椎名林檎のデビュー20周年記念の第1弾作品として、「世代を越える」「ジャンルを越える」「国境を越える」「関係を越える(今回限りのコラボレーション)」をテーマに制作されたトリビュート・アルバム[2][3]。
本作にはAI、井上陽水、宇多田ヒカル&小袋成彬、木村カエラ、私立恵比寿中学、田島貴男 (ORIGINAL LOVE)、藤原さくら、松たか子、三浦大知、RHYMESTER、LiSA、レキシという幅広い年代の様々なジャンルのアーティストたちによる椎名の楽曲のカバーを収録[2]。それに加え、このアルバムのために結成された亀田誠治プロデュースによるスペシャルバンド・theウラシマ'S (Vo.草野マサムネ from Spitz、Dr.鈴木英哉 from Mr.Children、Gt.喜多建介 from ASIAN KUNG-FU GENERATION、Ba.是永亮祐 from 雨のパレード)、さらに海外からはレバノン出身の英国のアーティスト・MIKAも参加している[4][5]。
『アダムとイヴの林檎』が5.23に発売されました。帰り道に購入。
一通り聞いてTwitterを開くと自分のTwitterタイムライン上の音楽家界隈でも一通り話題になっていました。
さて、宇多田ヒカル&小袋成彬の丸の内サディスティックの奇抜なリハーモナイズも、椎名林檎のブレスまでサンプリングするライムスターもどれもこれも最高だったのですが、個人的にアガリまくったのは三浦大知の『すべりだい』。
リズムから始まり、それぞれのサウンドがそろい始めるとDowntempoか!とびっくりした。"ジャンルを越える"とは、ここをやられるとぐうの音も出ない。
要はアンビエンス系のサウンドをスローなテクノ・ヒップホップのようなリズムに乗せ、さらにJAZZなコード/リック/リフが溶け込んだものだが、最近は専らJ Dillaフィールの"in poket"なズレ感も加味された作品が多いし、アンビエンス系と言いつつもファンキーなシンセサウンドがバリバリに鳴っているものも多い。なにがダウンテンポなのかわからなくなってくるが、三浦大知Verのすべりだいは、そのどの要素も絶妙な塩梅で取り入れてるから巧みだ。
J Dillaフィールを絶妙に感じるリズムトラック。イントロではリズムトラックのみなので、わかりやすいと思うが、2小節目の4拍裏にある微妙にズレたハイハットだ。8ビートのストレートとシャッフルのどちらでもない中間的なタイミングだ。これが何者なのか、少しだけJ Dillaについて説明する。
J Dillaとは90年代から2000年代前半にかけて活躍したトラックメーカー、プロデューサーだ。今ではアメリカのヒットソングでもしばしば耳にする“意図的にズレたサウンド”の生みの親である。コンピューター恩恵であるクォンタイズをあえてしないリズムは、例え楽譜上不正確なズレでも、ループして均一化されれば有機的なグルーヴになる。それはよく“J Dilla Feel”、“drunken style”、などと呼ばれたりする。J Dilla、クエストラブ、ピノパラディーノ等のヒップホップ、R&B、ジャズミュージシャンらはそれらを生演奏でアプローチし、新たなるグルーヴの追求を始め、ディアンジェロやエリカバドゥ等の、いわるゆソウルクエリアンズによるNeo Soulからポップな次元に落とし込んだ。意図的なズレのグルーヴは、クリスデイヴのプレイを聞くとわかりやすい。
ヒップホップが生ドラムのサンプリングをし、今度はミュージシャンがそのサンプリングを生演奏で表現する、サンプリングのし合いはいつの時代も続き、リズムの進化の中枢だ。
70年代にコンピューターによる完全にずれの無いリズムが生まれて以降は、生演奏のグルーヴの再解釈が盛んになった。
遠い昔、完全5度以外は不協和とされていたのに、マイナー/メジャーの3度、7度、さらにテンションが加わり、今やハーモニーは使い方次第で不協和音など無いとも言える所まで来ている。長く蓄積された“慣れ”なのか人間の耳の進化なのかわからないが、リズムも同じように変化し、今に至るはずだ。
椎名林檎のトリビュートという、これほどまで注目度の高い一枚の中で『すべりだい』が提示した『椎名林檎/すべりだい』は、今後の音楽シーンの変遷の中で確実に価値のあるアレンジとなるはずだ。
閉鎖的なJ-POPという土俵の上で起きている出来事であるからこそ、敏感な耳を持つリスナーやミュージシャンは嬉しいし悔しいのだと思う。
もう一つ、シンセのファンキーなカッティングが偏差値の高いグルーヴを演出している。このニュアンスや音色はザックウォーターズなどの最近のポップスでもよく聞けるが、ニュアンスはANOMALIEのようなcontemporary jazzなリックに近い。細かい音符で喰って喰いまくり出来た休符を埋めるキックとスネアが首でノらせる。現在進行形のブラックなフィーリングにアレンジャーの造詣の深さを感じた。
それにしても三浦大知のヴォーカル的表現力もすごい。かなりブラックで引き算で出来たシンプルかつ巧妙なアレンジなのに、日本語の違和感を全く感じさせないリズム感に感動した。
絶妙なレイドバック、子音のリズム使いといい、素晴らしい。
あのシンセカッティングの上で歌ってくれないかなぁ...と待てば最後で見事にグルーヴするから思いっきり首を揺らしてノってしまう。
もっと展開してほしいと願うも、余計なことはせずサッパリと終わってみせる。
だから時間も忘れて、想像させる。
この先がもしあればどんなふうに展開する?
これがライブで全てが生演奏だったら?
シンセソロがあるかもしれないし、真ん中のオチからリズムが復帰する所なんて鳥肌もんの復帰になるだろう。
映画を見終わった後に、上映時間と同じくらい考えてしまうのは、それだけ人の心に何かを問いかけたということ。その人にとって素晴らしい映画だったという証である。
たった4分弱の1曲を、初めて聞いた日からずっと考えている。