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フォードvsフェラーリ 車好きとして

フォードvsフェラーリ - 作品 - Yahoo!映画

 

メーカーvsメーカーではない

作品賞にまでアカデミー賞にノミネートされ、いわゆるいかにもアメリカ映画、アカデミー受賞っぽさに溢れた作品だと勝手に想像したが、アメリカ万歳!フォード万歳!とはいかず、割とフォードをこき下ろしていて安心した。フォードは、企業体制としては最悪な歴史がいくつもあるし、そもそもフォードは半ば悪役的に扱われ、実際は映画的にも事実上もシェルビーvsフェラーリである。

 

 

vsと言われシェルビーとフェラーリ壮絶なライバル関係を想像するが、蓋を明ければレースに人生を捧げた二人の男の物語りだった。とはいえ、忠実にフォードvsフェラーリをやろうとすればただのドキュメンタリーであるし、確かにフェラーリが多座に君臨するライバルとしてのプロセスは十分に描かれないが、そこまでやってしまえば一般レベルまで落とし込める作品にはならないだろうし、今作はメーカーvsメーカーに重きを置いた作品ではないので"フェラーリ"というブランドだけで十分といえば十分だ。

反体制的、情熱、友情、そしてプライドが傷つけられる度に燃える2人がレースに人生をかける様は誰にでも通づる鬱憤があり、普遍的に評価されるエンターテイメントとして車に詳しい必要は全くない。目的は勝負に勝つ、どん底からの復活劇、権力層の悪役、映画の基本にそったような構成で、イージーリスニングだ。

 

ピータの役割

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苦境や困難は、ドライバー至上主義的なところに終始せず、レーシングカーというハードの開発力が物語の推進力を大きく手助けする。1966年当時は時速300kmを簡単に超えるパフォーマンスを持ちながら、安全性がまるでなかった。地を這うようなカメラアングル、ブレーキのバースト、冒頭から"炎上"が何度も登場するなのどの不吉な予感と共に、今日のクラッシュよりも、より深刻なものと提示しレースの狂気を表現している。

そして、この映画が“ ル・マン66' ”のより深い真実に達しないように一役買っているのが息子ピーターの存在。GT40とフォード、シェルビーには割愛されている様々な歴史があるが、ピーターという少年の崇拝するような眼差し、レーシングカーへの興奮、いつか炎が何かを奪ってしまうかもしれない恐怖が、ドラマの演出として映画全体包み込みエンターテイメントとして程よい塩梅を保っているのである。

 

自動車界の英雄、リー・アイアコッカの登場 

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 そしてこの映画で何より素晴らしいパフォーマンスを見せたのがジョン・バーンサル

彼が演じるリー・アイアコッカとは、後にフォード社長に就任し、クライスラー会長時代には破産寸前のクライスラーの経営再建を測り、数中万人の雇用を守った手腕を持つアメリカ産業界の英雄と称される人物だ。

2019年に94歳で亡くなったニュースも記憶に新しいし、車好きでは彼の名を知っていた人も多いと思う。今作では、悪役として描かれるフォードの経営陣にいながらも、本当の心の中はキャロル・シェルビーとケン・マイルズ側に共感しているということを、言葉では語らず微細な表情で見せる。ジョン・バーンサルの演技は本当に表象もんだと思う。

 

 

車好き・レースファンへの配慮も抜かりない

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レースファン、カーファンは、順序的に言えばACコブラからシェルビー・デイトナだから、GT40に話が飛んだ時違和感があったと思う。ある程度割愛された史実もありながら、チラッとデイトナが映ったりGT Mk.Iが登場したりスティーブ・マックイーンの名が登場する。とくにシェルビー・デイトナの開発中の木製ボディまでリーの背後に映っている。車好きへ向けての配慮も抜かりない。

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当初、この企画はトム・クルーズとブラッド・ピッドで進行していたらしいが、ジャッキーチェンがどんな役柄を演じてもいい意味でジャッキーチェンであるように、トム・クルーズもブラッド・ピッドも存在がキャラクター化しているので、演技派枠のクリスチャンベールとマット・デイモンで大正解だ。

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