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ブラックミラー:バンダースナッチを考察する。レビュー・批評

「ブラックミラー バンダースナッチ」の画像検索結果Netflixより『ブラックミラー:バンダースナッチ』。なにも知らずに見始めたもんだから、選択肢が現れた時はわけがわからなかった。最初の『どちらのテープを聞くか?』という問いで、選択したほうのテープがBGMになった時Netflixすごい!と小学生みたいな感想を抱き、チャプターごとに選択肢が現れるたび自らの選択でストーリーが変わって“いくかのように感じる”わけで、そらもうわかりやすく頭の中には「ゲームと映画の境界線」っていうパワーワードが思い浮かぶ。

急に話が変わるけど、ブログ界で映画の話をしているその7割がグダグダと事細かくストーリー書き起こし、肝心の感想は「すっごくおもしろかった!」みたいな薄っぺらいアフィリエイト思考の作業的記事ばかりなので、そういった情報関連はそいうところで確認していただいて個人的な意見や考察のみを書いていく。

 

で、このいわゆる『インタラクティブ型』と言われる、いかにも新時代映画とも呼んでくれと言わんばかりのゲーム性を取り込んだ『ブラックミラー:バンダースナッチ』という映画、たくさんの頭のいい人たちが集まって制作されているのは間違いない。

映画館では実現できぬ、映画の進行を選択するという行為。誰もがゲームのようだと感じるし、選択次第で鑑賞できないシーンがあるしエンディングも変わる。このインタラクティブ型というのは、どんなカテゴリーにおいても現代の消費傾向にマッチしていることは言うまでもない。劇中の中で「選択することでストーリーが変わるゲーム」を作ることが話の軸であり、インタラクティブ型を利用することで見ている我々にも選択させることで従来映画が提供してきた「追体験」ではなく「体験型」となるわけだ。インバウンド需要の高い現代の日本企業でも必ず語られる『モノ消費からコト消費へ』と極めて近い視点ににあり、現代は誰もが体験することに価値を感じていて、Instagramには何を買ったかよりも何をしてどんなことをしたかをシェアしたい。現代に求められる体験型であるからこそ話題性が非常に高く、その上、体験するためのハードルが低いため(みんなが持ってるスマホでできる)、『ブラックミラー:バンダースナッチ』が当たればそのまんま新しいマーケットが出来上がってしまうかもしれない可能性を秘めているわけだ。

そこで求められるのはこの試作的「体験型映画」というものの“体験”するという部分についてのわかりやすさ。これはもうそのまんま劇中で説明されているが、主人公が作りたいゲームの内容にある。主人公が世に送り出そうと開発するのは“選択することでストーリーやエンディングが変わる新しいゲーム”、とまぁ今我々がやっていることそのまんまであって、「選択すること」が持つ“体験”と“新しさ”をストーリー上からも強く植え付けるわけである。そして主人公が「誰かに操られているような」感覚に陥りパラレルリアリティ的にゲームオーバー・コンテニューを映画上に成立させる。

そうするとみんなが同じことをブログに描く。

『ゲームと映画の境界線を越えた!』。Netflixからしたら狙い通りなんだろう。さらには『ストーリー攻略!』『攻略フローチャート!全分岐一覧!』『イースターエッグ!』『裏ルート!』とありとあらゆるライターたちのゲーム的な見出し。つまりインタラクティブな映画ってそれだけの話題性があったということでNetflixすごい。

 

ただ作品としてどうなのかってのが肝心で。確かに起こりうるシーンを撮り切ってあらゆるプロットをあらゆるストーリー展開できるように構成しなければいけない労力はすごいものの、やはりどうしても本筋と関係ないチャプターがあるのは否めない。ゲームのようにキャラクターを動かす自由意思があれば攻略するために行ったり来たりを繰り返しても苦にならないが、違うエンディングを見るために同じシーンを何度も見なければいけないのは正直苦痛だ。コンテニューするたびに飛ばせないムービーを見せられるようなもんだろう。それに映画に最も求められる主人公の目的意識。映画の根本的な構成は「行って帰ってくる」こと。日常から非日常へ、そして日常へ帰ってくる。その中で主人公には明確は目的意識がある。その行動の中で試練に出会い、高い壁にぶち当たり葛藤する。それを乗り越え成長していく。確かに主人公にはゲームを世に送り出すという目的意識はあるのだろうが、主人公にとって都合が良さそうでいかにもスムーズに展開しそうな選択肢を選んでいくのもつまらない。奇抜な選択肢や展開の予想が付かない選択肢を選びたいに決まってる。しかし、大抵衝撃的な展開になるものの、やはり本筋から逸脱してゲームオーバーになり、もとの選択肢に戻ってやり直す。どうなるかわからない選択肢を選ぶのは普段映画に求める予想外な展開を楽しむことと変わらないはずなのに、エンディングに辿りつくにはある程度作品側の都合を考えながら選択しなければいけないゲーム的な攻略性が「ゲームの境界線」というワードで考えれば悪くもあるってことになってしまっていた。

とは言え、何十年も前から“選択する映画”なんてアイデアは世界中でいろんな人が思いついてきたことだと思うが、Netflixという視聴環境が正にそれをやるにマッチした環境であり、しっかり先駆者となるところがサブスクリプション界の王者たる所以。試作的・実験的な一作であるし、これでも十分な完成度だとも思う。こういった形態の作品がたくさん創造されていけば、今後カテゴライズされ、呼び名がつき新たなマーケットとなるかもしれない。これから10年先、20年先と試行錯誤がなされ技術が進化し、現代とは比べ物にならないデータ量が扱えるようになった時、映画制作としては並行世界を全て撮影するかのようなインタラクティブ型作品が登場するかもしれない。