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『ぶこつ』亀田製薬株式会社——考察・レビュー・解説

『ぶこつ』亀田製薬株式会社

 

“餅を 1cm 内外のサイコロ状に切断、または前記の鏡餅で砕いた破片等を油で揚げた餅。揚げた後に醤油・薬味などをまぶして食べる。——wikipedia

 

『ぶこつ』が美味しい。自分の人生を振り返ってみると、揚げ餅について深く考えたことがなかった。実家を離れ上京して15年、自分で買って食べるおやつはもっぱら、欧米由来のポテトチップスやクッキーなどだ。それに和菓子は高い。『ぶこつ』なんて300円弱したような気がする。それでも『ぶこつ』ずっと好きで書い続けている。『ぶこつ』に出会った時、あの時は気が参っていたのだろう。人生において重大な選択を迫られていた時だった。5年前だ。思い出すと恥ずかしくなるが死ぬほど落ち込んでいて、ひとり暮らしの狭くて暗い18㎡のマンションはマイナス思考をより加速させていた。包丁を持ったままキッチンで朝まで座り込んだりして、自死を考えていた。この時初めて知ったことがある。どれだけ追い込まれた状況にいても死にたい死にたいと嘆いていても朝になればが腹が減るという自分調べだ。何も行動できずに夜が開けて、朝方に昨日のままの格好でフラフラと駅前まで歩き牛丼屋に入って特盛りをかきこむ。外に出てタバコを吸う。むくんだ顔もボサボサの頭も歯を磨いていない気持ち悪さも、とにかくどうでもよくなっていたがとりあえず喉が乾いてスーパーに寄った。喉が乾いて何か飲みたいってのは生きていきたいってことなのか、とも気づいてみたりした。腹が満たされると脳には幸福感を感じる電機信号でも流れるのか、ポテチでも食ってウォーキングデッド の続きでも見ようかと楽観的になりはじめた。お菓子コーナーをうろうろしても選ぶ気になれず、ぱっと見で値段が一番高かったのが『ぶこつ』だった。家に戻り申し訳程度に部屋を掃除して、ウォーキングデッド を流し『ぶこつ』を食べた。死ぬほど旨かった。そういえば昔、小学生の頃に親父が作ってくれた。母親がいない休日に昼から揚げ物しているなと様子が気になっていると親父が皿に盛って出してきたのは「揚げ餅」だった。皿の上に引かれたキッチンペーパーに油が染みている。少しパチパチと音がしていて、揚げたてのそれは熱そうだ。1Lボトルの醤油の注ぎ口を親指で押さえ調整しながら目の前で揚げたての揚げ餅に醤油を染み込ませた。美味しかった。バクバク食べたいけど、どれくらいのペースで食べていいかわからなかったから、少しづつ時間を起きながら親父の様子を伺いながら食べた。そんな遠い日の記憶を、『ぶこつ』が思い出させてきた。少しだけ泣いた。『ぶこつ』の美味しさは、かなりそれに近かったから記憶が鮮明に蘇ってしまった。

自死っていうのは自分とは無関係、そもそも死ぬなら最後に銀行強盗でもやるか全財産何かにギャンブルしたほうがいいんじゃないか、そんなふうに浅はかに考えていたが意外と誰にでもそういう思考になってしまう事象ってのは起こり得るんだなと知った。今となっては生活も収入も安定してさほど大きな悩みは無いが、でもやっぱり『ぶこつ』は高いなと感じる。小学生の頃ってのは何も選択していないからいくらでも可能性があるわけだ。本人たちは何者にだってなれると信じている。自分だって、レーシングドライバーとか武道館でライブとかそんな夢を見ていた。でも、少しつづ大人になっていく過程の中で多くの人が自分は特別な人間ではない、平凡な人生だと受け入れ折り合いをつけていく。やりたいことを追求する代償は、折り合いをつけることに時間がかかってしまうことだ。といっても夢や目標を諦めること前提の話だから、そのまま特別な人間になれる人はここでは対象ではない。親父が揚げ餅を作ってくれたというのは、小学生の時のすごく日常的な瞬間の象徴だと感じてしまい、人生の底に手がついたときに何気なく食べた『ぶこつ』が、あの時と今を線で結んだような気がしてしまったから、特別なお菓子になったのだ。今も、たまに買う時がある。長期休暇だったり、年末だったり、大仕事がひと段落した時だったりと節目な時に。いや、ただの仕事帰りになんとなく買うこともある。純粋にやっぱり美味しいなと思う。そしてまた親父の揚げ餅のこと思い出す。また少ししたら『ぶこつ』を買うと思うが、その時はもう季節が変わっているのだろうか。あるいは生活や仕事の状況も変わっているかもしれない。『ぶこつ』は自分の人生におけるセーブポイントみたいなっている。そうやってまた、この先の人生にも線を繋いでいくことになる。人生の記憶はいつだって断片的だから。