スグループ

モノとポップカルチャー、それっぽく言ったりたまに爆ディス

スニーカートレンド衰退と革靴ブームと靴小売

しばらくスニーカーの記事を書いてなかった間に、どうやらNIKEバブルが崩壊し、二次流通価格もいっときの盛り上がりを失って、ファッション中心地からはサロモンがネクストトレンドとしての機運が高まり、レディーススニーカー市場では今でも厚底が有り難がられている。勘のいい観測者はあのNIKE KOKO SANDALがどうやらいろんなところに売っていて、そのへんのスーパーに寄ってもKOKO SANDALを得意げに履いたお母さんを目撃できる、という事実で時代の移り変わりが読み取れるのである。先日Instagramで友人の投稿に全身が痒くなるような気になった。自信満々に抽選ゲットしたDUNKを『プレネあがるぞ!』と投稿している友人である。検索してみると上代1.8万のそいつはやっぱりメルカリに大量に溢れていて、2万程度でごろごろ転がっている。残念ながらほぼ売れずにニ次流通の海を漂い彷徨っている状態には、もはやNIKEはステータスにもマウントにもならなくなっている事実を改めて再確認させられた。new balanceも、NIKEに遅れながらスニーカーバブルの波に乗れたところで、バイヤーたちはそっぽを向いていて、マス層にとっては目を覆いたくなるような自信の値段は受け入れられない。やはりスニーカーバブル期はどこか病んでたのではないかとさえ思う。Aimé Leon Doreによって再発掘された550は、円安がどこまで関係あるかはわからないが、上代を2万円近くまであげていて現在では40%OFFもザラに見られる状況だ。この状況にはテディ・サンティスもレーニア片手に泣いている。冒頭の通り、ファッション感度の高い人達は『サロモン』『ホカ』『オン』に流れて秋を迎えると思えたが、こういったトレイル・ハイパフォーマンス系のトレンドは長らく続いたスニーカーブーム最後の灯火となりそうだ。

パリミラノの2024FWコレクションを見ても明らかなように、クラシック・グランパ・カウボーイ・オフィスコアといった提案で埋め尽くされている。長らく続いたストリートスタイルへのカウンタートレンドである。というか、トレンドは人と違うからおしゃれなのである。ワイドフィット、オーバーサイズ、クルーT、ユニクロワイドタックパンツ、Y2K、ヘビーウェイトなパーカー、DUNK、サンバ。どこを見ても同じような場所で買った同じようなものを着る人たち。何度言われても、やっぱりそうだなぁ、と思うように時代は回るのである。バブアーやマッキントッシュは数年前から熱を浴びていて、今からアイコン化はしないと思うが、こういった普遍的で伝統的で保守的、いわゆるトラッドなものがトレンドになる流れはどのブランドからも感じる。カウボーイ的なアイテムは時代にフィットしているワイドなサイズ感を演出し、オフィスコア、つまりジャケットやセットアップを再定義しようとしている。この冬は、オーバーサイジングされ、くびれのないテーラードジャケットを着たおしゃれ女子が見られるはずだ。足元はどうなるのかという話だが、革靴である。ユニクロが出しているチャンキーソールのローファーのような、スニーカーと革靴のグラデーションを狙ったアイテムがマス層に供給されると思うが、ファッション感度の高いメンズたちは、それこそトラッドなものに金をかけるはずである。パラブーツ、オールデン、チャーチ、ジャランスリワヤ、GHバスあたりが手を出しやすく、古着屋でJMウェストン、ジョンロブ、グッチ探す。結局、オンラインでどんなブランドでも手に入る現在へのカウンターカルチャー的な構図にある古着屋ブームの再来が、こういった次のトレンドとマッチしまくるのである。これではアニキもツボウォークも波に乗れるわけで、今からヨダレを垂らしているはず。似たようなことするYouTuberが割と出てきているのもおもろい。そんなことを考えると、スニーカーブームの終焉は当然に思える。ここから先はハイプスニーカー二次流通で店を出しているところはかなり厳しいだろうし、ファッショントレンド向けのスニーカー小売もきつい。アトモスを売るタイミングは完璧だった。

それにしても不景気である。税金、円安、物価高みたいな文字が岩みたいなフォントでマイライフマイゲームに立ちはだかり、南海トラフ臨時情報とか災害も日常化。そりゃ、スケッチャーズが売れる。いまから15年前、ファッションとは別軸でマスに大ウケしたシェイプアップシューズというカテゴリーがある。火付け役はスケッチャーズのシェイプアップス、後追いでリーボックのイージートーン、new balanceもトゥルーバランスと言ったプライドの無いネーミングで参入し、全世界で5000億円ほどの市場となった。履くだけで痩せる、シェイプアップできる、などの謳い文句で日本でも飛ぶように売れたわけだが、起訴大国アメリカで「痩せないやんか!」とリーボックが訴訟され、日本では東日本大震災でそんな場合じゃなくなってこの市場は消滅した。でもあの一般ユーザー(ファッションとは別という意味で)の熱狂はすごかった。それと同じような現象が今、すでに起きている。スケッチャーズのスリップインズである。 かがまず手を使わずに脱ぎ履きできる謳い文句で中年層〜高齢者が大体の構成比を占めていると思うが、AIR FORCE1までイージーインなんつって使っているので頭をかかえたりした。人々が求めているのは機能美では無い。“機能”である。結局、時代背景が消費傾向を左右する。想像できるだろう、自社開発したりOEMだったりでスニーカーと革靴の中間みたいな靴を7000円〜2万くらいで展開し、ハンズフリー系シューズを年配層が買う。アトモスみたいなスニーカーセレクトは衰退して古着屋が増えていく。高円寺のウィスラー/チャートは注目を浴びるだろうし、アウトレットにはJMウェストンやクラークスがさらに展開を増やす。リーガルはなんとかそれっぽい靴を作るが販売チャンネルが少なくて頓挫、MADE IN JAPANを貫くハルタはファッションカテゴリーでブレイクしたい。今後はスニーカーよりも革靴の話が多くなりそうだ。どちらかといえばこっちのほうが専門なので言いたいことが山ほどある。

そうそう、予告したいのは革靴トレンドがもし行き詰まったら、コンバースがくる。某商社のJAPANコンバースが一昨年くらいからやりはじめたUSシリーズはすごく良い。

エクソシスト 信じるもの 考察・レビュー・解説

エクソシスト/1973

エクソシストシリーズの流れ

ホラー映画の金字塔『エクソシスト』は1973年の公開以来、のちのホラー映画に多大な影響を与えただけでなく、“常軌を逸した”その制作過程も相まって50年経った今もなお多くの映画ファンに語り継がれている。しかしながら、その後に続編として公開された『エクソシスト2』はあまりにもオカルト要素(SF)が強く、謎のリーガンお色気シーンなど、一作目とのギャップに酷評され、ひどい出来栄えの2作目に怒った原作者が、自ら『エクソシスト3』を正当続編として制作に至ったほどだ。

1977『エクソシスト2


しかし、その3作目すら公開当初こそスマッシュヒットはしたものの、悪魔祓いシーンや刺激の強いホラーシーンは少なく宗教色の強いフィルムノワールサスペンスな一作になっていて、一作目とはまるで似つかない。それもそのはずで、当初は『リーガン』というスピンオフ的な企画でスタートしたが、稼ぐためには“エクソシスト”のタイトルが必要だと言うことで、悪魔祓いシーンを付け足したりして続編として軌道修正し、さらに撮影中の役者トラブルなどへの対応のため、何度も役者や設定を改変されながら完成に漕ぎ着けたもので、やはりどっちらかった印象否めない。

1990『エクソシスト3



その後も『エクソシスト ビギニング』が4作目として公開されるが、これも問題続き。企画当初の監督が病死し、代わりに『タクシードライバー』などで脚本を務めたポール・シュレイダーが引き継いだが、たいして怖くもなく地味だと言うことでお蔵入りになる。『ダイハード2』や『クリフハンガー』などド派手なアクション映画を送り出してきたレニー・ハーリンによって作り直しがされるが、CGやアクション、大きな音でびっくりさせ、大冒険要素が加わる。エクソシストじゃない感を極め、興行成績は低迷。予算回収に困って結局最初にお蔵入りになったバージョンも『ドミニオン』というタイトルで公開することになる。やっぱりだめだった。

2004 『エクソシスト ビギニング

ちなみにエクソシスト2の後に『エクソシストの謎』という映画も公開されているが、こちらはリーガン役のリンダ・ブレアが出演しているというだけで中身は関係が無い。ちなみにこの映画はイタリアで制作されたラ・カーサシリーズである。ラ・カーサとは、1981年『死霊のはらわた』を、イタリアではラ・カーサというタイトルで配給したことに始まる。『死霊のはらわた2』はラ・カーサ2、この成功に乗じようと勝手に非公式続編を5まで制作。そのうちの『ラ・カーサ4(ウィッチャリー)』が、日本配給では『エクソシストの謎』という邦題なるのである。この時代らしいエピソード。エイリアンとかコマンドーとか謎の類似品をレンタルショップで目にした覚えがある方は30代以上だろうか。

1988 『エクソシストの謎』

2023年 新たな三部作

かなり雑に変遷を追ったが、結局一作目以降は失敗続きで、あの強烈なインパクトを残した『エクソシスト』のホラー表現としての極致は、一度も再現されていない。ホラー映画はコンセプトドラマとして続編制作されるほうが成功例は多く、13日の金曜日のようにレイクサイドキャンプ場で若者を殺す、など毎回同じコンセプトを利用し観客は逃げ回るスリルと殺され方をポップコーン食べながらキャーキャーできるホラーが量産しやすい(ジェイソンも2455年にゴールドスリープしたりと迷走した経験はある)。エクソシストも子供へ時代を超えて乗り移っていく、そしてどのような悪魔的な残忍行為を行うか、どのような悪魔祓いをするか、としてシリーズ化していくほうが今となってはよかったのでは無いかとも思うが、一作目のリーガンやカラス神父のキャラクターの秀逸さが故か、ストーリードラマ、要は続編へと縦に話が繋がっていく選択肢を選ばざる追えなかったのも理解ができる。一昨目以降、全ての続編が一作目とは繋がっているが、続編の数々は別物であることが、エクソシストシリーズが抱えるジレンマを窺い知れる。

2023 『エクソシスト 信じる者』

2023年にリブート版エクソシスト最新作が公開された。『エクソシスト 信じる者』はなんと三部作の一作目となる。監督はデヴィッド・ゴードン・グリーンデヴィッド・ゴードン・グリーンといえばアメリカのスラッシャー映画『ハロウィン』シリーズの最新3部作を手掛けた監督である。1978年から現在までに12作の歴史があるハロウィンシリーズも他のホラーフランチャイズと同じように紆余曲折を経て、2018年に仕切り直しでリブート版新シリーズが制作されたが、これが概ね高評価だった。デヴィッド・ゴードン・グリーンによる2018年の一本目は「最高のハロウィン続編」「シリーズの復権」などと高い評価を得てスラッシャー映画として最高興行収入を記録したのだ。そういった実績からも『エクソシストシリーズ』の復権を夢見たファンは多かったはずだが、『エクソシスト 信じる者』はRotten Tomatoesで見ても低評価寄りである。「フランチャイズを原点に戻そうとしている点は評価できるが、新たなアイディアに欠けているため、計画されている三部作のスタートとしては不吉なものになっている」等の意見に集約されている評価が多い。これは一本のリブート作として見れば確かに真っ当な意見である。エクソシスト一作目のアイディアがふんだんに再現されているが、ただの焼き回しと言われても否定できない。悪魔の乗り移った少女たちのビジュアルも、あの声も、口から吐き出す緑の液体も、宙に浮く様も、確かにエクソシストなのだが、一作目の初見のインパクトには敵わない。もはやブリッジ階段下りや首回転や十字架で自らの急所を何度も突き刺す様を思い出せば、今作は抑えに抑えている。ただ、考えてみてほしい。この作品に至るまで、いままでの続編はどうだったかと。エクソシストの歴史を振り変えればどう考えたって暫定2位である。エクソシストファンであれば、楽しめたはずだと思う。確かに悪魔の乗り移った少女が×2になったところで恐怖は増幅されないし、シスターにならなかったオバさんや神父のとりあえずやってる感は、悪魔祓いの神秘さや、そこに至るまでの虚無感を感じない。『エクソシスト』一作目では、とにかくあらゆる可能性を模索している。脳髄液を調べたり精神療法を試したり、ただの水道水を聖水だと言って試したり音声解析を行ったりと。悪魔だと断定はできないが、最後にやれることは悪魔祓いだけだった過程があの悪魔祓いの深みが増す理由である。効果があるのか半信半疑で、リーガン自身の精神病等の可能性も否定できないままなのに、あまりにも異常なことが起きているからだ。『エクソシスト信じる者』はいかがだろう。対象者が2人になったことで、「まぁ悪魔っしょ感」が出てしまうし、悪魔は嘘つきであるという一作目ではかなり重要な前提が、今作では「どちらかを選べ」というかなりチープなくだりだけで消費している。つまり、エクソシストシリーズとしては良い出来だが、ホラー映画としては、エクソシストに強く影響を受けたであろう『ヘレディタリー』のほうがよっぽど常軌を逸した恐怖が描かれていた。しかし.....。現代で一作目のような恐怖映像がどうやって再現できるだろう?あの時のように監督がショットガンを撃ったり撮影直前に殴ったりして演者を動揺させることで撮れたシーンや、子役が演じる場所でセットを冷凍庫のように寒くさせることが、現代のコンプライアンスでできるか。はたまた訪れた神父に対し「この子にペニスを突っ込みに来やがったな」だとか、「キリストにファックさせてやれ」と十字架を股間に突き刺すだとか、こんな演技を女の子の子役にやらせられるのか、疑問である。わたしたちはもう気づいているはずだ。あんな恐怖映画は時代が作れたようなもの。もうエクソシストを初めてみた時のような凄まじくショッキングな映像作品はオーバーグラウンドには現れない。『エクソシスト 信じる者』を新しいアイディアが無いなどと腕組みして批評してもしょうがないのである。唯一、感じることができるのはエクシスト一作目のリーガンの母親クリスが書いた本が本作に登場し、クリス本人も登場することである。その瞬間、あの恐怖が蘇る。あの時を思い起こす恐怖がこの映画には眠っている。こうしてリーガンが語り継がれていく限り、恐怖は終わらないことこそ『エクシスト 信じる者』が提示したアイディアなのではないかと考えている。しかしながら、そう言いながらもどこかで待ち望んでいる自分もいるのだ。とてつもなく常軌を逸していて下品で侮辱的で...狂った映画の中に新しいリーガンが現れることを...。

ヘレディタリー/継承 考察・解説・レビュー・ネタバレ

Hereditary(2018)

 

今や日本でも認知が広がりブランド化してきている配給会社"A24"が2018年に劇場公開した映画『ヘレディタリー/継承』。"21世紀ホラーの頂点" “ホラー映画過去50年で最高傑作”などと高い評価を得ている。監督はアリ・アスター、この映画が長編デビューというのが驚きである。この作品を超えていくには監督して茨の道かと思えたが、その後も『ミッドサマー』で高い評価を得ている。アリ・アスター監督のホラーへの造詣の深さは凄まじく、学生時代は"行ける範囲のビデオ店の、“ホラー棚にある全ての作品を片っ端からみた"と語っている。そういったバックグラウンドを持つ監督だからこそ、その豊富すぎるホラー映画的語彙を、なおかつ新しいものとして展開し、あらゆる人の“あらゆるトラウマ”を刺激するのだろう。

影響があると感じるシーンを抜粋する。ドールハウスアーティストという設定の妻のアニー。冒頭からドールハウスにゆっくりと写し現実世界とリンクした不思議な演出で物語が始まるが、スタンリーキューブリックの『シャイニング』のオマージュと思える。外から監視され、コントロールさているという意識を観客に植え付けることに効果的だ。また亡くなった祖母が現れるシーンや、光のフレアのようなJホラー的表現も見られる。宗教的価値観からもアメリカでは"悪魔"のほうが敵として描かれることが多く、アメリカ映画で幽霊的表現は稀だが、しっかりと霊的な恐怖感を演出している。現れるが何をしてくるわけでもない祖母の幽霊は、何がしたいのか釈然としない得体の知れない恐怖感である。さらに暗闇に、見えはしないが何かいるような気がするという表現もところどころ現れる。暗闇というよりは"黒い"である。見えないが黒い何かがあるような気がするのは、自分の身に置き換えれば結構深刻な恐怖ではないだろうか。こちらもJホラー的だと感じる。最後にピーターを追いかけるアニーが天井裏の入り口に頭を何度も打ち付けるシーンと、首が吊られた状態で、自らの首を刃物で刺しまくるシーン。これはエクソシスト的すぎて非常に怖い。小学生の時にエクソシストを事故鑑賞してトラウマになった自分としては最も怖いシーンであった。その他にも映画全体として『回転』や『ローズマリーの赤ちゃん』などが参考なっていると監督は語っている。

全体的にはホームドラマ的な家族の話であるが、そこに血族という呪い、家庭という閉ざされた牢獄的なホラー表現がミックスされる。鑑賞後こそ"呪い"とか"閉ざされた"とかいう言葉がしっくりくるのだが、見ている間は「一体何を見せられているんだ...?」という気持ちになる。これは幽霊なのか?悪魔に取り憑かれているのか?統合失調症のような病気なのか?誰が被害者なのか?いつどこへ話が飛ばされるかわからないが、ずっと怖い。効果的な音響効果は言うまでもなく恐怖を煽り、舌で上顎を鳴らす音、目に反射する赤い光は不吉な何かを感じさせ、まるで自分がこの世界に入り神経が研ぎ澄まされたかのように「何かいるような気がする」「何かが起きる気がする」とこの映画はあらゆる細かな演出で没入させてくる。

Netflix『グレイマン』スパイ映画市場への参入ジェームズボンド×ジェイソンボーン 考察・解説・レビュー・ネタバレ

ブレードランナーVSキャンプテンアメリカ??お金がかかりそうだ!Netflix史上、最大規模の制作費らしい。その額2億ドル。200億円、やばいなと思ったそこのあなた!300億2600万円です。円安も去年11月以来の水準に進行し1ドル150円台(2024/2/16)。こんな大味アクション映画について考えている場合ではないのでは...頭の中にひび割れた岩みたいなフォントで増税・物価高・賃金安などの文字がドカーンと降ってくるが、そういうやるせない気持ちも一時的処置として吹っ飛ばしてくれるのが、こんな大味アクション映画である。何か現実に引き戻される感覚があるので、できれば金の話はしないでもらいたいが、Netflixも、なにもお祭りパーティーで最大制作費ってわけでもない。とてつもない勢いで会員を増やし、2020年には会員数が2億人を突破し騒がれていたのも記憶に新しいが、2023年には加入者数の頭打ちと利益低迷を迎えている。広くコンテンツを増やしていた戦略から舵を切り、一流の俳優を揃え高額予算の作品に注力し、その代わりにリリースするプロジェクト数を減らしていて、つまり『グレイマン』はその象徴的な作品でもあるわけだ。その予算の莫大さは誰が見てもわかるほど贅沢な絵が続き、ルッソ兄弟(監督)がアベンジャーズシリーズで培ったアクションの魅せ方は遺憾なく発揮されていて、効果的なドローン撮影も印象深い。メルセデスベンツのGクラス(ゲレンデが)が何台も壊されていたのは、ここにも予算の集約がされているような気がすると車好きは思ったかもしれない。破壊台数で箔を付けるために、20年型遅れのFORDエクスプローラーとか壊されまくる光景は見慣れているからだ。プロットはCIAにより雇われた元囚人のヒットマンと組織の腐敗との対立構造。全く革新的でもないが、フォーマットとして提示するには十分だろう。どう考えたって大分類は007を意識していないわけがないし、象徴的な赤いAUDIも007で言うアストンマーチン的なものだ。AUDIのジャパンプレスを読んでも、やっぱりそういう象徴的な車としてブランディングしていく会議が行われたんだろうなと感じる(想像)。

Audi RS e-tron GT

そういう目線で見ていくと、シックス(ライアン・ゴズリング)が付けているタグ・ホイヤーのカレラが気になったり、クリス・エヴァンスはマッチョしか着れないking & tuckfieldのニットポロを教科書的な着こなしをしている。お酒好きで知らない人はいないジェームズ・ボンドのボンドマティーニや、スーツに造詣が深ければ直近007のダニエル・クレイグが着こなすTOM FORDのスーツなどを例にとって、『グレイマン』もこれからシリーズ化していくフランチャイズの中で、映画キャラクターというインフルエンサー的な立ち位置を確率していくのだろう。冒頭の暗殺では、誰もがおかしいと思ったはずだ。なぜヒットマンが赤いスーツを着ているのか。どこか(映画の外)でライアン・ゴズリングが現れた時、赤いスーツさえ消えていれば彼がシックスだとわかることには大きな意味がある。

TAG HEUER カレラを身につけた"シエラ・シックス"

 

クリスエヴァンスのKing & Tuckfieldニットポロ。マッチョで胸板が暑く無いと着れない


と、ここまで何度もジェームズ・ボンドの名を比較として挙げて、スタイルに言及し何が言いたいかと言えば、つまりルッソ兄弟はこの市場に新たなスパイヒーローを誕生させたいということだ。その"市場"とは『007シリーズ』『ミッション:インポッシブル』『ボーンシリーズ』という3の巨大なシリーズに独占されてきたスパイアクションスリラーへの参入だ。シエラ・シックスのアクションスタイルはボンドのような洗練さを持ちながらも、ジェイソン・ボーンシリーズのような暴力性も垣間見える。とはいえジェームズ・ボンドのような戦闘中でも上流階級を感じるようなスタイルを取り入れることにはリスクがあるのか、その代わりにルッソ兄弟アベンジャーズで行ってきた混沌とした大乱闘がある。一言でざっくり言えばボンド×ボーン=シエラ・シックスという新しいスパイヒーローなのではないか?個人的にはそうとしか感じない。だからこそ話が薄いとかそういう批判は正直どうでもよくて、プロットに関してはとりあえずフォーマットのベースが提示できていれば良いのではないか。スパイアクションとしてどのようなスタイルか。この映画にグッとくる人は、あらゆるアクションスリラーを大量に観賞してきてそんなことを思うはずだ。

ジェームズ・ボンド

ジェイソン・ボーン

 

レプタイル -蜥蜴- 考察・レビュー・批評・ネタバレ

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“眼差しで妊娠させる男”という異名を持つベニチオ・デル・トロ。今ではこんな表現も言葉狩りの対象となりそうで少し躊躇もあるが、久しぶりに見たベニチオ・デル・トロのその眼差しは、56歳の今も遺憾無く発揮されていて、その存在感だけで完走できた2時間と言っていいかもしれない。話は、一件の殺人事件を追う刑事が、自分の身の回りまで侵食していた組織犯罪を明らかにしていく、フィルム・ノアール・サスペンスである。秋の色調を用いた郊外で、含みを持つ目線で語るシニカルな男。ベニチオ・デル・トロのパフォーマンスを最大限活用するにはこの上ない役柄である。たとえ脚本自体はB級だったとしても、それなりの作品に昇華させる。おんぶに抱っことは言わないが、ベニチオ・デル・トロが作品の評価を一定水準まで持ち上げたのは間違いない。監督はグラント・シンガー。ミュージックビデオで実績を持ち、今回が長編映画デビューである。明らかにデビット・フィンチャードゥニ・ヴィルヌーヴの洗練されたノアールスタイルに手を出している。

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劇中で起こる暴力的なシークエンスは、カメラの外で起こる。実際に殺害される様が映し出されるよりも、よっぽどインパクトがあり不気味だ。この映画全体を覆う不気味さに病みつきになれる人は『プリズナーズ』や『ゾディアック』もフェイバリットムービーに違いない。例えば夜遅くにインターホンが鳴ったり、山道をずっと付いてくるヘッドライトがいたり、そういった不気味と、どこかに潜んでいる危険。『裏切りのサーカス』ほどではないが、どの建物も同じような建築様式を共有していて人物がどこにいるかわかりにくかったり、インパクトのある音楽の導入や、複雑に縫い合わされたプロット。これらは観客を誤解させ混乱させる“ねじれ”を生むための意図的なものだ。例えば『——33回刺されていた』は、猟奇的殺人・精神疾患、あるいは深い憎悪か、とミスリードする。この映画に登場する誰もがいくつかの秘密を隠していて、何かに関与している。あるいは凶悪な犯罪を犯す機会を待っている。このように、ずっしりと重く時間を使うが全貌が明らかになるにつれ、盛り上がりに欠けていく。どうも明らかになる謎はフィルム・ノアールとしてはチープで、それは有罪者側の笑えるほど滑稽な不注意で明らかになってしまう。謎が意図したようにまとまらないのは、先人たちの様々な伝統的手法をパスティーシュするはずが、パロディになってしまった例に近い。であれば、『レプタイル -蜥蜴-』は、ノアール・サスペンスとして伝統的なフーダニット(whodunit)を採用したほうが、よっぽど面白い映画になったのではないか。

HOT WHEELSの値上げと新興ブランド

日本では2月発売のPOP CULTURE、ROADKILL ROTSUN 240Z。見た瞬間に動悸がするくらいに素晴らしいキャストで、絶対に予約を逃すまいと闘志に燃えたのか、あるいは買えなかった自分を想像して戦々恐々としたのか、とにかくその動悸の理由を探しに予約日を迎えた。0:00からアクセスすれば余裕で予約できたわけで、朝起きた7時くらいにはまだ残っていた模様。しかしながら、何となく心に引っかかったのは値段である。プレミアム系のシリーズの値上げである。円安なんだろうと思うがHOT WHEELSが¥1,100とは何とも言えない感情である。思えば小学生の時はダイエー等に入るマイナーなおもちゃ屋から、アベイル、しまむら、100円ショップでも手に入った。100円で買えることもザラで、トイザラスには値下げされて300~500円になった100%HOT WHEELSがあったりして、よく喜んで回収した。今はもっとコレクター市場ビジネス化している側面もあるだろうが、HOT WHEELSの可愛さはある意味手に入れやすいプライスもあったはずと思い出した。子供の時はレーシングチャンピオンや京商は高くて集められなかった、HOT WHEELSもそんな存在になりつつあるのかと。むしろ店頭ではなかなか欲しい車種には巡り合わないから、足で探す喜びも以前よりも大幅減。それはミニカーに限ったことではないと思うし、HOT WHEELSにもレギュラーシリーズがあるわけで、そこまで悲観する必要は無いが、とはいえ何だか煮え切らないのは事実である。

 

 

よくよく考えてみると、確かにこの240Zが¥1,100なのはまだ認められるとして、今後のポップカルチャーもずっとこの値段ならば、他の選択肢があるのではないか、そんなふうに気持ちが傾いてしまう。つまり、MINI GT、GREEN LIGHT、AUTO WORLD、BM CREATIONS。もっとリアリティ志向でハイクオリティなミニカーが選択肢に入ってくるわけだ。いや、今までも買っていたけれど、HOT WHEELSが1000円超えてくるなら、もっとそっちに回したいなという誘惑である。

AUTO WORLDのCUSTOM LOWRIDERSシリーズ、1966 CHEVY IMPALA "SS"のローライダーである。これはAmazonで¥2,100。いや1000円高いじゃないかと自分でもツッコミたい気持ちはあるが、プレミアムとはいえHOT WHEELSは高くでも700円ちょいなんてイメージで集めていたから、4桁になればもう変わらない。HOT WHEELSを2台我慢してこっちを買う方がよっぽど所有欲に満たされる気分が伝わるだろうか、この素晴らしい完成度。

まさにローライダーらしい、キャンディペイントとメッキパーツ。そして小径のワイヤーホイール。最高に美しい。HOT WEELSのプレミアムラインでもメッキホイールがかなり減っていて、NIKEみたいなことするなよと不満を溜めていたが、この惜しげもないギラギラ感を持つハイエンド系ミニカーブランドが、今の自分にグサリと刺さってしまう。なんだろうな、ここ数年はHOT WHEELSの文化的な魅力が薄れてしまっているように感じるからなのか。F&Fフランチャイズ、ノーマルチックな日本車が多くて心が踊らない。初期のJAPAN HISTORICSの頃やBOULEVARDのスカイラインバンが出た当初は興奮気味に日本車を追いかけたが、今はもう飽和状態。本当にほぼノーマルのアルテッツァロードスターGTOが欲しいのかな、と自分に問いかける。アメリカのカスタムカーカルチャーのDNAを持ったHOT WHEELはHOD RODに始まり、TRACKIN' CUSTOM PICK UP のSTEEL FLAMEや、DONK STYLE、VW BUS、DEORAという名作がHOT WHEELSなのではないか。引っ張り出して感傷にひたる毎日である。

そして今、傷を癒すのはハイクオリティコレクティブ志向ミニカーブランド界隈でも一般化してきているカスタムカーキャストだ。1990年代〜2000年代はレーシングチャンピオンやJHONNY LIGHTNINGがそういったポジションだったと思うが、最近の新興ブランドも最高にクールなキャストが大量である。ここ1週間はこのIMPALAにメロメロ中のメロメロだ。

BM CREATIONS 1/64 三菱 パジェロ 2nd ジェネレーション マットブラック ジャングルパック 右ハンドル


BM CREATIONSは中国系のミニカーブランドである。アメリカブランドにしか興味が無かった今までを振り返れば、2000円も出して中国ブランドのミニカーを買うなんて想像もしなかったが、本当に楽しいミニカーである。こちらもHOT WHEELSと喧嘩中の自分を癒す1台である。多くのキャストに付属パーツが付いており、セルフカスタムができるのが憎い。しかもトミカの大発明サスペンションギミックを凌駕する、かなりストロークのあるサスペンション機構付きであり、大人にミニカーで遊ばせるなよと言いたくなる。フロンドガード、キャリアー、シュノーケル、ホワイトレターのタイヤ、最高である。

ガソリンタンクは付属パーツ

HOT WHEELSアメリカ系ミニカーで埋め尽くされたコレクションに、徐々にこういった新興ブランドミニカーが仲間入りするようになり、コレクションの統一性を欠いていく不安と同時に、新しいものに興奮するミニカー熱はまだ少しも覚めていないと自覚するのだ。

Netflix-終わらない週末 考察・批評・レビュー・ネタバレ


起こる事象のほとんどが妙にパラノイア(妄想)的で、鹿の大量リスポーンとか、サイレンのような爆音とか、テスラ無限玉突きとかで実態の無い恐怖の応酬なもんだから、あれこれって精神病的な話でオトされる?と途中でウトウト仕掛けた頃に、原理主義的(終末論者)な人物(ケビン・ベーコン)が、まさにケビン・ベーコンな風体で現れて目が覚めると同時に、そういえば国家緊急事態的なシグナルがあったな?と思い出しもう一度集中。するとやっぱり妹のローズがずっと『フレンズ』の最終回が見れなくてゴネてることが気になる。映画の話として何の意味があるか考えれば、NetflixによるNetflix風刺みたいなものか。それはブラックミラー6で既にやっているので、そんな問題定義は改めてやらなくても、と思ったりもしたが、ラストシーンを見て意図汲み取ってみる。Netflix風刺というよりは、子供世代が抱えたネットと現実の境界線を問うものである。自分の居場所はどこにあるのか?と。こんな緊急事態になれば我々はすぐさまスマホを開き、ネットで情報収集し判断する。自分がどこにいるかも画面の中で確認する。少し丘を登れば、マンハッタンが見えるのに、どうして家に閉じこもっているのか。ネットも電話もラジオ・テレビも寸断された状況下で、訳の分からない恐怖に怯えた現代人はじっと何もしないことしかできない。知らぬ間に死期が迫っていても知ることもなく。あなたの実態はどこにあるのか?そう問うべき空虚な社会問題定義的なところである。確かにコロナで爆弾休暇——自分観測史上最大連休をこう呼ぶ——になった時、ソファーに寝転がり永遠とNetflixやらYouTubeを見ていたあの時間は、こんなに幸せな生活があっていいの?だった。途中で休みすぎて不安になって始めたランニングは何故か今でも続いてるが。でも、あの時、自宅待機を余儀なくされた状況で全ての通信が切断されたら?考えると結構恐ろしい。2020年や2021年は大した記憶が無い。多くの人の精神年齢を実年齢−1歳にした空白の1年である、どれだけ画面を見ても経験や思い出にはあんまりならないと。話を戻すと、国家危機とキリスト教原理主義的な人物、電波・インフラの寸断、サイバー戦争、イランによる侵略だとか、そういった断片的で上澄みだけの情報とサスペンス的要素を絡ませ、観客に考えさせたいという意図も強く見えている。いずれにせよ、自分たちの身にも危機が訪れた時の疑似体験としてジュリア・ロバーツの人間不信さは共感が強い。アメリカのように人種間の隔たりは幾分少ないとしても、素性のわからない人たちと手放しで協力しあえるほど日本も平和じゃない。そういった非常にローカルな地続きベースのフィールド(閉鎖的)で進むストーリーのバックグラウンドは、結局マジでとんでもない有事だったという話である。アメリカで大規模クーデター、内戦が起こるとは想像もできない....いや今ならあるかもしれないと思えてしまう所が怖いところである。ウクライナにもイスラエルどちらにも注力はできないアメリカは台湾有事や南北問題まで手が回らない。中国もロシアも北朝鮮も...気付けば強権主義VS自由主義の構図の溝は深まっていて、いよいよWW3前夜とも言えてしまいそうな年の暮れに、棚卸しするかのように公開されたなと。似たような感覚は2021年12月公開の『DON'T LOOK UP』を思い出す。あれは気候変動による分断を描いていて、トランプ政権時の分断をブラックユーモア的に描いた作品だが、図らずも分断によって生まれる国家の広告塔的な専門家が偶像化していく様は、COVID19に襲われた自由主義国家(日本も例外ではなく)において起きた現象をはっきりと再現していたから、2021年はこんな年だったと1年を振り返るのにぴったりだった。2023年がこんな年でなければ『終わらない週末』も、こりゃ週末終わらねえわ!このあとさマンハッタンに行く続編みたくね?で済んでいたかもしれない。

ここまでラフにレビューしてみたが、もう少し真面目に考察してみると、やっぱり気になるのはこの映画の制作がバラク・オバマ夫妻が立ち上げた制作会社であるということだ。元ホワイトハウス移住者が“これから起こり得ること”、と語っていることこそが恐ろしい。現時点の世界情勢ではそれほどフィクションでもないということだ。そして陰謀論よりもっと簡単な話だ、という点でも内包されたメッセージを勘繰ってしまう。ディープステートとかそういうものでなく、侵攻とクーデター。イーサン・ホーク演じる父親はネットもGPSも使えなえれば何もできないと嘆くが、そのために缶詰や水を買い溜めて孤独になれというのか、この表面的な選択以上に、ジュリア・ロバーツの疑心暗鬼な精神性が、いかに他者を受け入れることでしか自分を救えないかを、批判的に暗に示しているようである。こういった身に迫る危機的状況化では社会的偏見と二極化して病んだ潜在的な不安が表面化するからこそ、他者を受け入れることは生存的選択である。また、『フレンズ』に関しても、妹のローズという人物の輪郭がはっきりしてくる。そもそも何故『フレンズ』なのか。『終わらない週末』はマンハッタンから来た都会に疲れた家族が、ラストでマンハッタン空爆されているのを茫然と見て終わる。"マンハッタン"とは母親役のジュリアロバーツが言うように、それほど素晴らしくも無い、人間に疲れる街だと表現している。一方『フレンズ』は白人が大きなアパートに住み9.11も起こらなかった世界線が舞台の幻想的な"マンハッタン"である。この対比もあるとして、ローズが『フレンズ』の世界に安心を求めていて、さらに本当に知っているニューヨーカーとして認識している可能性も否定できない。冒頭でフレンズコーヒーショップに連れてってというセリフがあるが、父親は「あれは本当にあるわけではない、セットだよ」と正す。実際には観光地化されていてあることはあるが、ローズがそれを念頭に置いていたか、あるいは本当にセントラルパークが存在すると思っているかもしれない。父親の言葉にローズは反応しないため、真意はわからないが、ローズがフレンズと現実のマンハッタン両者の境界線が曖昧なことは間違いない。そして、最終話を見ることに執着するローズ。家族の中で最も何かが起こる予兆を敏感に捉えていたローズにとって最も安心できる方法だったとも言える。彼女の世代は子供の頃から銃乱射事件やパンデミックなど親世代が子供の頃に経験しなかったあらゆる恐怖を経験している。タンカーが浜辺に突っ込んでも、家に戻ってすぐプールではしゃぐ子供たちを目にして、夫婦は立ち直りが早いと関心するが、現代の子供たちにとって、もはや情報過多でセンシティブな情報に溢れた時代を生きる子供達は、次のエピソードに進むようにして訓練されてきているのかもしれない。