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モノとポップカルチャー、それっぽく言ったりたまに爆ディス

手のひらサイズのデザイナーズチェアコレクション。

大体、インテリア雑誌に登場するイケイケインテリアマスターのお部屋には、シュプリームのスケートボードが置いてあったり、BE@RBRICKが飾ってあったり、とりあえずホームセンターで買った観葉植物に、NIKEが並ぶ。NIKEでも70年代のラン系ならこの人好きなんだな感あるけど、揃いも揃ってダンクにジョーダンにフォース1。

 最近ではバブアーに501xxにパラブーツかM993で『結構お金かけて量産系』スタイルも増殖し続け、コーヒー挽いてMacbookちょこんと置いてあって時代は読書でしょ、どうですかオシャレでしょっていうニワカ臭とミーハー臭が混ざったような匂いがぷんぷんしてきていると思っていて、本当にそんなふうにソファに座っていつも洋書を読んでいるかね?とツッコミたくなったりもするのでインテリア雑誌は買うけど読まない(?)。

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トイズキャビンより12月に発売されたガチャガチャ1/24デザイナーズチェアコレクション。目玉はこのマシュマロチェア。マシュマロソファのほうが聴き馴染みがある気がするがどうだろう。これはBE@RBRICKほど下品でもなく、ちょこんと本棚とか辺の棚に置いてあっていいんじゃないか。単純に普通に買えない名作チェアがミニチュアとして置いてあるのが楽しい。ちなみにBE@RBRICKディスは愛があるからである。昔、BE@RBRICK収集に命をかけた時期があって、ブランドもんを単発買いしてドヤるライト層ではなく、SERIES1からひたすら集めてまくっていた。ハイプな市場になって、一気に魅力を感じなくなり全て売却したのは、とくにインテリア雑誌にやたらと登場してくるようになったのがきっかけだ。

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ハーマンミラーの代表作であるこのマシュマロソファはおそらく、全てのモダニストソファの中でも最も象徴的な存在。1956-1961年まで製造され、80年代に再販されて以降は今でも製造されているキングオグモダンソファ。

300円で回せるガチャに、こんなものあったら回さずにいられないニワカ椅子フリークの自分は3回やってマシュマロが2つとコルビュジエのLC2ソファ。

手に入らなかったのはエーロ・アールニオのボールチェア。これはもう近未来デザインの真骨頂で、2001年宇宙の旅にも登場している。揃えたい。

またこのスケール問題、1/24サイズである。このサイズはミニカーでも1/64につぐ、2番手の規模で各メーカー展開しているから、組み合わせてりしていろんな想像ができる。

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Netflixドラマ『新聞記者』レビュー・批評・解説・ネタバレ

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2度目の挑戦

 安倍政権時、当時の菅官房長官と会見で激しいバトルをしていたことで有名な望月衣塑子記者によるエッセイ『新聞記者』の映画化の、さらにキャストを変更したドラマ化である。映画のほうでは、望月記者をモデルにした主人公を引き受ける女優がいなかった。内容も内容なだけに、政権と揉めかねない映画には芸能プロダクションも難色を示すのも仕方ない。最終的には、しがらみのない韓国出身の女優シム・ウンギョンが主役となったわけだが、つたない日本語で日本人新聞記者設定には少々無理があったのは否めない。とはいえ映画自体高い評価は得た。

 今回ドラマ化にあたって、藤井道人監督はインタビューで「映画版では僕の勉強不足や経験不足が露呈した部分があった。再びチャンスをもらえるならば、取材回数を増やし、もう一度勉強し直すことができる。」と語っている。

 

エンターテイメントにするために

 

社会に問うための事実に忠実なドキュメンタリーはNHKでもいい。Netflixであるべき理由は、NHKのドキュメンタリーなど見ない層にリーチする可能性を大いに持っているからだ。つまりはいかに森友学園問題という泥沼化した不正をエンターテイメントな次元に落とし込むか。“感傷的に描かれてすぎている”ことが社会・政治問題に疎い層までリーチするためには必要なものだったはずだ。感傷的に描かれすぎているというのは、森友学園問題に憤っている人たちからすれば、事実と違うと否定するのも最もである。綾野剛演じる村上真一の妻や子供がバックグラウンドとしてしつこく描かれるのも、村上真一という人物への同情というウェイトを増やすためには絶大な効果を発揮する。

 ただ、エンターテイメントに思いっきり振り切ると、恐らく総理も総理夫人も登場させただろう。しかし、肝心の総理・総理夫人は最後まで姿を表さない。メタファーでもなんでもなく、目に見えない、声も聞こえないまるで幽霊的に描かれたそれは、ドラマ全体に大きくて黒い影を落としている。

 

 

配役の妙

 映画の成功もあり、今回のドラマ版では実力派俳優が大勢顔を揃えている。特に事務所独立している米倉涼子は望月衣塑子と思われる人物を堂々と演じた。総理夫人付き秘書を綾野剛、中部財務局で改竄をさせられた官僚を吉岡秀隆、その妻役に寺島しのぶ、中部管理局統括官には田口トモロヲ名古屋地方検察庁の検事には大倉孝二、現実世界ではその実態についての情報がほとんどない内閣情報調査室完了は田中哲司、新聞記者の一人を演じる名脇役柄本時生、総理補佐官には佐野史郎、そして徹底した悪役を演じるのはユースケ・サンタマリア。新聞記者配達の二人を小野花梨横浜流星

 この豪華さには、まずエンターテイメントとして心が躍るような期待と、それを裏切らない演技の応酬に圧倒される。田中哲司や佐野四郎などのベテラン勢は、経験とセンス、その素晴らしい演技で、まずドラマ全体のフィールドを、高い次元で安定させる。板挟みにされる苦しい役をさせたら右に出るものはいない吉岡秀隆、そして最もこの映画で名を売ったのは小野花梨ではないか。この世代のリアリティが詰まっている。

 綾野剛のハイライトは、「家族4人で穏やかに過ごせれば、それが一番の幸せだから」と言う妻を見る、目である。まるで妻を睨むかのようなその目は、感情を堪えながら、何をするべきか、何をやめるべきか、何を守り、今日までの自分とどう決別するか、あらゆる葛藤を表現している。そして直後にあふれ出す彼の涙は、重い。

 ユースケ・サンタマリアの演じる悪役は、逆にリアリティとはかけ離れている。いかにもテレビドラマっぽい悪役である。どう考えたって、現実ではこういうポジションに太ったオッサンがいる。しかし、この悪役、すなわち豊田進次郎という人物設定が肝で、そもそも特定の人物を指していない。

豊田進次郎について

 情報を整理すると彼は内閣官房参与に就任しており、国からの事業を大量に請け負う巨大企業の会長、安倍元総理の本を出版し、オリンピック招致にも関わっており、AI助成金詐欺を行い、歌手に「歌手だからわからないだろう、勉強不足、政治的発言をするな」と発言したり、テレビに出てコメンテーターをしていたりと。

 ありとあらゆる、人物が融合されている。豊田進次郎自体は架空の人物だが、現実起きたことを統合し、脚色したものが豊田進次郎という人物である。とすれば、いかにもブレーン的な、黒幕的な見てくれの配役で誰かを連想させるよりも、ユースケ・サンタマリアというのには頷けるのである。

 ドラマの中で登場する事件や出来事について調べると何名かの人物名が上がってくる。誰と誰と誰を融合したのか。あなたがこれに興味を持ち調べるかどうか、ある意味このドラマの問いかけの一つでもある。

あくまでもフィクションという開き直り

 いまだに決着のつかない問題である森友学園問題について、政治の中で何が行われていたか、その真実はその当事者しかわからない。綾野剛の夫人付き秘書の村上真一に関しても、基本的には脚色である。彼を、善人にも悪人にも描きようはあるのだから。

 どこからどこまでが改竄や口利きや忖度への不本意な参加だったか、到底真実は語り尽くせない。

 さらには週刊文春が報じた内容によると、望月記者とプロデューサー河村氏から赤木雅子さんへ直接協力の連絡があったという。話し合いを重ねるうちに意見は食い違い、赤木雅子さんは「真実を歪めかねない、ドラマに協力はできない」と協力を断ったという。

www.cyzo.com

 

「それはもう間違いなく総理も国会議員も辞める」という象徴的な発言も登場し、誰もが忘れかけていた森友学園問題を改めて1から追っていくようなこのドラマ。アメリカ資本だからできたことだが、フィクションとはいえかなり攻めまくった内容である。いや、むしろありもしない空想物語ですと開き直った超政権批判である。ネット上では話題に上っていた情報操作、世論操作等の描写についても、新聞販売店の老夫婦のような人たちが見たら恐れ慄くだろう。我々はいかに盲目的で制限され抑圧されコントロールされているか?

松田康平が眠っている、最後に目を覚ますのは

 植物状態にある萩原聖人演じる松田康平。国家公務員の正義感からAI助成金詐欺を告発し、その後の待遇に苦しんだストレスで脳梗塞で倒れ、以後昏睡状態のままである。彼の存在は、自殺した鈴木和也と重なり、米倉涼子演じる松田杏奈のジャーナリズムの動機、バックグラウンドとなっている。さらに、綾野剛演じる村上真一との関係性をここまで丁寧に描くことで、告発した松田、いいなりのまま保身する村上、という対比構造を村上真一の葛藤をより同情的なものにしている。

 このドラマの裏で、ずっと眠っていた松田康平とはどう考えても“国民”というメタファーである。何度も何度も「国民のために仕事をする」とセリフが繰り返されるが、視聴者への呼びかけである。国民という言葉は、誰もが無関係でないという潜在的なメッセージであるし、そんなことを言うつもりがないのであれば、最後に松田康平が目を覚ます必要はないのである。

 数々の名作が立ち上がる市民という構図を鼓舞してきたが、なんとも日本らしい静かなるメタファーである。そういえばバットマンでこんなセリフがあった。

『善人が黙っていたら、街は崩壊する。』

 

 

Netflix『DON'T LOOK UP』レビュー・解説・考察・批評・ネタバレ(ドント・ルック・アップ)

共同脚本家/監督アダム・マッケイの、まだ乾ききっていない傷に触れるような現代のディストピアに、ブラックコメディを展開させた『DON'T LOOK UP』。気候変動・新型コロナウイルス、そして政治と分断——

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気候変動とCOVID(新型コロナウイルス)両方のメタファー

 

2019年11月8日、パラマウント・ピクチャーズより本作を配給されることが発表された。アダム・マッケイが脚本・監督・制作を担当することが決まり、翌年2020年2月19日にはNetflixパラマウント社から本作を買い取った。

 コロナ前に企画された本作は、気候変動トランプ政権時の分断を深めた4年間をメタファーとしてブラックコメディに描くものだった。公開を待たずにパンデミックが起きたことで、図らずも新型コロナウイルスによって混乱した世界の人々が、どれほど順応性があり気が散りやすく二極化し、そして自分自身の生活に夢中になっているかについて暗喩することとなる。

 結局のところ気候変動とは、地球上のすべての人が即座に差し迫った危機に陥るものではなく、現在進行形の災害である。

50年後にはそれが全人類に差し迫った危機になっているかもしれないが、彗星の衝突ほど緊急な危機として表現するには時が早い。しかし、図らずして起こった新型コロナウイルスによるパンデミックは、全人類に危機をもたらしていて、未だに乾ききっていない傷口に触れるかのような社会風刺になっている。無論、現実社会の感染症パンデミックという要素が、この映画の注力を分散させてしまった要因にもなっているのだ。

空を見上げるな、空を見上げろ

 分断が起きる原因を考えてみる。国家が分断された例を挙げるとドイツ・ベトナム朝鮮半島などがある。共通するのは、そもそも分断したのではなく占領国によって“分断させられた”のである。過去に植民地であったか戦争で負けたことが原因だ。もともとの原因から目を逸らすため国同士や国民同士を反目させ合い意図的に分断を起こし統治しやすくする。これらは分割統治・分断統治と呼ばれ、反対勢力の力をそぐために行われたことが始まりである。つまり分断とは自然発生的ではなく意図的に起こされるもので、それが歴史である。

 もっとわかりやすく言えば、ある団体や組織の力を奪うため、一部の友好的なグループを優遇し特権を与え、反抗的なグループには懲罰的な対応を続けることで双方間の連帯を断ち切り格差や階級を作る。一方には優越感を、一方には自己評価を下げさせ、これらは巧妙に行われる。そしてその背後に必ず利益を得る組織が存在している。

 話を戻す。本作において、なされた分断は、「彗星は資源である」と「彗星によって人類は滅亡してしまう」の二極化だ。これだけ見ると後者の方が圧倒的に陰謀論的で懐疑的にとられてしまう。

視聴者は『彗星を発見し計算を行うと地球に衝突する』という事実を冒頭で見せられているから、BASH社によるベース計画、現実と向き合わずアーティストの破局報道や公開プロポーズに一喜一憂している国民が間抜けに見えるのだ。

 さらにメリル・ストリープが演じるいかにもトランプ的な大統領を中心に行われる分断化は巧妙である。

 レオナルド・ディカプリオ演じるミンディ博士は、最初のテレビ出演で“セクシーな博士”と好評を受けると、その気になりはじめたら止まらず数々のテレビ・CM出演を繰り返し、逢瀬を重ねれば髪型や身嗜みが徐々に高品質になり、さらには命じられた首席科学顧問を引き受ける。人類に警告するために表舞台に立ったはずの人間が、分断化を利用する政治の鉄砲玉として利用されてしまうのだ。いつのまにか“彼が何かを言ってくれれば私たちは安心する”SNSによって偶像化されていくのだ。

 トランプが、“漂白剤がCOVID-19の奇跡の治療薬である”と失言した際にもそばに立っていた新型コロナウイルス対策の政府調整官デボラ・バークス医師は、まさにそれである。思えば日本にはそのような偶像化された人物がいただろうか?心当たりがある人も多いはずだ。

 そして、その背後に利益を受け取るのは誰か?本作ではBASH社と政府である。明らかにMeta社(旧Facebook)のマーク・ザッカーバーグをモデルにしたマーク・ライアンス演じるピーター・イッシャーウェルCEOは数兆ドル相当の貴重な資源があると信じており、それらを利益化する利権を得るため介入してくる。

 

豪華キャストが意味するもの

明らかに気候変動とトランプ批判が込められたキャスティングである。レオナルド・ディカプリオは気候変動や環境保護に強い関心を寄せていることで有名であり、トランプ前大統領がパリ協定離脱を表明した衝撃的なニュースには猛反発をしていた。アリアナ・グランデもトランプ批判で有名、メリル・ストリープに至ってはゴールデングローブ賞の受賞スピーチで痛烈にトランプ前大統領を批判し大きなニュースになっており、その本人がトランプ的な大統領を演じるとは何ともコメディである。

 この映画に出演する彼らによって過去積み上げられたオスカーは一体何十にのぼるだろう。残念ながら、それほどまでの豪華キャストをうまく消費する術はなかったようだ。一番の問題は、機能するかどうか十分に考慮されていない社会的論評を詰め込みすぎていることだ。パンデミックが起きたことは想定外で、現実のディストピアにある程度沿うようなアイディアが詰め込まれながら出来上がったことが予測できる。

 SNSによって偶像化されていく人物、科学が非常に多くの人から簡単に却下されてしまうこと、災害の危機が党派的な問題に展開していくこと、分断化がもたらすデモや暴動、利益は全体の99%よりも一部の利権者や億万長者に優先されていくこと、スキャンダルが自分の政治的立場を脅かすとき愛国的な光景をバックグラウンドに危機を悪用する。そしてそれが目に見えて自分に向かってくる危機だとしても、それがデマであると考える人もいる。そうした混乱の中でも自分の携帯電話に夢中になり、真剣に考えない人もいる。

 これほど多くの社会的問題、さらにこれらは現実世界で今もなお起きていることである。メタファーがメタファーにならない。詰め込みすぎて消化されない社会的論評をいくら豪華キャストで固めたところで、返ってチープなパロディになってしまうのだ。

 

最後に

エンディングでは、一部の高所得者や権力者たちが地球から脱出し冷凍保存から目覚めた瞬間に動物に襲われるという、非常に滑稽で、まるで食い散らかした残飯を片付けるかのようなラストで終わる。

この映画では本当に社会的論評が行われていたか。行う義務はないが、いい映画の条件である。いくつもの問題提議の中で散らかったままの問題はあれど、「人物の偶像化による分断と世論操作」という点においては、現代社会批判として表現されていた。

 

 

 

M990v6を解説。11月4日発売!これは名作になるのか。

M990v6はかっこいいか、という考察

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new balanceファン及び、スニーカーフリークの方々には、もはや見慣れた2つの画像。M990v6と思われるスニーカーを手で持つこの画像をアップしたのはテディ・サンティス(Teddy Santis)というデザイナーだ。

 彼は「エメ・レオン・ドレ(AIME LEON DORE,ALD)」というニューヨーク発のブランド創始者である。2021年4月頃、new balanceはテディと長期間のパートナーシップを契約しており、MADE IN USAコレクションのクリエイティブ・ディレクターとして商品開発に携わるという。彼は550の発掘と成功を手始めとして、今年リリースされる900番代の新作を手がけたわけだが、M990v4からv5まで下降気味な評価となった“新作”としての人気を回復できるのか?

横から見たら、なるほど

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今までのリーク画像からわかりにくかったソールのボリューム感が、わかりやすい。これはわりと最近出回ったショットである。

 これでわかったのは、2020年以降トレンドになった厚底系のランニングシューズ、それもデザインではなく機能性に重きを置いた上でのデザインであることが読み取れる。

 つまりは機能性、すなわち履き心地の良さを追求しているということか。ここで気づく。何を言っているのか、new balanceの900番台、1000番台は常に履き心地を追求してきていた。ファンであれば誰もが知っているラルフローレンのあれや、1000点中何点だったとかの逸話の通り、new balanceが評価されてきたのはその履き心地の良さである。

 かっこよさに囚われすぎて、本来new balanceが提示している本質を見失ってしまっている自分に、はっとするのだ。であればだ、993がヴィンテージファッション層に熱い支持を受け、WTAPSなどとコラボしたM992という品番にありがたがっているのはニワカで、本当にnew balanceに心酔しているのならば、V5を日常の足にしているのがあるべき姿なのか。

話を戻そう。

とはいえスポーティーに振りすぎてしまえばnew balanceの900番台が持つフラッグシップ的価値観が失われしまう。ファンのイメージに刷り込まれたこのアッパーデザインがそうさせるのか、はたまた無駄にゴツゴツしていないスムージングされたミッドソールなのか、900番台にふさわしい“上品さ”は兼ね備えている。

上記の画像を見て思い浮かんだ他社のミッドソールのスタイルを並べていく。

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昨年の箱根駅伝で注目を浴びたNIKEのランニングシューズZOOMフライ。カカトがせり上がり全体的に台形なシルエットなのはバレンシアガなどの印象深いダッドシューズ的なデザイン面もあるだろう。厚底ランニングの火付け役となったこのモデルは、new balanceが次世代の990を創り上げる過程の中で、コンセプトとなったアイディアの根元を辿ると、枝分かれした部分にこのZOOMフライがあるだろう。

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毛色はM990シリーズとかなり近いHOKA ONEONE。セレクトショップでも提案され、ショップスタッフもHOKAは履き心地がやばい、一目置く存在。そんな声を聞きすぎたせいか、”HOKAを履いている俺は一枚上手” 的な上質なイキリアイテムにも感じる昨今。

 

アメリカでは日本で言うアシックス的な認知度を持っているランニングシューズメーカーだが、ライフスタイルカテゴリーではブラックやベージュなどのワントーンに、ビブラム・ゴアテックスなどを搭載した機能美溢れるスニーカーだ。正直アウトソールのビブラムを除けば、M990v6のソールデザインとかなり近いのではと思う。

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日本においてsouconyは下火下火の5年。ただ2021年発売したendorphinは高い評価を得た。厚底か厚底じゃないか、、ギリギリのボリューム感はデザイン的にもいい塩梅で、さらにミッドソールに内蔵されたカーボンプレート、アスリート的なキーワードで2万円でもランナーなら持っておきたいと思える一束。ローリング効果を高めるために爪先とカカトがせりあがっているが、これをフラットに近づけるとM990v6のソールに非常に近くなっていく。990はランニングにガッツリ使うようなシューズではなく、半分大人の嗜み的な側面が強い。そういったニーズから的を外さないために、走るための機能性は抑えている。POPEYEでシティーボーイのランニングスタイルとしてM990v3が紹介されていたのを見た時はなんとも言えない気分になった。

 endorphinを細かく見ていくと、v6のコンセプトが見えてくる。ありがとうendorphin。

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adizeroもこうやって厚底になっていく。後発でここまで分厚くやってくると冷めるのが人の心理。厚底もチャンキーソールもダッドシューズも、もはや過去のものとなり始めているこの頃、絶対にnew balanceはこうなってはいけない。少なくとも900番台だけは本当にいいものは何かを追求して欲しい。こういったソールに慣れてしまった現代人の足に、やっぱりnew balanceは良いと言わせるためにはどうするか。少々厚くはするが、素材の機能性で勝負する他ない。adidasは柔らかすぎて反発が無いboostから脱却し、下は5000円代から採用されるLIGHTSTRIKEというミッドソールを採用している。

NIKEのルナロンも良かったがZOOMブランドも確立している。それ以上に、アブゾーブやREVライトを持つnew balanceに隙は無い。

new balanceは何をしたい?

ここ数年のnew balanceの新作で最も印象深かったのはMS327だ。70年代のアーカイヴの320・350・super compをデザインソースとし大成功した。

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550はnew balanceの歴史の中でも影が薄かったがテディによって発掘され、new balanceのコートカテゴリーを盛り上げている。一時はNIKE AIR FORCE1に肩を並べるほどだったadidasのFORAMの存在感は、今は見る影もなく、その椅子を550は狙っている。

つまりアーカイヴをいかに作るか、育てるか、とはスニーカーブランドとして最も重要であるが、NIKE一強時代に幕を下ろすかのように、そういった面においてnew balanceは見るからに力をつけている。

  当然ながら990のニューモデルなんていうビッグネームは相当試行錯誤されてデザインされているはずだ。今までのアーカイヴから何を学びながら出来上がったか見てみたい。

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アッパーから考察していく。アッパーメッシュ部分の骨組みはv5に近いながらも太さが993に近い。Nロゴマークはv4で大きくなりv5で998と似た、他のパーツと接しない浮いているような配置になったが、v6ではシューレースホールパーツと下部に潜るように配置されている。これはMS327オーバービッグロゴにデザインソースがあるはずだ。

 アッパーがスラムドされソールが分厚くなったように見えるが、おそらくソールがアッパーに巻き上がっておりそう見えるのだと推測する。ここが最も印象が変わったように見える要因だろう。ソール自体はカカトから上部から真ん中に流れるグレイの部分の形状を見るようにM992と近く、リアのクッションはv5と同じように2段になる。

 やはりトレンドデザインを汲んでか全体的に台形なシルエットになっているためカカトは外に向かって斜めになっている。990とマークが入る部分は初代990から998までのヒールカウンターを模しているように見え、履き口の形状はパーツはM993やM992に似ているがボリューミーな雰囲気がM995/M996のようである。

 

確実値上げされるv6。ハイプが終わるから、愛されるのは本当にいいもの

 

高利回りで2次流通を繰り返しながら、ミーハーの物欲と承認欲求を満たし続けてきた時代から脱却したいのは誰か。言わずものがな、メーカーである。収益を上げるに最も効率が良くシンプルなのは顧客の単価を上げることである。例えば2次流通で倍の値段のプレ値がつくなら、最初から倍の値段で売りたい。2次流通の相場にはメーカーの夢が詰まっている。この値段で売れたら粗利はいくらになるのかと、計算すると恐ろしいアイテムが溢れるほどある。そういえば私たちは徐々に徐々に、定価が上がっていることを盲目的に受け入れてきた。M990は2011年頃まで日本では¥19,000だったしM1400は¥23,000だった。ハイプライスを受け入れ大金を叩けるのはそれが本当にいいものだから、という時代になる。まさにそれは10年前である。今や話題に上らないM2040を覚えているだろうか。2012年にそれは発売した。定価4万円弱というとてつもない値段。new balanceをこよなく愛するマニアだけが手に入れたM2040は1000番台最後の品番である。スニーカーに2万円でも臆する時代に4万円はさすがに早すぎた。ここまでくるとイタリアやフランスのハイブランド並である。

 10年の沈黙を破り2022年には新作が出るはずだ。その布石となるのは確実にM990v6の他ならない。そしてスニーカー中間層はロープライスでそれなりのものに落ち着いていく。さらにさらに価格差の分断は続き、その分かれ目となるのはM990v6ではないか。

 

 

 

NISSAN MID4が描いた世界線

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MID4が市場投入されていたら?

MID4がお披露目されたのは85年9月に開催されたフランクフルトショーだった。

MID4とは日産が開発した2シータースポーツカーのプロトタイプだ。『MID』はミッドシップレイアウトの略称でエンジンはシート後方に搭載する。4は4WD・4WS・4カムシャフト・4バルブの意味となっている。

全長4150mm、全幅が1770mmでエンジンはVG30型をツインカム化したエンジンで、馬力とトルクは230ps/28.5kgとなる。4WDはセンターデフにビスカスカップリング式LSDを組み込み。4WS(後輪操舵機構)は85年のR31型スカイラインに搭載されたものだ。その後87年にはMID4(2代目)となり再びモーターショーに姿を現したときには、エンジンは横置きから重量配分に優れた縦置きに変更され、エンジンもVG30型DETT(330ps/39kg)にグレードアップされた。

研究用実験車として登場したこのプロトタイプは、当時の日産の技術をてんこ盛りしていて、当時のカーファンを大きく期待させていた。

もし発売されいたらライバルはなんだった?

おそらくここまでハイスペックだと、販売価格は相当高くなったはず。スペックだけでなく、日産にとってミッドシップレイアウトは他のラインナップとのプラットフォームの共通化が図れずコストアップする。さらにアメリカでは当時日本車の2シータースポーツカーは需要が少なかった。日本車は安価で壊れないことをメリットに勢力を伸ばしていた時期だ。販売されない理由にはおそらくハイコストと、採算の取れないスポーツカー需要。89年にはZ32 フェアレディZのフルモデルチェンジも行い、GT-Rという絶対王者も存在しラインナップの差別化も難しい。

だからこそ1989年に発表したNSXを市販化したHONDAはすごい。当時の価格で800万円〜のNSXは、疑いようもなくその後20年間のスーパースポーツの橋渡しをした。RX-7スープラGT-Rランサーエボリューションなど90年代を代表するレジェンド級のスポーツカーはあれど、スーパースポーツと位置付けられたのはNSXだけだったろう。そこにもう一つの顔としてMID4は、ミッドシップ4WDという特異な生態だ。ミッドシップ4WDで最も認知度が高いのはAUDI R8だろう。

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NISSAN MID4が描いた世界線

もしMID4が市販されれば、確実にNSXと競いあっただろうし、その切磋琢磨から洗練されていけばR35 GT-Rが2007年に登場する頃にはMID4 IIIやMID 4Ⅳなどにフルモデルチェンジされ、もう一つ上をゆくスーパースポーツとしてヨーロッパのような日本製スーパーカーが見れたかもしれない。それだけでなく日産は高級スーパーカーによるノウハウはフェアレディZGT-Rなどにも還元されただろうし、SUPER GTでも採用されるだろう。AUDI R8やLEXUS LFAと肩を並べた日産のスーパースポーツは、やがてe Powerを搭載した新型ハイブリッドスーパースポーツとして再びNSXを顔を合わせる。そんな世界線を見たい。

 

 

 

アッシュ・トゥ・アンバー(Ashes to Amber)が心地いい

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アッシュ・トゥ・アンバー(Ashes to Amber)というアーティストを知っているか。

思いっきりレイドバックしたリズムトラックにエレピ、それからLo-fi HIPHOPなんかがいつのまにか大量消費されている。

『僕っておしゃれでしょ?』と言わんばかりのVlog御用達BGM代表みたいになり始めちゃって、J dillanujabesも知らないおしゃれ代表とは一緒にされたくない。そんなサブカルの血が流れた若い世代の音楽愛好家に向けてアッシュ・トゥ・アンバーはどうですか?

Neo White Soulとでも呼びたくなるような血脈を感じるし、ジェイソン・ムラーズのようなミクスチュア感、ジャック・ジョンソンのようなサーフスタイル。そして日本語なら『心地よい』という言葉が一番似合うが、多分これはchill outではなくエクスタシーに近い浮遊感。サーフミュージック的バックグラウンドがありながら、なぜこんなにCity likeなんだろう?

youtu.be

アッシュ・トゥ・アンバー(Ashes to Amber)って誰?

アッシュ・トゥ・アンバーはカリフォルニア州オレンジ郡から2019年デビューしている。Vo&Gtのケイン・アコスタ(Kane Acosta)は南カリフォルニアで過去4年間ショーを続け、地元のサーフロックシーンで勢いのある勢力となり、現在はその活動を世界に向け展開しようとしている。

Arizona Thunder

Arizona Thunder

  • Ashes To Amber
  • ポップ
  • ¥204
  • provided courtesy of iTunes

music.apple.com

特におすすめがArizona Thunder。

ケインの歌声はどこか懐かしい。なんだろう?ステレオフォニックスのようなハスキー感、weezerのような素朴な歌い方なのか。

ギターは水が流れるようなリフで、包み込まれるようで離れていくように聞こえてくる。街で聞いていると、ただ歩いているだけの情景を今すぐに思い出に貼り付けてくれそうな演出をしてくれている感覚が、多分エクスタシーって言える浮遊感。

 

【Typeset In The Future】SF映画に共通するフォントとは?

Typeset In The Futureを知っているか?

SF映画好きなら知っているだろうか。Typeset In The Futureというサイトは「未来」という概念を適切に伝えるためにSF映画がどのようなフォントを使用しているかについての画期的なウェブサイトだ。フォントとはもちろん書体のことである。

あらゆるSF映画には、ある共通のフォントが使用されていることを発見するところから始まる。そのフォントとはEurostile Bold Extendedだ。

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スタートレック、ウォーリー、ブレードランナー、エイリアン、2001年宇宙の旅....

ありとあらゆるSF映画のタイトルロゴ、劇中に登場するサインなどEurostile Bold Extendedが多様されているのだ。この発見をしたのはデイブ・アディ氏。Eurostile Bold Extendedは角を丸めたり尖らせたり、様々なアレンジを加えられながらも、そのベースとして多様し続けられる。始まりはどこか、このフォントはなぜ未来を表現するのか?タイポグラフィデザインという視点から映画を考察する非常に面白くデザイナー的な造詣の深いウェブサイトである。

 

このウェブサイトはフィルムアート社から書籍化されている。全編カラーで情報量は凄まじい。268ページの大型書籍である。webサイトでも見れるが、書籍はわかりやすく再編してあり、表紙のデザインセンスもおしゃれで所有感は凄まじい。2021年に購入した書籍の中でも最も満足の一冊。

 

少々高いがコレクションとして充実の内容。

 

 

typesetinthefuture.com

これがそのWEBサイト。

filmart.co.jp

 フィルムアート社の書籍は当たりが多い。