台にしている。

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弱いものが強いものに立ち向かうーーあるいは強かったが弱くなったところからの大逆転劇ーーのは映画の中ではそれが面白いのだから当然と言えば当然だか、なるべく登場人物を取り巻く状況に現実と重ね合わせることができるとよりロマンがある。落ちぶれた奴らの大強盗計画ほど面白いものはない。結局ローガン家の呪いでダメでした、とはならずあくまでもハッピーエンドとして終わるが、その呪いのオチどころも想像させるから上手い。映画のその後を想像すれば、所長も悪質な運営の仕方は公になり処罰を食らうだろうし、そこまで悪者じゃなかったが元妻の再婚相手も最新のマスタングをボロボロにされるというほどほどに抑えた仕打ちも

いい塩梅。

NASCARチームのオーナーのマックスも、落ちこぼすことなくオチをつけていて完成された脚本と編集だった。

 

綺麗に全てをまとめあげて、終わるべき所でサクッと終わる。完璧な映画じゃないか!

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⭐️引っ越しして心がお花畑⭐️

タイトルに絵文字とか入れると主婦の自己啓発ブログみたいでウケるね

 

 

さて!東京での引っ越しは5回目。

悩みや不安でいっぱいだった今、引っ越ししようと漠然と思い立って決行。何度引っ越ししてもやっぱり面倒くさい作業がたくさん。

引っ越ししよう!と決めた日から日常が5倍は忙しくなる。お金はかかるし大変なんだけど、悩めるこんな時に必要なのは、必要以上な忙しさである。

なにかの本で読んだ『忙しい人は悩まない』って言葉は結構正しいと思っていて、悩みも不安も絶頂期だった今引っ越しすることを決めて精神的に何故か楽になったのは気のせいじゃない。

住む場所を変えるのは気分転換になるし、なんか運気みたいなものも変わる気がするのです。

とはいえ、忙しくして考えないようにしても、現実から逃げているだけでは目の前の問題は何も解決されません。

問題に立ち向かう気力や勇気が無いとき、自分に必要なのは外的刺激であります。

例えば、芸術関係の人ならよく分かると思うんだけど、アイディアは自分の中からしか生まれないというのがありますね。自分の頭にある知識や経験、あるいは技術的なことが、予期せぬタイミングに予期せぬ形に混ざり合った時に、人はそれをアイディアとして認識するんですね。日常的にアイディアを求められることが多い人は次第に、アイディアが生まれるまでの過程を自分自身で誘発することが出来るようになったりもします。その一つに手っ取り早いのが、外的刺激です。

散歩をする、誰かと会う、行ったことない場所に行くとかです。

今回は外的刺激レベルが非常に高い『引っ越し』という行動をとったわけです。

普段の音楽業や映像製作などの芸術のためではありませんが、人生設計のアイディアってのも時には必要だし、ロジカルな言い振りでも実際は漠然とやってますが、変わるもんです、行動すると。

マジで自己啓発みたいな話になってしまいましたね、すいません。

あ、でも、世の中にはランニングしてたらメロディーが、とか天才系の人もいるので、アイディアが生まれるプロセスは人それぞれです。

 

 

今まで住んでた前住居は5.5畳のワンルーム。あの時は急な引っ越しでとにかく家を決めるのと、予算もさほど出せず、妥協に妥協を重ねて選んだ家だった。築30年越え、100世帯越えの鉄コンマンション。

不動産で店長をしている高校の友達に頼んでいろいろと手伝ってもらった。

3年半住んだけど、あの家に住むのは本当にきつかった...。30年越えとなると、まず水回りの老朽化が凄まじいわけですよ。

キッチン1回、トイレ1回、ユニットバス3回の水漏れ、突然シャワーが根元から吹っ飛んだり、エアコンが効かなくなり水が大量に漏れたり、最近宅配が届かないなと思ったらインターホンが壊れてたり、カエルが大量発生したり、換気扇が効かない、電気コンロが壊れ熱くなりすぎて使えなくなったりと。

さすがにこんなマンションだと住人マナーは最悪。ゴミの分別とか指定日外のゴミ出しとかは当たり前だけど上階段から投げて捨てる奴もいるし、蛍光灯をぶん投げて捨てるやつもいる笑。タバコ吸ったままエレベーターから出てきたり、粗大ゴミなんてうるせえ馬鹿野郎と言わんばかりにマットレスや掃除機や机が無造作に捨ててあったり。

ある日、火災報知器が鳴って外に出ると、隣の部屋が火事になってたこともあった。東南アジア系の女が出てきてコップに水入れて焦ってるから、僕がエントランスから消化器持ってきて消した。

 

極め付けはフローリングから水が吹き出した給水管の破裂。我慢の限界が来て引っ越しを決意したわけです。

築古とは言えこんなひどいマンションもなかなか無いと思うけど、人生経験だと思って今は話のネタにしています。

たまに、前住居マンションの前を通るんですが、通るたびに、『この豚小屋が』と嘲笑いしてます。

あと管理会社が最悪でした。対応がね。。。

管理会社の印象は仲介の担当の方によく聞いておくのも必要ですね。

1階だったんですがGはそれほど出ませんでした。3年半で4匹でした。オートロックのマンションの4階に、4年弱住んだ時も、4年で2匹は出たので、絶対に出ないのは難しいんだけど、ワンシーズンで何匹も何匹も出る人は自分の管理を疑ったほうがいいですね。

 

 

そして、今回の物件ですが家賃も予算もあげて、また不動産店長の友達に手伝ってもらった。結果素晴らしい部屋が見つかりました。広すぎて言葉になりません。ありがとう。

 

 

 

ただ今回も、僕も金持ちじゃないので若干の築古物件です。実家のマンションが約20年くらいでも綺麗なので、まぁ20年だったら実家と同じくらいかという判断基準です。

できれば2000年代、80年代は綺麗にリフォーム、リノベーションされてるならまだいいけど、されてないならどれくらい設備が交換されているかですよね。築古でこいうツーハンドル混合栓が使われてたらもうアウトですよ。

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水漏れ予備軍ですね。

カメラ付きインターフォンワンルームでも標準だし、温度調整できる給湯器も当たり前ですね、管理がしっかりしてて入居者目線かっていう判断基準ですよね。築古だと。

築浅広々アパート予算でRCマンション住むには築古は避けて通れないですからね。

 

 

 

高校の時はよくインテリア雑誌に投稿していたり、もともとインテリアなことが大好きだから、やりたいことがたくさんできるワクワクでたまらない。

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今新居で困っているのは部屋が広くてエアコンの効きが悪いという贅沢な悩みくらい。

キッチンが広いと自炊も捗る。玉ねぎ切るのこんなに楽しかったっけ?という具合です。

2×4で壁を作る計画や、ソファーももう一つ置くプラン、はぁ〜なんならテレビも50インチとか置けるし、クリスマスになったらベランダにネオンでも飾ってやろうか?なんてウキウキしながら過ごしております。

 

 

 

この映画なんでダメなのか。映画『すべての終わり』レビュー・批評

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ネタバレでございます。

 

 

 

Netflixオリジナルフィルムとして7月13日に公開された『すべての終わり』。『ダイバージェント』のテオ・ジェームズやフォレスト・ウィテカーが出演、製作・製作総指揮には『デッドプール2』や『アトミック・ブロンド』のケリー・マコーミック、『アトミック・ブロンド』のニック・メイヤー、『その女諜報員 アレックス』のタイ・ダンカン、ポール・シフなど、編集には『IT イット』や『華麗なるギャツビー』からジェイソン・バランタインが参加している。

 

と、面々を見ると中々な良作が生まれそうであるが、実際に見てみると最悪の一言だ。

というかこの映画、企画は2011年に立ち上がっており随分と長い期間を経て公開に至っている。実はこの映画の脚本は2010年に“ブラックリスト”入りしていた脚本だったのだ。非常に優れた脚本なのに、中々映画化されなかったり企画が頓挫したりと眠ったままの脚本はハリウッドでブラックリストと呼ばれ、映画化が非常に難しい作品が多い。このブラックリストから映画化まで漕ぎ着けた作品は多く賞を受賞しており、ブラックリストに挑む製作陣という視点も見所の一つである。『スラムドッグ$ミリオネア』『ソーシャル・ネットワーク』『セッション』『レヴェナント:蘇りし者』『スポット・ライト 世紀のスクープ』などもブラックリストからの映画化で、特に映画不可能と言われた大傑作『プリズナーズ』もブラックリスト入りしていた脚本だ。

『すべての終わり』がこんなにも長い期間を経て世に出たのも頷けるが、この長い期間というのは非常に危険である。

マンチェスター・バイ・ザ・シー』のケネス・ロナーガンは前作の『マーガレット』で、2005年に撮影終了したにも関わらず、製作陣側と折り合いがつかずに6年間も編集を重ね最終的には何が正解かわからなくなり意味のわからない作品と酷評されたのは有名なエピソードだ。彼はその時の自分を“間違っていた”と猛省したらしく、『マンチェスター・バイ・ザ・シー』という傑作を生むのだが『すべの終わり』にも同じような匂いを感じざるを得ない。

脚本のリライトなのか、度重なる編集か。意味の無いシーン、無駄になったプロット、中途半端な登場人物のオンパレードだ。

 

映画の基本的セオリー“三幕構成”の二幕入る箇所は、おおむね全体の1/3程度で上映から30〜40分くらいの場合が多い。一幕で主人公の紹介や設定、時代背景、状況説明などを終えた後に非日常に突入する所からが第二幕である。この第二幕の入ったくらいで初めて登場する人物は物語上、重要なキーマンとなるのだが、本作の場合は女の子のリッキーだ。

リッキーはこの腐敗した街から逃げ出したい、対してウィルとトムは車の整備が出来る人材を必要としている。利害が一致し長い旅路を共にするのだから当然ここにドラマが求められるはずだが、リッキーは突然発狂し姿を消すと、なんとそれ以降登場しない。いったい彼女は何のためについてきたのか。

まず“世界終末化した状況からの脱出・解明”がメインプロットになるわけだが、サブプロットとしてウィルとトムの関係性のドラマがある。

例えばリッキーの存在が二人の関係を好転させるきっかけとなったり、二人がそれぞれに抱いていることの聞き出し役としても機能するであろう。それでなくても、ウィルとトムとの関わりによって成長したリッキーが終盤に登場して二人の手助けとなれば、少しは腑に落ちる。あんな風に全く使い物にならないし可愛くも無い女の子が、そのまま消えるだけなんてどうかしてる。

 

目玉の配役、フォレスト・ウィテカーだが、早すぎる。何が早いか。トムというキャラクターから、ただのフォレスト・ウィテカーになるまでだ。冒頭、トムが見せた娘彼氏ウィルへの厳しい態度はどこへ行ったのかと思うほど、普通にあれはフォレスト・ウィテカーだ。中の人が画面にいるだけだ。ウィルも早々に『いくぞ相棒!』みたいなテンションだから、サブプロットのドラマが崩壊。

おまけに、リッキーの失踪、トムの死、数々の困難を乗り越えてきたのにウィルの成熟度は変化しない。

なにより『クローバーフィールド』のように断片的に聞こえるラジオ放送などで混乱した状況で覆い被せ、真実にナビゲートしようとしているに何故かウィルはこれに関わろうとしないのだ。

例えばゾンビ映画は、ゾンビ化した“根本的な理由”に意味がない。終末化した世界の中での人間ドラマをメタファーとして描くからだ。だから根本的な解決は必要ない。

ただこの映画は終末化したところでコミュニティを作るのではなく、クロスカントリーロードムービーとなっている。つまりどこへたどり着くか。すなわち、たどり着いた先にどんな答えがあるか、が重要になるのだ。

ウィルは断片的な情報、目の前にある状況から世界に何が起きているか追い求めるべきなのに、どうして傍観ばかりしているのだと、嘆かずにはいられない。

ウィルの職業弁護士に意味も無く、その弁護士の唐突なドライビングテクニックや、元海兵隊とはいえ肋骨が折れ肺に穴を開け、挙句ギャンギャン走り回る車からの超高難易度な射撃を成功させるトムにも頭があがらないが、困難を乗り越えてたどり着くポーラ(ウィルの婚約者)のもとで起きるラストも本当に意味不明だ。

ご近所さんと呼ぶ男の家でかくまってもらっていたみたいだが、この男の中途半端すぎるサイコキャラは何だったのか。

それよりも映画も残り15分程度といったところで、突然の新キャラだ。意味ありげにポーラへの好意を感じさせたり、ウィルへの敵対心を見せたり、陰謀説を唱えたり、ウィルの車を物色していたり。さらには“森に子供がいる”というウォーキングデッドのシーズン2を見ているかのような安い誘い出しで案の定、ご近所さんはウィル殺害を試みるが、ウェスタン弁護士仕込みの早撃ちに合いあっけなく死亡する。この人物が何者だったのか、ポーラと何かあったのかは明かされることなく、そそくさとウィルの敏感なアンテナが世界の異変を感じ取り、迷いもなくポーラを連れ出し脱出。凄まじい土ボコリが襲いかかってくるのがわかると映画終了。

 

 

そして、Netflixそっ閉じ。

 

ガソリンを探して先に進むゲーム感、クロスカントリー的なのにキャデラックというギャップ、ガスマスク着用でのマッドマックスなヒーロー感など、面白くなりそうなピースが散らばっているのに、なんとなくで消化していくのが惜しい。

とにかく、傑作になりうる要素があるのに、ことごとくハズしてくる。予告編と内容が全く変わらない、言うなれば長編予告編である。

監督自身も本当に納得のいく結果だったのか疑わしい。

なんにせよ、大概こういう結果の次に撮った映画は、頗る面白くなって賞レースに絡んだりするから次作を楽しみに待っている!

音楽室の話。マイギターマイライフ Chapter.1

11歳。小学生6年生のある日、給食後の長いお昼休みの話。

お昼休みの後は音楽の授業だった。昼休みは校庭で騒いでいた思い出がたくさんあるが、その日は友達と2人で音楽室に前乗りした。誰もいない音楽室でピアノを適当にガチャガチャ鳴らしたり、準備室の小道具でふざけたりして時間を過ごしていた。

そろそろ休み時間が終わる頃。授業のため、2人の女子がちょっと早めに音楽室に入って来た。クラスでもマドンナ的存在のKと、もう1人は覚えていない。

その時に、僕は壁に立て掛けてあった、ヤマハのギターをジャカジャカ鳴らして遊んでいた。誰のギターかは知らない。多分先生の私物で忘れられたものか、弦はサビサビで汚いギターだった。ギター抱える僕に向かって、マドンナが聞いてきた。

 

『え、すごい。ギター弾けるの?』

 

弾けない。ギターをやりたいと思ったこともない。でも、僕は

 

『弾けるよ!』

 

でまかせを言った。嘘をついた。モテるってことを知らなかったから、すごいと言われることにドキッとして、弾けないのに自信たっぷりに言ってしまった。

 

『なんか弾いてみてよ』

 

当然のように求められる。目の前にいる人がギターを抱えていて、ギターを弾けると言うのだから、弾いてみてよ、とくるのは当たり前だ。

 

『このギターはね、壊れてるからダメなんだ』

 

やり過ごそうとした。でもこれについては嘘ではない。弦は切れていたし、すごく汚なかったし。

『今度弾いてね』

と言い残して席に着くマドンナの後ろ姿を見つめる。ふっと気づくと、クラスのみんながもう揃っていてた。ガヤガヤする音楽室の中で、動揺を隠せぬままギターを元の場所に立て掛け、自分の席についた。音楽の授業など全く集中できなかった。脳内で何かが弾けた。扉が蹴破られ、その先に自分以上の未来が見えた気がしてた。同時に、あそこでギターが弾けていたらと想像すると、悔しさで貧乏ゆすりが止まらなかった。マドンナとの会話を頭の中で何度も反復し、いつか絶対にと、自分自身にリベンジを誓う。

その日の夜、母親に少し緊張しながら

『あのね、ギター欲しい』

と相談した。マンションだからね、とか、すぐ辞めるでしょ、とか言いながらも最終的には

『まだだいぶ早いけど、それ誕生日プレゼントにしていいなら』

と約束を取り付けた。

 

 

トイ・ストーリー 謎の恐竜ワールド 考察 レビュー

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トイ・ストーリー 謎の恐竜ワールド」(トイ・ストーリー なぞのきょうりゅうワールド、英語:Toy Story That Time Forgot)は 2014年、ディズニーピクサーが共同制作したアニメーションである。 アメリカで、2014年12月2日にABCテレビスペシャル番組として放映された。日本では、2016年3月2日にDVDとBlu-rayが発売された[1]

トイ・ストーリー3』に初登場したトリケラトプスのおもちゃ、トリクシーが主人公。

 

ボニーは友達のメイソンの家に遊びに来た。メイソンはテレビゲームに夢中で買ってもらったばかりのおもちゃ、"バトルサウルス"で一度も遊んでいない。子供に遊んでもらったことのない彼らは、おもちゃ上の設定を信じて生きており、それを率いるのはクレリックだ。

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クレリック(The Cleric)

 

クレリックだけは自分たちが"おもちゃである"ということを知っていて、おもちゃたちを支配下に置くため、真実を隠している。

この独裁的な世界を変えるのがリーダー格のレプティラス・マキシマスとボニーのおもちゃトリクシーの出会いだ。特典映像の制作秘話でこう語られている。

"戦うことが全てだと信じて生きてきてが、心のどこかで疑問を抱いていたんだ。そこにトリクシーが現れた。トリクシーとの出会いが彼を変える。"

 

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レプティラスとトリクシー

 

 

子供に遊ばれたことがない寂しさ、キャラクターの設定を信じたままということ、過去の長編でプロスペクターやバズの姿で描かれてきたので、バトルサウルスたちがトリクシーをはじめとしたボニーのおもちゃたちに、"子供と遊ぶ幸せ"を教えてもらう展開になることは安易に想像できる。となると「また同じことを」と感じる人も少なくはないと思うが、初登場の彼らがどのようなプロセスでそこにたどり着くか?ということが今作の見所である。

 

『おもちゃの境遇』は長編3作を通して様々なパターンが描かれてきたが、バトルサウルスたちが今までと違うことは、子供に遊ばれることを知らずに設定を信じたままのおもちゃたちが莫大な人数のコミュニティであるということだ。一作目のようにバズ一人と向き合うだけでも長い道のりだったが、テレビ番組の21分という枠の中で彼らを変化を収めるために、「自分が何者なのか」とすでに疑問を感じているレプティラスや、支配者のクレリックが唯一真実を知っていてそれを隠していること、などで素早く展開させる。

 

とはいえ、レプティラスが自分がおもちゃだと悟りショックを受けるのは、レプティラス・マキシマスのパッケージの箱を見たからだ。二番煎じとまでは言わないが、大量に陳列されたバズ・ライトイヤーを見てしまうバズと同じ経験だ。それでも、全く否定はしない。パッケージはおもちゃの真実を語る唯一のものであるし、誰しもそこに行き着くまで同じ経験をして成長している。自分はおもちゃで、自分よりもっと大きなものがこの世界にたくさんあること、そしておもちゃが自分自身を知り成長するには、この経験を省けない。

子供の頃は、自分が特別で世界の中心だと思っている。でも、大人になるまでに気づく。世界の、ほんのちっぽけな存在で、社会の歯車である。それは悪いことではなくて、生きる意味や幸せはその中に生まれる。おもちゃにとって、パッケージが意味することだ。

 

トリクシーはレプティラスに"世界はもっとずっと大きいのよ あなたが誰だか教えてあげる いろんなものになれるんだよ 何になるかは持ち主の子供がきめるの 大切なのはいつも子供のそばにいること"とおもちゃの幸せの形を説くと、レプティラスは肩の荷が降りたように持っていた武器を手から離す。

この次のシーンが全てだ。ゲームの電源を切ったことで、机の下のレプティラスにメイソンの手が伸びる。この瞬間、レプティラスは無機物に切り替わり、おもちゃの表情に戻る。倒れかかったレプティラスの背中を支えたメイソンの手。レプティラスは初めて持ち主の手に触れる。おもちゃとしての最高の瞬間を迎えた。

この無機物と有機物とのスイッチングが、トイストーリーでもっとも美しい瞬間。トイストーリーで初めてウッディが動いた時におもちゃに吹き込まれた命は、こうして20年以上生き続けていることが嬉しい。

 

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トリクシーがおもちゃは何にでもなれると話した時、レックスは"アンディは僕を怪獣としてしか遊んでなかったよ!"と話した。彼らがアンディとの思い出を語るのは凄まじい幸福感に包まれる。このショットの右上に、ボニーがアンディからおもちゃを譲り受けた時の写真が飾ってあるのが見えて、ウッディやバズはたまにこの写真を見ながら昔を懐かしんだりしているかな?と、描かれない彼らの生活を想像させる小ネタが配置されているのも嬉しい。

 

最後にエンジェルキティが話したことを。

 

"広い心で世界を受け入れなさい"

"出来ないと言う概念は、自らを縛る足枷です"

"人に与える喜びは自らの身に帰ってくるよ"