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Netflix『ザ・ギルティ(The Guilty)』解説・ネタバレ・批評・レビュー

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『The Guilty(2021/Netflix)』は2018年の同名デンマーク映画のリメイクである。もともとオリジナルの『The Guilty(2018)』が斬新な技法として高く評価されたのは、『音だけで誘拐事件を把握する』という設定に乗っかり、展開していく出来事をそのまま信じていくと、いつのまにか観客は足下を救われる——という、ある意味、叙述トリック的な仕掛けにあった。日本では“カメラを止めるな!に続く新感覚映画”などと宣伝されたが大きな話題にはなっていない。オールタイムベストには残らないが、そこそこ楽しめた映画というくらいが打倒かもしれない。

同様のサブスリラージャンル古典的映画としてフォーン・ブース(2002)』や『オン・ザ・ハイウェイその夜86分(2013)』などが挙げられるが、これらに比べ『The Guilty(2018)』が特に斬新というわけでも無かった。しかし、同じ絵、電話のみという斬新でありながら大きな弱点を、明快さとテンポの良さ、そして誘拐事件というアイディアで見事にクリアしていた。

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リメイク映画の良し悪しは、リメイクが行われるべきだった理由をまず検討することだ。『The Guilty(2021/Netflix)』の致命的な欠陥はまさに、これに尽きる。オリジナル、デンマーク版では見られなかった、明確なビジョンは無いのだ。また、一人の役者、一つの場所だけに焦点を当てる場合、非の打ちどころないサウンドメイクが必要不可欠である。耳鳴り、心臓の鼓動など——しかし、これをなるべく排除した、ようにも受け取れるのは、ジェイクの悲痛な表情や叫びにその役割を与えたからなのか。例えば無表情に耳鳴りというシーンがあったとする——いま彼は何を思っているか?感じているか?監督は、それを読み取れるという観客への信頼が無かったと言わざる終えない。

さらに主人公は過去に何をしたか?——これはアメリカの重大なトピックである警察の残虐行為であることがわかる。内包された社会的メッセージを取り扱うための十分な時間が与えられていないことにも、疑問が残る。電話で事件に介入していくことはルールを度外視した行為、しかしそこには誰かを救うための本能的行動がある。それと、過去の過ち。それらを対比したときに、観客は彼をどう見るのか。そういった問いかけを行うためのベースはあるのに、行われない。即物的なスリラーから途端に道徳的になるだけの平凡な作品となってしまっているのである。

つまりリメイクが行われるべき理由とは、“それ”だったはず。アメリカ映画として何を問うか?もっと言えば、誰かを救おうとすることと、過去の過ちの対比——それが一人の人間であるという複雑さの先に白黒つけない道徳的解釈があるのではないか?

ちなみに、そのような映画表現については、『クラッシュ(2005)』マット・ディロンタンディ・ニュートンのエピソードが超秀逸である。

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そして、白紙の状態で生まれた作品であるならまだしも、リメイクだから遥かに劣った作品と評価されてしまうのは致し方ない。

しかしながら、さすがのジェイク、パフォーマンスは素晴らしい。

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『雨の日は会えない、晴れた日は君を思う(2015)』ナイトクローラー(2015)』に見れたような、内包する葛藤や不安定さを表現する虚な眼差しが良い。なんとか彼のパフォーマンスにより平均点くらいまで持ち上げているのは言うまでもない。ジェイク・ギレンホールでなかったら、なかなか見れた映画じゃないだろう。

 

 

自動車歴史で最もひどい50台(All Time American Worst Car)を全て解説。そして考察。

アメリNBCが2005年に行った『All Time American Worst Car 50』という、自動車歴史で最もひどい50台を選定する企画。この50台を日本語で解説する記事があまり見当たらないため、自身の積み上げた本・雑誌や英語圏のサイトなどを参考に解説してみることとした。これは自らの覚書でもあり、暇つぶしである。

いよいよ調べを進めてみると、想像以上に膨大な時間と労力費やす。いったい何のために、さほどPVもないこのブログために、と挫折しそうになる時もあった。しかし、この50台が巻き起こした失敗の数々は、その時代背景や企業理念などが色濃く読み取れる。自動車史に、より詳しくなった達成感がインセンティブである。

 

No.50

1978 ダッジ チャレンジャー

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伝説のマッスルカーの名を身につけ復活を遂げた’78チャレンジャー。

しかし、それまでのチャレンジャーとの共通点は名前のみで、実際は’77 三菱 ギャランのOEM車である。よってエンジンは2.6リッター4気筒で77馬力というチャレンジャーの名に相応しくないパフォーマンスが不人気の理由だ。

当時ダッジには利用可能なV8エンジンがなく、ハイパフォーマンスではなくパーソナル・コンパクトラグジュアリーカーという新たなカテゴライズとして売り出しされたものだった。とはいえ、それが果たしてチャレンジャーブランドなのか疑問も残るが、高性能なステレオやデジタル表示、メモリーシートなど利便性と豪華さ追求し、品質が悪かった70年代のアメリカ車と対象に日本らしい高品質さが垣間見える。

やはり、チャレンジャーの名とはギャップがありすぎたパフォーマンスの悪さとスタイリングは当然のようにワーストカー入りを果たしてしまう。名前さえ違っていたら名車として語り継がれたかもしれない。

 

 

No.49

1993 フォード アスパイア

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歴史を掘ってみると、フォード・マツダ・起亜自動車の三角関係が見えてくる。

80年代、マツダの親会社はフォードであり、マツダは起亜と技術提携を結んでいた。オート三輪から始まり、ファミリア、ボンゴなど起亜が生産したマツダ車は多くある。

さらに起亜はフォードのパートナーでもあった。

 

1986年、起亜産業(現在の起亜自動車)が自国内でプライドという車を販売していたのが始まりである。このプライドをマツダの協力によって日本フォード・フェスティバとして販売する。さらに起亜によって生産された左ハンドルのフェスティバは、フェスティバは5として世界各国のフォードディーラー向けに輸出される。

 

そしてフェスティバ2代目として登場したのが今回のモデル。起亜からはアヴェラという名で販売され、北米市場向けが『アスパイア』だ。同じく起亜が生産している。

先代のフェスティバ5は3ドアハッチバックブリスターフェンダーが特徴だった。ランチア・デルタやアウディ・クアトロ、ルノー5、ホンダ・シティなどを彷彿とさせるデザインで人気を博した。モデル末期にはドイツ・スカラ社がデザインした限定車も登場するなど名車としての位置付けを確立している。

しかし、この事実上二代目のアスパイアはクーペデザインに変更した結果、その質感の低い大味なスタイリングと、さらにリアシートが使い物にならず販売は低迷する。

当時はオプションとしてAT車が選択できたが、性能がひどく時速100kmまで16秒という遅さに加え、パワステMT車のみ。2010年のモナッシュ大学の中古車安全性評価では星1つという査定評価を得た。先代から一転、不人気車の代表格の仲間入りとなってしまったアスパイア。フェスティバの歴史は、その後のデミオマツダ2へとつながっていく。

No.48

1989 フォード・サンダーバード

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こちらは’78 ダッジ・チャレンジャーと同じようにサンダーバードというブランドを壊してしまったため、低評価されている一台である。

サンダーバードに限らず、アメリカの1990年代はマッスルカーを殺した10年と呼ばれている。90年代に入るとアメリカ自動車メーカー各社は大きくて箱型のデザインから、丸みを帯びた空力形状となる。デザインはNew edgeとカテゴライズされ、洗練された次世代のスタイリングは高級グランドツーリングカーや、ファミリカーにはマッチしても、じゃじゃ馬で筋肉質なマッスルカーには、このNew edgeは受け入れられない。

60年代から70年代前半までのマッスルカーとしてビックネームだったモデルは、いくつも90年代に復活したが、必ずデザインで低評価されている。

どれも丸くて重くて遅い。’95 シボレー・モンテカルロ、‘93 シボレーカマロ、’93 ポンティアック・ファイヤーバード、’94 フォード・マスタングなど...。例は尽きない。

このサンダーバードもそのうちの一台である。90年前後と言えば、日本では日産のZ32やトヨタの70スープラが280馬力に達し、安全性から馬力に自主規制が設けられた時代である。対して、このサンダーバードはマッスルカーの名を受け継ぎながら、わずか230馬力、そして重さは1.8tである。さらに痛々しいほどレスポンスの悪いと言われるオートマチックミッション。

とは言え、当時カーオブザイヤーも受賞しており、評価されていた一面もある。

選出されたワーストカーの中では比較的マシな境遇だ。熱狂的なカーファンにとっては残念な後継車であるが、当時の環境保全、コスト削減、ヨーロッパ車・日本車などと競合する上で、消して順調な経営状況ではなかったアメリカ車が、コアファン向けの伝統的なマッスルカーを復活させるよりもパーソナルラグジュアリーカーとして提案し、ターゲットを広くすることが生き抜く術だったのかもしれない。時代性が色濃く出ているこの年代のアメリカのフラッグシップ。30年の時を経てもはやヴィンテージとも言えよう2021年現在、車好き界隈では、その存在に少しづつ気になり始めている雰囲気がある。なんせ'93 フォード・マスタングですら50万円くらいで買えるのだから。90年代に、復活に失敗したビッグネームを持つ後継車たちは、近い将来ヴィンテージとして注目されるかも?

 

No.47

1987 スターリング・825

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スターリングというブランドは、英国オースチン・ローバー・グループ(ARG)による米国向けブランドだ。中身はローバーの800シリーズにバッチを付け直して米国で販売していた、というものだ。この『All Time American Worst Car 50』はアメリNBCの企画であるため、よってスターリングの名で選出されている。そしてこの825というセダンはアメリカ市場最も最悪の車として認知されている。

この825には姉妹車車としてアキュラ・レジェンドがある。今なお最悪の車として語り継がれる825に対して、日本製であるレジェンドは販売初年度にトップランクを獲得している。

当時ARGはホンダとパートナーシップを結んでおり、米国で収入性を改善したいホンダとジャガーと同じ成功を収めたいARGは、高級セダンの開発を共同で開発しスターリング・825とアキュラ・レジェンドという姉妹関係が生まれたのだ。

この栄光と失脚、分かれ道を探ってみると、このモデルはホンダがパワートレイン、ARGがフレームとサスペンションの開発という分担がされていた。その他空調やシートフレームなどの共通パーツはあるものの、サスペンションのチューニング・インテリア・板金に関しては両社別々の道を歩み、825はARGが持つイギリス工場、レジェンドはイギリス工場でも生産されたが、品質を好むアメリカ市場向けは日本の工場で製造された。

そうして販売された825はとてつもない数の不良が発覚する。特に問題視されたのは電気系統である。燃料計不備、グローブボックス固着、ステアリング中心のずれ、クルーズコントロール不正確、ドアモールが取れる、アライメントの崩れ、サンルーフが開かない、フロントガラスワッシャーが機能していない、ライトが壊れている、トランクが緩む、シートが調整できない、パワーミラースイッチ故障、ブレーキ警告灯が点灯、グリルが落ちる、キー入力チャイムが断続的に発生など、およそ3万キロ走っただけでこれほどの不良が発生する。また825のインテリアは木で作られていたため腐食とクラックが入ってしまうなど、主にルーカスインダスリーズに外注した電気系統と、内装に関わる不良で、見た目は同じでもこんなにも違う車に育ってしまったのだ。対してホンダは電気系統もホンダ製であり、トラブルとは無縁だった。

1年後にレジェンドは7万台売れ、825は2万台。さらに825は低迷し、その後827を発表するが全く売れずに最終的に大値引きオファーをするも低迷は続きスターリングブランドはARGによって廃止され、幕を閉じた。

兄弟とは時に、正反対の性格持つという言葉に心当たりがある人も多いだろうが、825とレジェンドは栄光と失脚を地で体現してしまった歴史に残るトラブルカーである。

中古車市場で最も見かけないブランドである。

No.46

1957 ルノー・ドーフィン

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戦後の消費者の生活水準の向上に対応できる車としてドーフィンは登場した。この年代のアメリカ車を見れば一目瞭然、比べてチープな造りである。時速100kmまで32秒かかるたった32馬力のドーフィンは、そのスピードはカレンダーで測定できると揶揄されたほどである。特に錆に弱いことが問題で、1年経てばフロントエンドは錆び付いてしまったため、多くの購入者にとって悲惨な結果になったという。

しかし、売り上げは記念碑的セールスで10年間で200万台が販売されている。この時代の人々は、たとえそれがどんな問題があろうとも、とにかく車を欲しがっていたということがわかる。

 

No.45

1983 プリムス・カラベル

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プリムス・カラベルは、それまで売れ行きの悪かったクライスラー・Eクラスの兄弟車として販売された。プリムスは1928年にクライスラー社によってスタートした販売ブランドであり、その後ブランド廃止の2001年まで膨大な車種をリリースしてきた。

 この車を読み解くには、クライスラー社が1970年代に経営難に陥り、再建を目指して開発した“Kカー”というキーワードが鍵である。読み解くというのは何も謎深いわけではなく、歴史埋もれたというか、言い方を変えれば、誰も覚えていない不人気車のその最たるものという意味で、詳細がマイナーな内容であるということだ。

 Kカーとはクライスラー社のFFプラットフォームである。80年代は特に欧州や日本のコンパクトカーが市場を席巻しており、米国自動車ビッグ3もダウンサイジング化を図るに伴って開発された。クライスラーは1981年に登場したコンパクトカー『ダッジ・エアリーズ/プリムス・リライアント』皮切りにあらゆる車種の後継モデルに採用し、このFFプラットフォームを、それまでの5リッター越え・全長5メートル越えのフラッグシップセダンにまで採用し、エンジンも直4にダウンサイジングするなどし、これにより経営危機回避には貢献したものの、膨大な数となったKカーの中には鳴かず飛ばずの車種も多く、この年代のアメリカ車は軒並み低評価である。

 その中でも、最も埋もれた存在のカラベル。全長4.1mで直列4気筒2.2リッター。エントリークラスセダンとはいえ、アメリカらしからぬ迫力の無さで、そもそも売れなかったクライスラー・Eクラスと車は同じであるわけで、プリムスブランドにしたところで売るはずもなく、「Caravelle」という名は15世紀にポルトガル人が使用していた帆船「Caravel」にちなんでいるがスペル間違いをしており、揶揄される対象となってしまっている。

 

No.44

1982 シボレー・カマロスポーツクーペ

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第3世代のカマロにはスポーツクーペ、ベルリネッタ、Z28という3のグレードが導入されており、この第3世代のカマロと言ってまず想像するのはZ28だろう。Z28には5リッターV8エンジンが標準装備されており、カマロの名に恥じないエンジン、そしてスタイリングは高評価でカーオブザイヤーも獲得している。そんなZ28でさえパワー不足には批判があった。馬力は145psである。さらに重量は1.5トン弱と、当時アメリカ車を圧倒した 日本車や欧州車のコンパクトなスポーツクーペに比べ大きく重い。

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 対してベースグレードのスポーツクーペはエコノミークラスユーザー向けに提案されたグレードで、パフォーマンスよりもスタイルが優れた安価な2+2を探しているユーザーにアピールするために作られている。そのためポンティアックモーター部門によって開発された2.5リッター4気筒エンジンを搭載し馬力は90ps程度しか無い。ちなみに、ほぼ同世代の1981年登場した3代目セリカは重量1030kgに対し直列4気筒で170psである。日本車がいかにコンパクトで優れた運動性能を発揮していたか、比べると一目瞭然である。

No.43

2003 シボレー・SSR

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シボレーはこのSSRを「世界初のコンバーチブルピックアップトラック」と呼び、レトロなスタイリングは1947-53年の戦後間もないピックアップトラックのアドバンスデザインに倣っている。Super Sport Roadstarというだけあってエンジンはスモールブロック5.3リッターV8 スモールブロックLSエンジンを搭載し、300馬力を発生させ、2005年にはエンジンをLS2エンジンえと変更し390馬力までパフォーマンス向上している。ちなみにこのLS2エンジンはC6コルベットなどと同じエンジンである。

 なぜワースト入りしているかというといくつかの要因がある。そもそもモーターショーで公開された初期プロトタイプは6.0リッターV8エンジンを搭載しており、生産の段階ではダウングレードになっていたことが最初のつまずきである。

 さらに0-60マイル(97km)で7.7秒というパフォーマンスは、トラックとしては悪い数字ではないが、積載量は560kgとピックアップトラックとしては使いようがなかった。1995年のハイエースでも1250kgである。加えて、見た目と空気力学のために配置されているトノカバーは重く、実用性は著しく低下している。つまり、スポーツとトラックの融合を試みたものの、どちらも中途半端になり誰得状態となった車なのである。

 その後の生産最終年の2006年には、当初コンセプトだった6.0リッターのLS2エンジンに変更し60マイルには5.5秒で到達するパフォーマンスに向上している。しかし、販売の減少は止まらず、生産中止となった。ちょっとした荷物を移動したり、外気を楽しんだり、力強い走りを楽しむには適していたが、実際のピックアップトラックのような使いやすさを求めるならばお門違いなSSR。とはいえファッション的なピックアップトラックは、ファッション的なアウトドアブームに程よくマッチするような可能性も匂わせている。SSR ver.2 としてEVと掛け合わせた500psのスポーツオープンピックアップ、もしかしたらヒットするのでは?いや、これもまた誰得だ。

 

No.42

1974 フォード・グラントリノ・エリート

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70年代半ばは、シボレー・モンテカルロポンティアック・グランプリ、ビュイックなど中級のラグジュアリークラスに人気が高まっていた。このセグメントで競合するため、1976年に販売開始されたフォード・グラントリノ・エリート。

 当時オイルショック直後で新車開発の予算は大幅に削減されており、ゼロから開発する代わりにとった方法は1974年のマーキュリー・クーガーのバッチを付け直しただけだった。

 フォードにはいくつかのブランドがあるが、高級車部門としてリンカーンがあり、フォードは大衆車である。この価格差を埋めるため中価格ブランドととしてマーキュリーは存在しており、その中でも最も有名なラグジュアリーカーのクーガーをそのままセルフコピーしたのである。

 クーガーは第2世代までマスタングとプラットフォームを共有し、パフォーマンスカーとして評価されていた。1974年に第3世代なると、クーガーをパフォーマンスカーセグメントから外し、パーソナルラグジュアリー市場に移す。当時は排ガスと安全基準が厳しくなったため、パフォーマンスに振り切ることができなくなっていた。とはいえ、依然と同じようなパフォーマンスが機能しなくても、より贅沢なものを持っているという付加価値を与えることで車を売る。そうして盛り上がったパーソナルラグジュアリークラスというセグメント車は室内装飾やオペラウィンドウ、ベンチシートなどが追加されパーティーでラグジュアリーな1台となる。しかしフォード・グラントリノ・エリートは、フォードという販売チャンネルのため安価する必要があった。削られたのはその豪華さである。クーガーに見劣りする豪華さと、パフォーマンスの悪さ...。下の写真は1974年のマーキュリー・クーガーである。この時代しか無い豪華さは、今見れたら相当な迫力だと思う。エリートはどうだろう?

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No.41

1981 Maserati Biturbo

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 1976年にマセラティを買収したデ・トマソが送り出した1981 ビトゥルボは市販車で初となるV型6気筒ツインターボを搭載し、内装も高級である。しかしながら、ダウンマーケットのファーストステップとして販売したこのビトゥルボはBMW 3シリーズのように小さく、それまでのスーパーカー専業マセラティのイメージとは乖離していた。

 低価格で人気のあるものにするために、品質と構造の妥協が行われたことは言うまでもない。V型6気筒とはいえアメリカで販売された時には排出制限のおかげで196馬力という物足りなさ。さらに「漏れる、燃える、折れる」の三拍子揃った粗悪な作りに、内装のレザーまで3年程度でひび割れしてくる。またこの時代のイタリア車特有の、保護処理がされていないメッキパーツはすぐに錆を起こし、腐食まで起こす。

 今だから乗りたいヴィンテージイタリア車なんて特集にもたまに登場するが、そもそも世界一壊れる車としての称号をほしいままにしたビトゥルボに、まともな中古車個体など存在しないのである。とはいえ、嫌われた車というよりは、むしろ関心高い車であることも事実である。80年代のイタリア車、マセラティからデ・トマソが送り出したスポーツ・クーペ。車好きの夢と記憶が詰まった一台である。

 

No.40

1976 シボレー・シェベット

 

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 オイルショックの中、シボレー・ベガで開拓された小型車市場をさらに細分化する、より経済的なモデルとして生まれたシェベット。都市部の住人や初めての車の購入者にとって理想的なこのモデルは1.4リッターSOHCエンジンを搭載していた。

 当時GMの企業平均燃費は業界最悪で、大型車の販売はすぐに枯渇し市場シェアは42%に低下、戦後最悪だった時代。このシェべットはその危機を救い、その後10年生産されることとなったが、ワーストカー入りの要因はなんだったのか。

 シェベットに採用されたのはTプラットフォームと言う、後輪駆動サブコンパクトカーの車両フレームである。これは日本のいすゞとドイツのGMオペルの技術支援を受け開発されたものだったが、シェベットが生産されることには10年前のプラットフォーム。つまり低価格化のために有り合わせの安い素材で生産された消耗品というイメージとなってしまった。当時はより車内効率が良い前輪駆動のプラットフォームが求められており、時代遅れのフレームに後輪駆動、さらにシェベットは重くパワーがなかったので、とても洗練されたモデルとはいえずワーストカー入りとなる。

 石油危機と排ガス規制は多く70年代のアメリカ車を苦しめたことがよくわかる。

No.39

1980 シボレー・サイテーション

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 1980年、ホンダ・アコードVW・ラビットなどの前輪駆動のコンパクトカーセグメントに競合するため、シボレー初の前輪駆動(Xプラットフォーム)となるサイテーションを販売開始する。室内スペースは確保でき概ね好評だったこの車も、欠陥により最大規模のリコールを起こす。なんとリコール内容は“ボンネット下の火災”。これに関連するトランスミッションホースを修理するために対象となったのは22万5千台。また米国運輸省道路交通安全局によればXプラットフォームはパワーステアリングの問題により激しいブレーキをかけると車両が制御を失う傾向があるとも指摘した。

 

 

 

「NAMIMONOGATARI 2021」から何が学べるか?

 

8月29日に開催された野外フェスNAMIMONOGATARI 2021」には、ラッパーのZeebra(50)らが出演。緊急事態宣言下で8000人超を動員したが、観客はマスクをつけず密集し、主催者側は酒類を提供したことで大炎上している。

主催者はタワマン住まい!愛知〝密フェス〟に重大疑義 チケット返金トラブルも(東スポWeb) - Yahoo!ニュース

 

「NAMIMONOGATARI 2021」から何が学べるか?

 

言わずものがな、このイベントが不適切だったというのは大人の社会では共通の見解である。アーティストも観客も含め、自分たちが感染してもいいと思うのは勝手だが、感染が広がればどこかで死人が出てしまうかもしれないし、いつまでたっても自粛からは解放されない。誰でも到る正論である。

批判するのは簡単だ。しかしながら、音楽が好きだからこそ、このイベントから何か学べないか?と思いを巡らせてみる。

 

RHYMESTER 宇多丸さんの解釈

8/30のアフター6ジャンクションにて、時事問題に毎回意見を求められることを“学級委員じゃねえんだから”と冗談めかしながらも、HIPHOPの重鎮として言及した。今回のイベントには影響力の強いアーティストが揃っておりHIPHOPイベントとしても最大クラスであったが故、おざなりにはできない感情が伝わった。

僕の意見として言うならば、ヒップホップシーンはやんちゃでもあるけど、同時に意識のアップデートも含めていろんな意味で時代の先を走っているべき。ヒップホップシーンこそがいち早く進んだ手を打つような、意識のアップデートをして、最先端を行ってほしい」アフター6ジャンクション 8/30

 

“意識のアップデート”とは何か?

音楽史を語る上でHIPHOPというジャンルはあらゆる功績を残している。音楽史を学ぶ上でよく目にする『メロディーを軽視する音楽は時代を変えてきた。』という一文。

これはPUNK,FUNK,HIPHOPなどがそれに当てはまる。音楽三代要素の『メロディー・ハーモニー・リズム』のいずれかが、大きく再解釈される機会には必ず新たなジャンルが生まれ、それは以降のポピュラーミュージックに絶大な影響を及ぼしていく。HIPHOPの“ラップ”はそれまでにないほど、歌というものに新たな価値観を生み出した。

もちろんそれだけではない。サンプリングしてトラックを作るという作曲方法もそうである。時を超えてサンプリングはスマホアプリで誰でも楽しめるほど身近なものとなり誰でも音楽制作ができるツールとして進化している。2013年にはこのサンプリングの解釈を変えたDaftpunkの「Random Access Memories」がグラミー賞を受賞したが、HIPHOP無しには起こり得なかった音楽史の1ページである。

JAZZやR&B/SOULをサンプリングしながら発展したことで80年代にはカウンターカルチャー的だったHIPHOPも、JAZZ、R&B/SOULミュージシャンと協力関係・相乗効果を生みながらグルーヴ(リズム)の再解釈が行われ90年代に大きな確変期を起こした。これは90年代初めにJ Dillaなどに代表される。

そして宇多丸さんも触れていた、人種差別、性差別、貧困格差、LBGTなど歌うメッセージ性である。社会風刺とも違う、プロパガンダでもない、人類共通の葛藤はラップに乗せて、そして音楽的守備範囲を超えてHIPHOPは確立されてきたのである。

これらは宇多丸さんの言うアメリカでは成功している意識のアップデート”である。日本のHIPHOPアメリカから輸入され、時に日本独自の解釈や手法をとりながら発展しているが、そもそも今は人類共通の敵に打ち勝たなければならない時代である。

HIPHOPに従事するものとして、この時代の最先端を、先陣を切って実現していくべきではないか。少なくとも“従来の盛り上がり方”をそのままやることではないのは明白だ。

 

Creepy NutsのDJ松永さんの語る葛藤

8/31のオールナイトニッポン0の冒頭、このイベントに対して20分思いを語った。コロナ禍でもいくつか参加したイベントを回想し、そこには主催者やスタッフなどの含めた様々な苦悩や葛藤があったことを語る。地域、行政、観客、世間、様々な方面の理解を得ながら何とか開催できた日には、イベントを作り上げようとしたものたちが当日の朝には、開催できることに涙がこみ上げるような思いになっていたと語っている。

 

読み取れた現場の最先端

 

集客を伴う商売をする者の中でも、最大限に不利な立場を強いられているライブやイベント関係者は葛藤している。不要不急というネガティブな言葉を背負いながらも、右往左往しながら全力を尽くして実現しようとする。そこには手探りの感染対策や、ある時は中止・決行の判断を迫られる。松永さんの話には、誠実の現場のリアルが伝わってくるし、そこには2019年まで無かった現場の最先端がある。

少なくとも、“中止・延期”一辺倒だった2020年を乗り越えて前に進もうとしている人たちが大多数で、誠実に音楽イベントの必要性を模索している。

この業界の裏方の方々も含め、ほとんどの人たちは、不要不急と言われてしまう音楽イベントに生活がかかっている。だからこそ、音楽を共有する快感を実現させたい想いは強いはずだ。

感染予防的な物理的なことだけでなく、音楽の必要性とは?イベントを行う意味は?リスクを負いながら得られるものは何か?コロナ禍のイベント開催には、より意義を問う精神的なアップデートも研ぎ澄まされていく。

件のイベントにより、真面目に誠実にやってきた方々の想いが踏み躙られた絶望感は計り知れない。

 

よりアップデートが加速する

今回の件で、どう考えてもHIPHOPに限らず、イベントやライブはやりづらくなった。このことにより中止を決断するイベントも出てくるだろう。しかし、世間の批判どうのこうのよりも、関係者たちによるパンデミック化のイベント開催方法とは何か?という議論は加速するはずであるし、さらにパンデミック化のイベント開催の意義は何か?というテーマも見えてくる。大きな失敗を元に一つのテーマとして与えられた、そう考えれば、これを期にもう一歩前に進むことも可能なのかもしれない。

何より最も大きな打撃を受けたのはHIPHOP界である。いつの時代も淘汰されながら、アップデートすることで確立してきたHIPHOPが、この批判からどう立ち上がるか。

 

 

 

 

『ワイルド・スピード/ジェットブレイク』批評・レビュー・ネタバレ・評論

 

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低予算ストリートレーサーモノとしてスタートした本シリーズも、スピンオフを含め10作目のワイルド・スピード/ジェットブレイク』。4作目以降、奇跡的なV字回復を見せ、巨大なドル箱フランチャイズとなったが、その弊害も多い。

 

大味映画スケールアップのインフレ化による宇宙到達

シリーズは作品を重ねるごとにスケールUPが求められてしまう。ロサンゼルスのストリートギャングから州を超え、国境を超え、東京、ロンドン、リオ、キューバ。海中、空、氷床。キャストも豪快に予算も派手に、そして最終的に行き着くところは宇宙になるのだ。007のムーンレイカーがスケールアップのインフレ化で宇宙に行き着き失敗したように、実は繰り返される失敗の道筋なのである。

ワイルドスピードファンのみならず、映画ファンはワイルドスピードスカイミッション以降何を生み出せるか、不安を感じていたはずだ。アイスブレイクで嫌な予感は現実味を帯び、ヴィン・ディーゼルドウェイン・ジョンソンの不仲、スピンオフのメイン・サーガに全く敬意の無い『スーパーコンボ』などぐだぐだが続き、『ジェットブレイク』である。

 

車に愛が無くなったか?

ストリートレーサーというジャンルものが出発点である本シリーズは多くの車好きたちの力を借りてここまできた。1作目のレース会場や、2作目の倉庫から大量のカスタムカーが雪崩れ出てくるシーンも一般のカスタムカー乗りの協力のもの撮影されている。

ブライアンがGT-Rスープラ、ドムがダッヂ・チャージャーというお約束はもちろんのことあらゆる場面で車とキャラクターへの愛があった。

例えば、『ユーロミッション』で記憶を失いイギリスの傭兵グループに入っていたレティが乗っていたジェンセン・インターセプター。この車はイギリス車であるが、エンジンはアメリカ・クライスラー社製である。ロサンゼルスでドムと一緒に過ごしてきた本当の内側の部分と、記憶を失いイギリスの傭兵チームにいる外側の部分をリンクさせたチョイスで本当に車が好きな人が選んでるんだろうなと感じさせてくれた。

MEGA MAX』でダッヂ・チャージャー2台で金庫を引っ張り出す時のホイールスピンする描写であったり、リオでハコスカに乗るブライアン、そして白いスープラ

 

『ジェットブレイク』では車のチョイスに深さや面白さがいまいち無いのだ。唯一、ハンが復活することによりVeilSideカラーの新型スープラのショットはそれらしかったが、実際ほとんど運転せず、使い方としてはジョン・シナの方が目立ってしまっていてテンションもただ下がりである。

少なくとも『アイスブレイク』ではローマンがランボルギーニに乗っていたことを覚えているし、ロンドンのダッヂ・チャージャーデイトナは最高にクールだったし、デッカードショウのジャガーFタイプやマセラティ・ギブリなんかも記憶に強く残っている。

本当に『ジェットブレイク』では車が記憶に残らない。

 

美談で持っていこうとするな

“席が一つ空いている”みたなのでGT-Rが到着して、わぁブライアン!ってなるが、それで終わり良し!は良くないだろう。このシリーズにはファンも大切にしているシーンやプロットがある。鍵を渡すシーンもそうだ。なんとか盛り上げるために過去の財産を簡単に消費していくのはファンとして悲しい。

スカイミッションが映画シリーズに対して、そしてポール・ウォーカーに対してこれ以上ないほど愛のある素晴らしい着地をしたのを忘れることはない。だからこそ、今作にはシリーズに対する愛はあるのか?と疑問を持たずにいられない。

ドムの象徴的アイテムである十字架のネックレス、あれを若き日の全然似ても似つかないトレッド兄弟が二人で首からぶら下げている単純さと滑稽さは、なんだか厨二病的演出にも感じる。

 

兄弟はどうなの?

ジョン・シナが弟っていうのも、そもそも兄弟ってのも飲み込みづらい。さらに10代だったころの兄弟なんて役者がどっちがどっちにも似てなくてわけがわからん。なのでこの兄弟ドラマは本当に感情移入できないし、それが話の唯一の推進力だから致命的欠陥である。

 

 

いらない人物多すぎないか?

ラムジーの活躍がほとんどなかったし、ミスター・ノーバディなんて何のために出てくんのよって、それでギャラいくらよって言いたくなるし、さすがにショーン・ボズウェルは可哀想だ。30歳のアメリカ人が日本の高校生役ってだけで無茶苦茶だったのに、今回はどういう経緯で行き着いたのか髭面のオタクになっていて、集客用の出演にしか思えない。ミアもそうだし、もう全員メリハリがなく活躍できていない。

さらに宇宙ミッションのありえなさが、さらにこの映画何のために見ているんだろう?感が強くなってきて悲しくなる。やっていることはコメディそのものなんだけど、それより地上で車がカッコよく走りアクションするほうが見たいのがワイルドスピードなんじゃないかと思う。

 

本当にファン

一作目のころはまだ小学生だった自分は、VHSで死ぬほど見ていた。それから新作が公開されるたび、映画館に通い誰にも負けないと言いたいほどファンである。

もしかしたらドウェイン・ジョンソンヴィン・ディーゼルに言ったことは正しかったのか?そんなふうに思えてくる。二人の和解は不可欠か?はたまたジェームズ・ワン監督のカムバックが必要か?もうシリーズファンや映画ファンは騙せなくなってしまっているぞ。

 

細かいことよりもテーマは

気になるところがあるし、好きな作品は人それぞれ。今回はどうしても面白いと言い切れなかった人も自分のような人もいる。ただ、それでも一つだけシリーズには一貫したテーマがあり、今回も例外なく守られている。

それは車は最強!ってことだ。戦車にも勝てる、原子力潜水艦にも勝てる、空も飛べる、宇宙にも行ける。宙を舞った人をキャッチして助けることもできるし、ヘリコプターを体当たりで撃墜もできる。

ワイルドスピードという映画は車が最強であることが一番のテーマでありコンセプト。それを毎回毎回ポップコーン食べながら楽しむ、とやかく言わず、それでいいのかもしれない。ただ、それでよくなってしまったなと、嘆くファンもいるのも事実である。

 

ウォーキングデッドの殺人に見る倫理と道徳

ウォーキング・デッド

 

2010年にスタートしたウォーキング・デッドは、ゾンビ作品として、それまでには無かった壮大なスケールだ。その中身は、しばし西部開拓時代のメタファーといった言われ方もされながら、ゾンビアポカリプトにおける人間社会の倫理と道徳を、どう文化的に最概念化するか?という人類の試みを描いている。ポストロメロから脱却し、現代的な非人間性の概念を探究するサバイバルムービーを、改めて読み解く記事としたい。

 

 

 

ゾンビ映画とは何か

 

ゾンビ映画ゾンビ映画たる所以とは、社会問題のメタファーである。ゾンビが壊滅するとか、治療薬ができるとか、元の世界に戻るとか、そういった根本的な解決には意味がない。

 サイコスリラーでもバイオレンスアクションでも無く、ゾンビ映画だからこそ、もたらす価値とは、我々の社会と地続きの問題定義がされ、ときに政治批判、社会批評がなされることにゾンビ映画の特異な性質がある。

 

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もともとゾンビとはブードゥー教の『生ける死体』にルーツがあるが、創作物としては1932年の『ホワイトゾンビ』が最初と言われている。1968年に故ジョージ・A・ロメロ監督によるナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(Night of the Living Dead 1968)で噛まれた人がゾンビ化する吸血鬼的な要素が加えられ、現代のゾンビの原型が出来上がる。     この作品は、ベトナム戦争公民権運動が現実社会問題のバックグラウンドとしてあった時代で、主人公の黒人が白人を指揮し、歯向かった白人を殴るなど、当時としてはある意味革命的な表現方法をとり、議論され支持を集めた。

彼はその後も、『死霊のえじき』(Day of the Dead 1985)では当時のレーガン大統領の新自由主義に対する批評として描き、『ランド・オブ・ザ・デッド』(Land of the Dead 2005)は富裕層と貧困層に分かれた覇権主義を問題定義にしたりと、ジョージ・A・ロメロ監督により、ゾンビが蔓延る世界を、社会問題のメタファーを表現するツールとして確立されていった。

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ウォーキング・デッドは2021年現在、シーズン11まで公開が予定されており、合計時間は130時間を超える。もはや映画の2時間程度とは比べものにならないほど長尺で、一つの問題定義やコンセプトでは全く間が持たない。逆に言えば、ゾンビが蔓延る終末化した世界での文化的再構築を徹底的に描く新たな挑戦でもあった。

 

話は必然的に、危険な都市区域から新たな新天地を求めて森へと向かう。無法化し山賊が現れ、平安を求めコミュニティは孤立し、部外者を強く疑う。異なる思想や価値観を持つコミュニティが出会えば対立が起き暴力的解決策が強行され、どちらかが破滅、あるいは支配される。一方で、合併や協力関係を築きながら、拡大していくコミュニティもある。まさに人類史である。

そして、

誰がこのフロンティアでルールを作るか?それがウォーキング・デッドの核心的なテーマである。西部開拓時代さながらな物語の推進力は、このテーマに終始している。そして、この大規模で壮大なエピソードは、文明の再構築作業の中でありとあらゆる問題に直面し、その多くが道徳観・倫理観である。

 

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https://www.reddit.com/user/JonnyZiB/

殺害の合法性

 一つ目に大きな問題点として取り上げるべきなのが殺害の合法性である。ドラマの中で行われる殺害は大きく3つある。一つがウォーカーの殺害と、二つ目に侵略者への殺害、そして最後に慈悲の殺害である。特徴的なエピソードを取り上げながら考察していく。

 

ウォーカーの殺害

 現在シーズン10終了時点では、ウォーカーを死人とし駆除することが常識である。しかし初期のパンデミック間もない頃には、それが殺人か?という問題定義が行われた。視聴者も、ゾンビを駆除する光景には今や慣れたもんだが、死の定義はなるべく早く定義する必要があった。

まずシーズン1第6話でジェンナー博士が登場し、被験者の映像を見ながら変異記録を説明する。ウォーカーに噛まれた後、感染者は髄膜炎のように脳の主要組織が破壊され一度死亡する。その後に、脳幹だけが活動を再開し反射中枢に信号を送り、本能しか残っていない状態となる。

このトピックは死亡判定法に基づいた死の定義を暗に取り上げたものだった。

 死亡判定法とは以下の内容である。

1981 年に出された大統領委員会報告書、および同年に出された米国統一死亡判定法(UDDA: Uniform Determination of Death Act)では、「(1)心肺機能の不可逆的停止か、(2)脳幹を含む脳機能全体の不可逆的停止の状態になった個人は、死んでいる」とされている。

https://plaza.umin.ac.jp/kodama/bioethics/brain_death_survey.pdf

まず 科学的根拠をもってウォーカーとは何か?を定義する。これだけで判断すればウォーカーは死人であり、人権も存在しない。しかしながら、法や秩序、宗教を経験してきた人類にとって、物質的な判断だけでは終わらない。

 

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この問題を色濃く描いたエピソードがハーシェルとリックの対立である。そしてこれに最も早く決断し行動した人物がシェーン・ウォルシュである。ハーシェルとリックの対立構造から読み解く。

 リックという存在は、文明崩壊後を描くウォーキング・デッドにおける最初の道徳的権威であり、規則である。リックの見解は基本的に適者生存(生物は、環境に最も適したものが生き残り、適していないものは滅びるということ)である。ウォーカーが人間を襲い殺すという事実は、人類が生き延びる上での危険因子でありウォーカーを駆除すべきという立場だ。さらに、もともと人類が築いてきた文化的な規則が支持されるべきであると考える。ウォーカー駆除すべきと考えながら、ハーシェルの理解を得てから行動すべきとする文化的道徳観も持ち合わせている。そしてウォーカーを『死に囚われた人』と捉えており、その惨めさから開放してあげるべきだとも語っている。

 ハーシェルは堅固な宗教家であり、宗教的主張と合わせてウォーカーは基本的人権をまだ持っていると考えている。ルカの福音書(ハンセン病患者を納屋に匿い奇跡を望むサマリア人羊飼い17:11-19)を引用し、自身をサマリア人だと比喩的に表している。また、何が起こっているか、これから何が起こるか(政府などによる文明や医療の回復)わからない以上ウォーカーを殺す権利などないと主張する。

 リックの発言には明確な意味があり、状況を考えると議論は決定的に見えるが、議論の着地点を見出す前に強引に行動してしまうのがシェーンだ。

 シーズン2第7話『死の定義』において、リックらをかくまったハーシェル一家が納屋の中に閉じ込めていたウォーカーが外に逃げ出した時、リックは駆除するのをためらう。対して「病人だと?もう死んでる」と声を荒げ駆除しようとするシェーン。そして、ウォーカーに胸に3発発砲すると、「生きている人間はこれでも歩くか?肺と心臓を撃っても倒れない」と興奮状態で言う。

呆然と何も言えなかったリックは何を考えていたか。繰り返しになるがリックは、道徳的権威である。道徳とは人が従うべきルールである。法でも定義でもない。リックは、それがどんなもので、どれだけ理解できない価値観でも、協調によって平和を維持する、根本的な道徳的価値観がある。しかし、シェーンが納屋のウォーカーを強制的に放つと、リックも目の前の出来事の現実には逆らえない。

こうしてリックとシェーンは対立構図が取られたことで二人は対立し悲劇的な結末を迎える。

ここまでに定義されたのは、ウォーカーが死人であることを誰も否定できないと言うことである。

 

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侵略者への攻撃

人類史には、数多の戦争の歴史がある。現在も戦争や内紛が起こる国や地域もあるが、肝心なのはウォーキングデッドを楽しむ視聴者は、そのほとんどが紛争や武力衝突とは縁のない恵まれた地域で住む人たちだと言うことだ。ウォーキングデッドは我々に問いかける。

綺麗事だけで成立するか?話し合いで本当に解決するか?見せられるのは、認め合おうとしたり協力し合おうとする度に、裏切られ仲間が死に、悲しみ、憎しみを持つ。もうこんなことなら殺される前に殺した方がよっぽどいい。

 

このように、法律や社会的秩序の中で日常生活をする我々、一般市民は、極限の状態に陥った時にどのような判断をするか、その人間の行動を具現化している。繰り返される対立の中には、我々がこのドラマの中に無意識に自分自身を探していることも事実であり、視聴者への問いかけである。

世界終末化し、法と秩序が失われた極限の状況の中で、襲ってきた相手を殺すか?という問いには善と悪が曖昧になり複雑な道徳観が求められる。無論、象徴的な存在としてのリック・グライムスは、文明崩壊前は保安官であり、ある時点までカウボーイハットを被っていた。ドラマの最初の段階で、リックという人物は、地獄のような世界で生き延びる術と、人間が築き上げてきた法と道徳の対比をするのに重要な役割を担っていた。しかし、シェーンの殺害で一線を超える。「俺じゃない、お前がこうさせた」と泣き叫ぶが、これ以降、侵略者や反体制的人物に対し冷酷な判断を行うようになる。

 リックはドラマが進むにつれ普遍主義(あらゆる事例に適用できる普遍的な道徳原理)から道徳的個別主義(全ての場合について正しい行い・正しくない行いを規定してくれるような一般的な規則はない)へと移り変わっていくのだ。

ニーガンとの争いの辺りまで、戦争状態な構図を繰り返し、野蛮さは過激し、道徳的衰退は進む一方であったが、後期では少しずつ賢い道徳的探究に取り組み始める。象徴的なのは囚われたニーガンを処刑することなく独房に入れたことである。

 これはコミュニティに対して行われた犯罪が今後どのように扱われるかというモデルになる。野蛮ささえ超越し、誰かを追放したり単に殺したりすることはできない。彼らは法を必要としている。そこには、カールの考えや、グレンの衝撃的な死などを経て、たどり着こうとする文明的な規範を求める新たな道徳的探究だ。

 新たな道徳的中心になりつつあるミショーンは、マギーに対し"他の人が生きるか死ぬかを決める権利を誰も持っていない"と伝えている。

また、マギーとリックによる二つのコミュニティの二人のリーダーが起こす相互作用は今までよりも深く“善悪のジレンマ”から解放される可能性を模索している。

 

 

 

慈悲の殺害

最も重いテーマの慈悲の殺害。慈悲とは相手に対して苦しみを取り除き楽にさせてあげたいとする心の表現である。

通常は噛まれたことにより生存が不可能になった人を、苦しみから解放するため慈悲の行為で他の生存者が殺す。しばし本人の要求によって行われることもあり、転化を防ぐため頭にとどめを刺すことが多い。慈悲の殺害は、ウォーキング・デッドで繰り返される最も深刻なテーマである。

 極限まで資源が枯渇した状況下の中でトラブルに見舞われた場合の生存率は極めて低い。誤解されやすい事項として、ウォーカーに噛まれたことによる体調の悪化は、ゾンビウイルスのようなものではない。そもそも全員が感染している状態であり、感染は空気感染か、あるいは別のルートによって起こっている。咬傷によって起こるのは、ウォーカーが保有するあらゆる細菌症や別のウイルスなどである。不特定多数の死体を貪るウォーカーが何を持っているか。結核HIVなどを保有していたとして、たとえ治療可能な病気だったとしても、アポカリプスでは完治不能に陥る。

 こういった状況下について理解があるほど、両者の合意のもとに慈悲の殺害は行われる。ある意味、彼らができる最後の治療なのかもしれない。この場合について、第三者のキャラクターによる違法性の指摘はほとんど行われない。

 

最も難しい場合の、慈悲の殺害

 

慈悲の殺害というテーマを最も大きく背負っているキャラクターはキャロルである。キャロルはシーズン4第3話においてコミュニティ内の感染症の蔓延を防ぐため、感染したカレンとデヴィットを焼殺している。あまりに極端な方法で、公になればキャロルは公開処刑されてもおかしく無い。しかし、キャロルが犯人だと突き止めたリックは、キャロルを100%否定することもできていない。未来の大きな利益のために、目の前の問題を殺害という方法で解消する。キャロルは生きる方法とすべきことを知っている。時にそれは慈悲という言葉で片付けるには難しい。リックは妥協案のようにキャロルを追放することとなる。倫理観が究極に問われていくシーズン4は、さらに不安定になりながら深い闇へと入りこんでいく。

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“お花を見て”

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シーズン4の第14話、刺されたばかりのミカの死体のそばにリジーが立っている。その横には赤ん坊のジュディスがいる。これほど衝撃的で悲しいシーンが、テレビ放送で行われることを見たことが無い。この最も病的なエピソードではリジーという子供に焦点が当たる。

 ウォーカーに対して正常な恐怖心を持っていた妹のミカに対し、姉のリジーはウォーカーを正常に認識できていない。それは線路に引っかかったウォーカーを生きさせることを選んだときに、何らかのパーソナリティ障害的な一面を決定的にしている。彼女がもともとそうだったか、あるいは世界がそうさせたかはわからないが、過酷な精神的苦痛を受け続けた故の、子供の精神的な退化を感じさせ、それが最悪な結果で現れてしまったことに間違いはない。

 キャロルは何をすべきかわかっていた。落ち着かせたリジーを外へ連れ出すと、「お花を見て」と、背後から撃ち殺す。リジーは救いようの無い悲劇を生み続ける可能性があり、彼女の精神的な治療方法も環境も持ち合わせていない。リジーがしてしまった悲劇の責任よりも、リジー自身が幸せになる方法は無い状況下での、最良の決断だった。この時同行していたタイリースは、恋人のカレンを殺害したことを自白するキャロルを許す。

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M990“V3”が絶対に復活する

ニューバランス ジャパンは、ランニングシューズのフラグシップモデル「990」が2022年に誕生40周年を迎えることを記念して、これまでの歴代モデルを復刻する。

 初代990(990v1)は1982年に発売、現在は990v5を販売している。復刻モデルは、バージョンと製造年月日を記したシュータン、バージョンを示すルビーレッドのタブ、マサチューセッツ州ローレンスの同社工場の時計塔をイメージした中敷き、シューズバッグなどの特別仕様で、ブランドを象徴するグレーのアッパーを採用する。

 復刻モデルは6月17日に「990v1」を発売、以降「990v2」「990v3」「990v4」が順次発売予定。第1弾の990v1は3万6300円で、サイズは22.5~29.0、30.0cm。

 

 

 

 

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M990 V3が一番かっこいい説

2012年発売されたM990 V3は、2008年にリリースされたMR993の時系列的後継モデルである。リリースに合わせ、初のnew balance ブランドブックが発売され、洗練されたブックデザインとクラフトマンのインタビューなどはnew balanceファンには一見の価値がある。このブランドブックは現在、中古市場で数百円程度から手に入れることができ、必ずや注目されることを予感し、買いあさって自宅には4冊ストックがある。

 さて、個人的にも思い入れの深いV3。一番かっこいいと言っても正直992や993とはさほど変わらないし、それらを持っていればさほど飢餓感には襲われない。

しかしながら、更新されるデザインと機能性を纏いたいのは本能的欲求であり、V4,V5とリリースされるたびに心は揺れ動いてきたのであった。ファンであれば、考えるより買え、だが、それも躊躇うほどのイマイチなV4とV5のデザインは悩ませる。

 

まずV3である。このメカメカしさ、筋肉質なボリューム感、メッシュとスエードの配分が程よく、爪先にNBロゴも色があり、シュータンのメタリックなUSAプレートは、自分が何を履いているのか、いつ何時も自覚させる高貴な主観を提供してくれるのだ。Nロゴの大きさもちょうどいい、爪先から甲にかけて跳ねるようなフォルム、最高である。

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V4である。

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そしてV5。

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いかがだろうか?仮に2012年V3を買った方々がこの記事を読んでいるとして、お尋ねしたい。V4やV5に心奪われましたか?

 ずっと待っている。V3が再販されるその日を。待ちすぎて、待っているの上位互換マッチェルである。ちなみに自分のV3は発売日に購入してから7年、2019年の夏にソールが加水分解した。NAVYだったアッパーは5年も履けば何色だったんですか状態によりしばらく棚にしまったままであったがための結果である。ENCAPと書いてある部分を親指で押すと、まるでCGかのようにソールの中に指がのめり込んでいった悲しい夏の昼。当然か、と心の中で呟くも、悲しみからか、衝動的ゴミ箱へと投げ捨てたV3。寂しさだけが残っただけだった。

 

 

 

 

それってV3のソールですよね?

加水分解とは関係なく何気なくデッドストックを探すモードに入っていたその時期、2018に変なものがリリースされる。

M991とM1500のアッパーにM990V3のソールをつけたハイブリッドモデルがリリースされるのである。これでわかったのは、最近のMR2002がオリジナルソールの復刻でなかったことと同じようなことは起こらない。V3のソール作れるんじゃん。オリジナルカラーを出して欲しい。何を余計なことやってるんだ。誰が買うんだ。ZOZOでいつまでもSALEで長生きしているぞと。

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とはいえ、2022ですよね

2012年にデビューしたのだから、当然10年後の復活でしょう。new balanceとして、こういった節目を雑には扱わない。もちろんMR2002もそうだし、M1300の完全復刻であるとか。ついでに言えば、M2040も復刻するのかなあと、ふと思う。

とにかくオリジナルカラーで出して欲しい。ずっと待っている。

ジョー・フレッシュグッズ、ボデガとコラボが。

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え?そんなに?

そこからの歴代モデル順次復刻という一大事。

 

 

M990V6のリークとnew balanceと新たな幕開け

TEDDYのM990V6のリーク

 

13代目となるM990V5も来年で3年を迎える。2016年のV4発売から3年後の2019年にV5が発売されたタイミングを見ると、来年2022年にM990がアップデートされてもおかしく無い。ファンはこのリークに特に驚くことはないと思うが、“M990”というプロダクトがnew balanceのフラッグシップの付加価値としてもたらした恩恵は大きく、待ち望んでいたのも事実だろう。

new balanceで、最も(恐らく1000番台よりも)重要なアーカイブだ。

 

 

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これはインスタなどを中心に出回るM990V6のリークとされる画像だ。

さて、出どころはどこか?

 

MADE IN USA クリエイティブディレクター

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真ん中テディ・サンティス(Teddy Santis),他 USAクラフトマン


この画像をアップしたのはテディ・サンティス(Teddy Santis)というデザイナーだ。彼は「エメ・レオン・ドレ(AIME LEON DORE,ALD)」というニューヨーク発のブランド創始者である。2021年4月頃、new balanceはテディと長期間のパートナーシップを契約しており、MADE IN USAコレクションのクリエイティブ・ディレクターとして商品開発に携わるという。そしてnew balanceは2022年よりテディの手がけるコレクションを全世界発売すると発表している。

最近、ALDはnew balanceとのコラボレーションとしてP550をリリースしている。NIKEのコート系アーカイブと比較すれば、バックグラウンドの乏しいモデルだが大ヒットを飛ばす。

1989年に発売したNB550は長らく冬眠状態だった。テディはアーカイブをくまなく調べ、目をつけた550を “伝統的カラー” で “歴史ある” スタイルで再構築する。黄色いミッドソールにヒビ割れた革のNロゴ。それをヴィンテージと呼ぶべきか、「着用された」かのような佇まいは、手をつけられてこなかった記憶を呼び起こし、市井が忘れかけていたスニーカー史の線を繋ぐnew balanceのスタイルである。一方で、NIKEに見られるような誇大プロモーションと意図的に操作される供給にハイプライス化したスニーカー市場は、投資の対象ともされ、高いもの、無い物を持っている優越感で消費される。果たしてそれは本当に健全か。

 

 

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new balanceはクリエイティブ・ディレクターという役職を設けるのは創業以来初である。それほど、テディが550の再構築でもたらした恩恵はnew balanceにとって大きなものだった。MADE IN USAプロダクトの躍進と、new balanceとテディによるタッグはスニーカー史の時代の流れを変えるクリエイティビティになり得るはずだ。

数年続いたNIKE一強には、二次流通がもたらす付加価値が、ブランディング的手法の一部とされながら盲目的な消費行動によって金が回り続ける。

本当に欲しいと思えるものは何か。

 

NIKE DUNKの終わり-hype around

人の人生は大きなサイクルである。その中には年や季節があり、繰り返しながら、ある時は衰退し、ある時は躍進する。そしてそれはスニーカーも同じである。我々はそれを何度も見てきたはずだ。

例えば本当にダンクが好きな人だったのか?と問われると、そうではなかった層も存在する。

徹底された誇大プロモーションと供給管理は、何を履いていいかわからない人たちへの転売を促し、手に入らないもの=良いモノという構図が出来上がる。それがブランディングかと問われれば否定的な意見を持つブランドが大多数であるはずが、ビジネス的手法として象徴的なのがNIKEのDUNK、AJ1、MAX95などである。

しかし、現在はダンクの市場価値は下がる一方だ。アーティストやハイブランドとのプロモーション(hype around)が落ち着くと、過去そうだったように、終わりを迎える。既に“ピーク”は背後に待ち構えている。DUNKを扱えなかったアカウントにDUNKが並ぶ日もそう遠く無い。

 

テディが何を担当するか?

550がアーカイブの再構築であり、テディは現にクリエイティブ・ディレクターに就任したということ。そこにはhype aroundとは明らかに違う血脈を持っている。

一種の麻薬的な熱狂に終始せず、スタイルと機能とバックグランドに価値を生み出す、そんな価値観を550に感じずにはいられなかったことに、今後のnew balanceのMADE IN USAプロダクトは、テディの手を借りより多角的にスニーカー史をリードするに違いないはずだ。