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NISSAN MID4が描いた世界線

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MID4が市場投入されていたら?

MID4がお披露目されたのは85年9月に開催されたフランクフルトショーだった。

MID4とは日産が開発した2シータースポーツカーのプロトタイプだ。『MID』はミッドシップレイアウトの略称でエンジンはシート後方に搭載する。4は4WD・4WS・4カムシャフト・4バルブの意味となっている。

全長4150mm、全幅が1770mmでエンジンはVG30型をツインカム化したエンジンで、馬力とトルクは230ps/28.5kgとなる。4WDはセンターデフにビスカスカップリング式LSDを組み込み。4WS(後輪操舵機構)は85年のR31型スカイラインに搭載されたものだ。その後87年にはMID4(2代目)となり再びモーターショーに姿を現したときには、エンジンは横置きから重量配分に優れた縦置きに変更され、エンジンもVG30型DETT(330ps/39kg)にグレードアップされた。

研究用実験車として登場したこのプロトタイプは、当時の日産の技術をてんこ盛りしていて、当時のカーファンを大きく期待させていた。

もし発売されいたらライバルはなんだった?

おそらくここまでハイスペックだと、販売価格は相当高くなったはず。スペックだけでなく、日産にとってミッドシップレイアウトは他のラインナップとのプラットフォームの共通化が図れずコストアップする。さらにアメリカでは当時日本車の2シータースポーツカーは需要が少なかった。日本車は安価で壊れないことをメリットに勢力を伸ばしていた時期だ。販売されない理由にはおそらくハイコストと、採算の取れないスポーツカー需要。89年にはZ32 フェアレディZのフルモデルチェンジも行い、GT-Rという絶対王者も存在しラインナップの差別化も難しい。

だからこそ1989年に発表したNSXを市販化したHONDAはすごい。当時の価格で800万円〜のNSXは、疑いようもなくその後20年間のスーパースポーツの橋渡しをした。RX-7スープラGT-Rランサーエボリューションなど90年代を代表するレジェンド級のスポーツカーはあれど、スーパースポーツと位置付けられたのはNSXだけだったろう。そこにもう一つの顔としてMID4は、ミッドシップ4WDという特異な生態だ。ミッドシップ4WDで最も認知度が高いのはAUDI R8だろう。

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NISSAN MID4が描いた世界線

もしMID4が市販されれば、確実にNSXと競いあっただろうし、その切磋琢磨から洗練されていけばR35 GT-Rが2007年に登場する頃にはMID4 IIIやMID 4Ⅳなどにフルモデルチェンジされ、もう一つ上をゆくスーパースポーツとしてヨーロッパのような日本製スーパーカーが見れたかもしれない。それだけでなく日産は高級スーパーカーによるノウハウはフェアレディZGT-Rなどにも還元されただろうし、SUPER GTでも採用されるだろう。AUDI R8やLEXUS LFAと肩を並べた日産のスーパースポーツは、やがてe Powerを搭載した新型ハイブリッドスーパースポーツとして再びNSXを顔を合わせる。そんな世界線を見たい。