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モノとポップカルチャー、それっぽく言ったりたまに爆ディス

『gifted/ギフテッド』入念ってどういう意味?考察 レビュー ネタバレ

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※ネタバレ

何年かに一度は天才的子役に巡り合う。『ルーム Room』(15年/レニー・エイブラハムソン)のジャック(ジェイコブ・トレンブレイ)が空を見上げた時の眼差しは、あの年一番の天才的演技だったと覚えているが、ママ役/ジョイとシャワーでふざけあうシーンの、あまりにも自然体な“子供”の仕草、表情は、演技なのかわからなくなるほどリアルだった。そのはず、あのシーンはオフショットでこっそりと監督が回していたらしい。

『gifted/ギフテッド』では、そのシャワーシーンのような自然体で可愛らしくリアルな子役演技が全編にかけて観れるのだから、メアリー・アドラー役、マッケナ・グレイスは、演劇的才能のギフテッドだと、覚えたての用語を使いたくなった。

 

 

 

さて、出来事ははっきりとしていてわかりやすい。閉鎖的な英才教育か、子供らしく普通に育てるかという2択の中で、大人のそれぞれ違った価値観とがぶつかり合い、どんな選択を得て日常に戻るか?ということだ。

 

メアリーには天才的な頭脳があり、バシバシ天才っぷりを発揮するが、遊び心溢れた子供らしい純粋な姿は普通の7歳だ。メアリー自身がどちらかに振り切っているわけではない。

 

反面、大人は二分している。フランクとメアリーという対象的な人物を通して、メアリーにとってどちらが幸せなのか、2つの選択肢として提示する。

「ゴキブリにヒールを盗まれそうになった」とボヤきながら高級車に乗り込むイヴリン、船の修理屋で90年代のやれたピックアップを足にするフランク、フロリダ州タンパという小さな町とマサチューセッツ州。とにかく対象的で、その上裁判に持ち込まれるたらどちらか決めなければならないのだから、観ている側としても、選択肢は二つ、どちらかに決めるという思考で観てしまう。とはいえメアリー自身は天才であり子供であり、その二面性が最大の魅力だからこそ、出来上がるドラマだ。

 

そして妥協案のはずなのに、最悪の選択肢が持ち上がる。これがフランクとメアリーにとって最大で最後の困難、葛藤だ。

 

この判断が想像以上に大きな問題を生んだことに気づくのは早く、不安定なフランクの姿を見せられる緊張感も割とすぐに緩和されるが、至るまでのプロセスに愛猫のフレッドが大きく関わったことが、家族愛としての象徴的なエピソードだ。メアリーにとってもフレッドにとっても適切な居場所がある。家族愛とは程遠いアドラー家との対比でもあった。片目が見えないフレッドの不自由さはメアリーとも通づる部分がある。

 

イヴリンは、ダイアンが遺したミレニアム問題の証明と引き換えにメアリーを諦めた。彼女にとっては名声が一番なのだから非情な女である。ダイアンが自殺したことに何ら責任を感じていない。

一方でフランクは、メアリーをガールスカウトに参加させ普通の子供らしく育てながら、大学の授業も受講させている。ここまでの困難から得た教訓のもと、メアリーにはメアリーらしい教育をしている。選択も妥協案も間違っていたが、意味あるものに変えられるかが重要である。

 

フランクは法廷の中で、哲学専攻の元大学助教授という前職が明らかになった。フランクには、そこはかとなく漂う悟り感と無感情な雰囲気が前半に感じた。メインプロットはメアリーにあるが、サブプロットとしてフランク個人的な問題等の描写や葛藤も絡むと待っていたが、それらしい言及はされなかった。姉の自殺を抱え、ましてや現役を退いた哲学者であることがキモで、『教授のおかしな妄想殺人』(15年/ウディ・アレン)のように、鬱々とした状況から脱するようなフランク本人のディテールをもう少し知りたい気持ちにもなった。

 

 

それから、ダイアンの証明を保管していた金庫のようなものは、最後に取り出す時意外に描写があっただろうか?結末として決定的だからこそ、伏線は必要だったと思うが、記憶が無い。

赤ん坊を抱いたダイアンを説得した話も最後に、本当の話としてクライマックスの重要な部分だが、バーでボニーに話した内容だけでは、どうもインパクトに足らない。

あの時点で、フランクの話の裏に、もっと何かありそうな疑念を持たせる会話にしたら、最後の話の衝撃はもっと強かったはず。

 

反面、メアリーだけは完璧だ。

冒頭の『それで、入念ってどういう意味?』も

『おはようございます〜スティーヴンソンせんせい〜』もたっぷりの皮肉が効いていて素晴らしい。

 

 

 

 

 

13の理由 シーズン2 報復の矛先/シーズン3 予想 考察 レビュー

 

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ネタバレしています。

 

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『桐島部活やめるってよ』を見たときも、やっぱり高校生って大人より複雑だ、と考えた。

13の理由を見終えて思ったのは、やっぱり高校生って大人より複雑だ。

 

桐島部活では高校というコミュニティの中で、ヒエラルキー同調圧力、存在価値、心の裏側に抱えた葛藤がぶつかり合う映画だった。

 

対して13の理由は、今起きている問題に翻弄される彼らが、怒り、憎しみ、悲しみ、といった感情の矛先を見誤った挙句、それらは連鎖し、また次の深刻な問題を生む、かなり深刻な内容だ。

 

蓄積された問題に耐えることが出来ず、ハンナは自殺し、アレックスも自殺未遂、クレイも頭に銃を向けた。ジャスティンはドラッグに溺れ、タイラーは銃乱射事件を起こそうとした。

 

それでも、どうしたって、変わらない。

裁判が終わり、ハンナの死を偲んでも、学校は変わらない。

シーズン2でメインプロットとして学校への賠償を求め、それが認められないのも、そういうことだ。それが事実。

また日常に戻ろうとする学校の中でタイラーの身に起きることは、本当に重い。ハンナの悲劇は繰り返される。

そしてタイラーが『こうするしかない』と、みんなを、学校を、社会を変えようとした行動は、あまりにも残酷だ。

アメリカの銃乱射事件は日本でもニュースになるが、加害者にどんな葛藤があったかまでは知り得ない。

 

未成年の性犯罪、暴力、銃問題、自殺は、“動機と結果”だけでは、その重大な本質を理解するには足らない。

『真実にはいろいろな側面がある』とは劇中で何度も語られてきたが、ハンナの自殺をキッカケに描かれる様々な問題・トラブルの複雑な因果関係は、やはり周りの大人にはどうにも出来ないことがほとんどだと思い知らされる。

校長のいつになっても変わらない薄情な態度は、ある意味、本質かもしれない。運営側がどう変わろうと、高校生は高校生で、どんなルールの元にも同じ問題が起こりうる。

だから、悲劇を起こさない為には、本人が自分自身を変えていくしか無いってことだ。

皮肉なのが、それに気づくには、大人になるしかないということ。

同じぐらいの子を持つ親が見たらかなりキツイ内容だと思うが、高校生なら誰しも、親が想像する以上に隠し事をしているし、トラブルを抱えている。

大人としてどう導くべきか、登場する大人たちの後悔する姿を通して伝わる。

気づくべきだった、聞くべきだった、止めるべだった、話すべきだった。

 

ただただ難しい、考えうるほぼ全ての問題が盛り込まれている。日常的なレイプや暴力がここまで酷くなくても、多感で大人でも子供でもない高校生なら、誰でも極端な感情を持ちやすい。

自分が高校生に戻ったとして、その時にもしこのドラマがあっても、あの時の自分がした間違った選択を変えられる自信は無い。むしろ、衝動的、情緒的、突発的な行動に拍車がかかるかもしれない。翻弄される彼らの姿がリアルで、触発されるだろう。このドラマは17歳以下には不適切とされているのが、大人は、子供に見せないべき、まずそこからだと思った。

 

 

 

ところで、シーズン2のハンナについてだ。

あれはいったい?クレンが想像に見るハンナなのか?幽霊なのか?

幻覚や想像だと思っていたが、会話をし始めるから少し混乱した。クレンの自問自答をハンナ姿を借りて見せている、と解釈して見ていたが、どうしても違和感があった。

どんな設定にせよ、この奇妙な仕掛けは、あまり機能していない。本当は話せないハンナと話すことで、クレンの切ないハンナへの気持ちは伝わるのだが、プロットとしては必要ない。

 

とはいえ、ああ、このシーンがあったから、これでよかったのかと思う所もあった。

シーズン2最終話でハンナとクレンがベンチで話すシーンがある。

クレンは“忘れるのが怖い、でも忘れられないのも怖い”と話す。すると、ハンナは

『ダンスパーティー覚えてる?人目も気にせず、ただ踊り弾けた夜』と問いかける。

クレンは微笑みながら

『ああ覚えてるよ...なんで?』

と聞き返すと、ハンナは

『なんでもない、ただ思い出して欲しくて』

と答える。

 

これが泣けた。あまりにも切ない。死んだ人が、生きている人に語りかける言葉としては、あまりにも切ない。『楽しかったことを思い出して』を最も芸術的に表現するなら、この会話だと思った。というか、実態の無いハンナは、この会話とハンナが教会のドアを出て行くシーンを撮りたいが為に挿入したのかと思うほどグッと来た。なので全否定するわけでも無い。

 

もうひとつ、点と点を線で結ぶには少し強引にも感じた。一気に全話配信というスタイルだから、テレビドラマ特有の何ヶ月スパンで鑑賞するために必要な脚本構成は考慮されてないかもしれないが、それぞれの因果関係が何話もすっ飛ばされて急に展開し始める、といったプロット状の混乱も感じる。

 

シーズン3が決定しているそうで、シーズン1のテープからシーズン2は証言に置き換えられ、どちらもハンナの様々な側面と事実が明らかになっていった。シーズン2で明かされたハンナと周りとの事実が多すぎて、シーズン1の衝撃は割と薄れている。ブライスからのレイプ被害もハンナだけでなくたくさんいた。そしてハンナの自殺についてもある程度落ち着いている。

今後はクロエやタイラー、トニー、あとはその後の言及が無いマーカス。この辺が中心になりそうだが、ブライスは遅かれ早かれ、自分のした酷い行いが、必ず自分に返ってくるだろう。

転校するというのがキーワードだ。

ブライスはどんな葛藤に苦しみ、どんな選択をするか。必ず報復され、自分の身に起きる事で理解するはずだ。

 

 

ロスト・イン・スペース、シーズン1のレビュー、考察。

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ロスト・イン・スペースのシーズン1を見終わった。

見始めて間も無い段階で“チャリオット”について書いたが、シーズン1を見終えたので少し書き残したい。

 

 

とにかくブルボンアソート並みに様々な要素が盛りだくさんでお腹いっぱいの気分だ。

効果的なフラッシュバックで、地球はもう人間の住める星では無いことがわかる。

インターステラーやオデッセイのような地球外移住計画、それからスペースコロニー、ワープして墜落する地球と酷似した環境の星。と、まずはSF要素満載だ。

 

かと思えば墜落してすぐに、正体不明の異星人によって創られた高機能なロボット出会う。

エイリアンのような知的生命体ではなく、ロボットだ。

謎が多いが、とりあえずは子供を慕うロボットという構図になる。何度も何度もいろんな映画で見てきた設定だが、何度やられても良い。鉄板すぎる。子供にだけ心を許すロボット、友達だと絆を深くしていく子供。遅かれ早かれ、この二人にはいつか何かしらのドラマが起こり泣かされることはわかった。

ロボットの能力や機体を見る限り、知能レベルは人間よりも遥かに高いはずだ。それなのになんだ。

初めてみた相手がご主人様になるニワトリみたいなプログラム、ベタにキャッチボールを教わったり、砂に絵を描いたり。ベタベタすぎて素晴らしい。子供×ロボット街道ひた走る。誤解が無いように申し上げると、すごく褒めている。

ちょっと子供っぽくて、だけど凄まじいパワーを持っている、どこかチャッピーを思い出した。

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他の生存者たちと合流し、ベースキャンプを設営したあたりから、開拓、冒険という楽しさが倍増する。未知の生物との対峙はSFの醍醐味だし、他の惑星の植物の描写が新鮮で素晴らしい。紫色の芝生、木に生えた奇抜なキノコなどが映り込むワクワク感は正にSF的快感だ。

それにこの星が地球と酷似した環境ということから、専門家たちによる、生息する生物の分析が地球上でのセオリーと共通性が高く、困難と攻略法がわかりやすい。

リアルなのか非現実的なのかわからないが、スッと理解できて楽しい。あの洞窟にいた恐竜みたいな鳥は眼が見えないことに気づき攻略したが、コウモリみたいなものか。いてもおかしくない。ある意味人類が誕生しなかった地球の未来を見ているようでもある。楽しい。

 

 

シーズン後半からはチャリオットが乱用され、クルマ好きやメカ好きには幸せな時間が多かった。ああいうアドベンチャーなギアはたまらない。名劇中車として認めたい。これについては別記事にて語ったので割愛する。

 

途中、タールの沼に沈んだ、それ必要だった?的シーンに目をつむりながらも、ロビンソン一家に立ちはだかる幾たびの困難にはワクワクさせられる。

クライマックスの、センサー無し、レーダ無しの無線支持のみによる大気圏通過宇宙飛行は胸熱な展開だった。機体を軽くしなければいけない、到達までのタイムリミットによる足枷もある。

そして各分野のプロフェッショナルの結束の賜物、ワイルドスピード的なケイパーもの感が漂うミッションインポッシブルも、何はともあれ成功するので、映画的鉄板ルール満載で確実かつ順調に楽しませてくれる。

 

嫌な役回りのドクタースミスも存在感抜群だ。悪知恵ばかり働くのに、時折親切な素振りもする。かと思えば、見ている人に『だと思ったよ』と何度も言わせるほどに裏切るから、話が長引く。

でも、それで良い。そうやってドラマという時間的制約の緩い土俵を大いに利用して、まだ活用されぬ要素もたくさん溶け込ませて欲しいのだ。

A.I.のような“本当の愛”やエクス・マキナのような“人口知能と人間の境界線”、第9地区のような“人権的な問題”、もっと言えばマトリックスのような仮想現実化された星が登場したりもいいんじゃないか。言及する暇が無ければスピンオフすれば良い。

壮大で多角的ジャンルミックスSFとしてシーズン5くらいまで100億円レベルで作り続けて欲しいわけであります。

 

ラストはロボットの星と思わしき光景の前に呆然とし、終わる。次シーズンではロボットの星の知能指数や環境などが明らかになるのだろう。

 

これから先も楽しみであります。

 

スリービルボードの結末は、ただただ穏やかだった

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2、3分もすればたちまち登場人物への印象がコロコロと変わっていく。意外な展開の連続。

見当違い、ちょっとしたボタンの掛け間違い、チグハグな連鎖が思いもよらない方向へ。

 

ミルドレッドは、その復讐心を見当違いな所へ手当たり次第に向け、手段を選ばない憎しみに囚われた女。邪魔になる存在は徹底的に潰す。イタズラした息子の同級生を金蹴りするほどだから、次第に同情できなくなってくる。

 

ウィルビー署長は、いかにも怠慢でダメな警察署長としか見えなかった。でも裏ではきちんと仕事していたし、被害者やミルドレッドのことを思っていたことがわかる。そして自らの余命を語ることなく気丈に振る舞い、最期にとった選択は彼の人柄ゆえだった。

 

 

ディクソン巡査は暴力的でレイシストで賢くない。なにかと感情的にことを運ぼうとする男。当たり前にあった警察官という職を失った時、自分は何者なのか、自問自答したのだろう。理不尽な仕打ちをした相手からも、跳ね返ってきたのは優しさだった。その時、横暴な彼とは違う、裏側の良心がはっきりと顔を見せた。

 

3枚の看板が設置されなければ、こういった登場人物の裏側は見れなかったかもしれないし、お互いがその姿を知ることはなかった。

 

途中、看板はただ酔っ払っただけの元夫に燃やされる。どんな対立者が隠れているのだろうか、そんな疑念も、実際は矛先の見当違いが引き起こしていただけで取るに足らない理由だった。

3人も同じように、掛け違い、履き違え、寄り道ばかりする。復讐に燃え、奮い立つように遅くなった正義心に燃え、また燃え尽きたものもいた。3枚の看板は、3人を象徴していた。

 

 

ディクソンとミルドレッドが終盤でブランコで話すシーン。期待させてすまない、ありがとう、と言葉を交わす。ディクソンの去り際、ミルドレッドの背後からのショット。

遠くに見える、3枚に並んだ看板。見えたのは丸焦げになっている裏側だった。

家からはずっと見えていたはずの景色なのに、俯瞰することはなく、ミルドレッドと看板はスクリーンの中でいつも近くにあった。丸焦げて傷ついたその姿を、ディクソンやウィルビー署長に重ね合わせ、ミルドレッドはやっと感じ取ったのだろう。見ていた姿と、見えなかった姿。知らなかった姿と、知っていたつもりだった姿。

 

多くの人が、電話のシーン、『俺も行こうか?』というセリフを待っていたと思う。

恐らく二人にとって彼を殺すか殺さないかは重要でなかったはずだ。

言葉にはせず、お互いの波長を感じ取り、顔を合わせたかった。

 

ラストの車のシーン。ディクソンは怪我の原因となった、彼女を恨んではいなかった。原因よりも、過程の中で知った、あのオレンジジュースの価値の方が何倍も大きい。彼はそれを、ロジカルに分析出来てはいないだろうが、彼なりの感覚で感じ取り変化をもたらしている。

 

この先、どこへ向かえば満たされるのかわからない二人が、流れる景色の中で拙い会話を交わす。緊張の糸を解すように、そして自分に言い聞かせるように、”道々考えればいい”とミルドレッドが言葉にした時、掛け違えてきたボタンがやっと掛け合ったような気がした。スリービルボードの結末は、人を殺しに行こうかと落ち合ったはずなに、劇中どの瞬間よりも穏やかな時の流れだった。

 

 

 

Netflix版ロスト・イン・スペース、あの車チャリオットのデザインと継承(レビュー・考察)

 

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Lost in space "chariot" 2018 ver!!

ロスト・イン・スペース "チャリオット"

ロスト・イン・スペース』は1965年のテレビドラマ『宇宙家族ロビンソン』に基づき、2018年に公開されたSFテレビドラマシリーズである。航路を外れて宇宙船で遭難した開拓者の家族の冒険を描く。Legendary Entertainment、Synthesis Entertainment、Appleboxによって製作され、ザック・エストリンがショーランナーを務める。

wikipedia

 

 

Netflixの『ロスト・イン・スペース』に登場する"チャリオット"と呼ばれるアドベンチャー・モービルが非常にかっこよかった。『ロスト・イン・スペース』は1965年ドラマ版の宇宙家族ロビンソンを元に制作されているが、当時にも登場する同名のモービルがあり、今回のはまさに、オリジナルの現代版だ。

さすがに65年のドラマは見れていなくて、詳しくは知らないがチャリオットについては知っていた。普段、冒険で使うような夢いっぱいの車をいつも調べていて、『adventure mobile』とか調べていた時に、チャリオットに行き着いたことがあった。

調べてみると、劇中車マニアの間ではレプリカが制作されたりと、割とポピュラーなマシンらしい、とそれくらいの情報だけ持っていた。

 

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Netflix版ロストインスペースの予告などは見ずに本編の視聴を始めたので ドラマで『チャリオット』というワードが出た時にはワクワクした。できればキャタピラじゃなくて4輪がいいな〜...と個人的な期待もしつつ、登場の時を待っていた。65年版のチャリオットは知名度の高いマシンなので、現代のセンスと技術と予算で創造したら、いったいどんなマシンになるのか。白いベールに包まれて登場するシーンは乗り物好きの心を鷲掴みにする。制作側もチャリオットへの期待を知っているからこその演出だ。

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ジュピター2と呼ばれるらしい、最初の一台。スタイリッシュだ。近未来SFものとしては珍しいほど直線的なデザインで、リアの斜めなデザインも、オレンジのラインも非常にレトロ感がある。それに対して、無骨で筋肉質な足回りが抜群にかっこいい。

 

最近の車業界でも、80sがそろそろヴィンテージと言えるくらい過去のものになって来て、ランドクルーザー70シリーズの復刻やスズキ・アルトやのようなレトロで80sライクな車が、車好きを沸かせている。映画の中でも、SFチックな曲線的で未来的なデザインよりも、よりリアルで実用的なマシンがたくさん見られるようになった。

ヘイローのワートホグなんかもそのうちに入ると思う。

f:id:sugroup:20180528181214j:plainHalo Warthog

 

車内は6人乗り、天井が高くて移住空間が非常に良さそうなのが冒険心をくすぐる。

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地形をスキャンしたり、足回りを"冬モード"に変更、などの描写もあり今後どんな機能を発揮してくれるか楽しみでしょうがない。

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一見コンパクトに見えるが、実際はかなり大きい。

lost-in-space-2018.wikia.com

こちらのサイトでは撮影時のトラックの前に止まるチャリオットの写真が掲載されているが、大きさはトラックとほぼ変わらない。2トントラックくらいの全長と全高がありそうだ。

 

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ちなみに65年版ではThiokol Snow Catのシャシーをベースに作られていて、キャタピラだった。他の惑星での走破性、機能性を存分に表現したデザインとディティールだ。2018年版チャリオットもフロントがガラスパーツが多いが、これも65年版のガラス張りデザインの継承だ。

「lost in space chariot」の画像検索結果

www.drivingenthusiast.net

 

youtu.be

 

 

 

Bruno Major(ブルーノ・メジャー)"Easily"ミュージックビデオの考察とレビュー

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ロンドンのインディーズ、シンガーソングライターのブルーノ・メジャー。2016〜2017年に1ヶ月に1曲の新曲を1年間リリースする企画で人気沸騰したらしい。

スローテンポなR&Bで、メロウな楽曲が多くて、どことなくサム・スミスに近い。どうやらサム・スミスの前座も務めたことがあるみたいだ。

 

もともとギタリストらしく、シンガーソングライターどうこう以前にまずギターが非常にイケてる。Jazz/Bluesスタイルでダイナミクスのコントロールがすごく繊細。

 “Easily”はSpotifyで1000万回再生されるほどヒット。ジャズリフがセンチメンタルなトラックに溶け込んでいて、ドラムの音符の少なさ故のリズムの溝は、ゆったりとしたジャジーな空気感を引き起こし、ちょっと苦くて悲しい雰囲気になっている。

おまけにこの曲のミュージックビデオが非常に良い。

 

youtu.be

 

 

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シネマライクなこのミュージックビデオ、まるでヒューマンドラマのエンディングを見ているようだ。

Easilyのサウンドもさることながら、この男の日常が非常に寂しく、そして悲しくさせる。

不真面目な生徒にうんざりし、薄暗いスーパーに一人で寄り、腹を満たすためだけのような食事をとりながら、輝かしかった過去の、自分の試合ビデオを見る。

当時のユニフォームを寝巻きにして、歯を磨いて、トロフィーを磨き、夢を見る。

どう見たって彼は良かった過去だけに囚われ、前進することを忘れてしまっている男だ。

彼が眠りについて見る夢は、彼が欲しかった全てが描かれている。しかし、それは”何かに挑戦する男”が目指す野心に溢れた未来を展望するものではなく、現実には訪れない理想だ。未来の無い生き方をしていることに気づかず、時間を消費してしまっている。なんとも苦い気持ちになるが、人ごととも思えないリアルだ。子供の頃は、将来の夢はありったけに広がっていたが、大人になるとこの先に広がっている未来なんてたかが知れてしまう。こんな人生だったら良かったと、過去を改変するだけの想像は未来を失くしてしまう、そんな風に語りかけられているようにも感じる。

投げたボールがヒットする男は、ブルーノ・メジャー本人だ。彼に対してボールを投げることは、ブルーノ・メジャーは反主人公的なキャストということだろう。彼とは逆にいる挑戦する男だ。

横にいた女性は、彼が一人であることの象徴のように見える。彼にはなぜ妻、家族がいないか?そのリアルな理由には言及しない。なぜならこれは"彼の理想"だから。彼にとって都合の悪いことは現実世界の見ぬふりしてきた過去に置いてきぼりだ。

『俺はスポーツと戦って来た、ずっと忙しかったんだ』そんな風に正当化して、孤独の理由にしているんだろう。気にくわない男といい雰囲気だった女性が既婚者だったら、なおさら気分がいいはずだ。

一斉にその場の全員が笑うが、過剰な笑顔がどうしても悲しい。外からみていると、気持ち良さそうな寝顔の彼が笑われているようにしか見えないからだ。

Appleが資金提供し制作されたこのビデオ、ただの"イメージ"ではなく楽曲の魅力を何十倍にも引き出している秀逸なビデオだった。

 

 

そしてもう一曲、名曲“Like Someone in love”のカバー。Chet Bakerのバージョンにかなり近く多分影響も受けているだろうしコードも引用されている。J Dillaフィールなリズムがミックスされ、絶妙な"ズレ"感で揺らす。Contemporary Jazzな潜在能力もプンプン匂わせ、良い意味でシンガーソングライター離れしたミュージャンズミュージャン的魅力を兼ね添えている。

youtu.be

 

 

 

 

『アダムとイヴの林檎』の三浦大知"すべりだい"を考察しレビューする

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 椎名林檎のデビュー20周年記念の第1弾作品として、「世代を越える」「ジャンルを越える」「国境を越える」「関係を越える(今回限りのコラボレーション)」をテーマに制作されたトリビュート・アルバム[2][3]

本作にはAI井上陽水宇多田ヒカル&小袋成彬木村カエラ私立恵比寿中学田島貴男 (ORIGINAL LOVE)、藤原さくら松たか子三浦大知RHYMESTERLiSAレキシという幅広い年代の様々なジャンルのアーティストたちによる椎名の楽曲のカバーを収録[2]。それに加え、このアルバムのために結成された亀田誠治プロデュースによるスペシャルバンド・theウラシマ'S (Vo.草野マサムネ from Spitz、Dr.鈴木英哉 from Mr.Children、Gt.喜多建介 from ASIAN KUNG-FU GENERATION、Ba.是永亮祐 from 雨のパレード)、さらに海外からはレバノン出身の英国のアーティスト・MIKAも参加している[4][5]

Wikipedia

 

アダムとイヴの林檎』が5.23に発売されました。帰り道に購入。

一通り聞いてTwitterを開くと自分のTwitterタイムライン上の音楽家界隈でも一通り話題になっていました。

 

さて、宇多田ヒカル&小袋成彬の丸の内サディスティックの奇抜なリハーモナイズも、椎名林檎のブレスまでサンプリングするライムスターもどれもこれも最高だったのですが、個人的にアガリまくったのは三浦大知の『すべりだい』。

 

リズムから始まり、それぞれのサウンドがそろい始めるとDowntempoか!とびっくりした。"ジャンルを越える"とは、ここをやられるとぐうの音も出ない。

要はアンビエンス系のサウンドをスローなテクノ・ヒップホップのようなリズムに乗せ、さらにJAZZなコード/リック/リフが溶け込んだものだが、最近は専らJ Dillaフィールの"in poket"なズレ感も加味された作品が多いし、アンビエンス系と言いつつもファンキーなシンセサウンドがバリバリに鳴っているものも多い。なにがダウンテンポなのかわからなくなってくるが、三浦大知Verのすべりだいは、そのどの要素も絶妙な塩梅で取り入れてるから巧みだ。

 

J Dillaフィールを絶妙に感じるリズムトラック。イントロではリズムトラックのみなので、わかりやすいと思うが、2小節目の4拍裏にある微妙にズレたハイハットだ。8ビートのストレートとシャッフルのどちらでもない中間的なタイミングだ。これが何者なのか、少しだけJ Dillaについて説明する。

J Dillaとは90年代から2000年代前半にかけて活躍したトラックメーカー、プロデューサーだ。今ではアメリカのヒットソングでもしばしば耳にする“意図的にズレたサウンド”の生みの親である。コンピューター恩恵であるクォンタイズをあえてしないリズムは、例え楽譜上不正確なズレでも、ループして均一化されれば有機的なグルーヴになる。それはよく“J Dilla Feel”、“drunken style”、などと呼ばれたりする。J Dilla、クエストラブ、ピノパラディーノ等のヒップホップ、R&B、ジャズミュージシャンらはそれらを生演奏でアプローチし、新たなるグルーヴの追求を始め、ディアンジェロやエリカバドゥ等の、いわるゆソウルクエリアンズによるNeo Soulからポップな次元に落とし込んだ。意図的なズレのグルーヴは、クリスデイヴのプレイを聞くとわかりやすい。

 

 

ヒップホップが生ドラムのサンプリングをし、今度はミュージシャンがそのサンプリングを生演奏で表現する、サンプリングのし合いはいつの時代も続き、リズムの進化の中枢だ。

70年代にコンピューターによる完全にずれの無いリズムが生まれて以降は、生演奏のグルーヴの再解釈が盛んになった。

遠い昔、完全5度以外は不協和とされていたのに、マイナー/メジャーの3度、7度、さらにテンションが加わり、今やハーモニーは使い方次第で不協和音など無いとも言える所まで来ている。長く蓄積された“慣れ”なのか人間の耳の進化なのかわからないが、リズムも同じように変化し、今に至るはずだ。

椎名林檎のトリビュートという、これほどまで注目度の高い一枚の中で『すべりだい』が提示した『椎名林檎/すべりだい』は、今後の音楽シーンの変遷の中で確実に価値のあるアレンジとなるはずだ。

閉鎖的なJ-POPという土俵の上で起きている出来事であるからこそ、敏感な耳を持つリスナーやミュージシャンは嬉しいし悔しいのだと思う。

 

もう一つ、シンセのファンキーなカッティングが偏差値の高いグルーヴを演出している。このニュアンスや音色はザックウォーターズなどの最近のポップスでもよく聞けるが、ニュアンスはANOMALIEのようなcontemporary jazzなリックに近い。細かい音符で喰って喰いまくり出来た休符を埋めるキックとスネアが首でノらせる。現在進行形のブラックなフィーリングにアレンジャーの造詣の深さを感じた。

 

 

My Jam

My Jam

  • Zak Waters
  • ポップ
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

 

 

それにしても三浦大知のヴォーカル的表現力もすごい。かなりブラックで引き算で出来たシンプルかつ巧妙なアレンジなのに、日本語の違和感を全く感じさせないリズム感に感動した。

絶妙なレイドバック、子音のリズム使いといい、素晴らしい。

あのシンセカッティングの上で歌ってくれないかなぁ...と待てば最後で見事にグルーヴするから思いっきり首を揺らしてノってしまう。

もっと展開してほしいと願うも、余計なことはせずサッパリと終わってみせる。

だから時間も忘れて、想像させる。

この先がもしあればどんなふうに展開する?

これがライブで全てが生演奏だったら?

シンセソロがあるかもしれないし、真ん中のオチからリズムが復帰する所なんて鳥肌もんの復帰になるだろう。

 

映画を見終わった後に、上映時間と同じくらい考えてしまうのは、それだけ人の心に何かを問いかけたということ。その人にとって素晴らしい映画だったという証である。

たった4分弱の1曲を、初めて聞いた日からずっと考えている。