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映画『#生きている』酷評する前に見方を変えよう。批評・解説・レビュー

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『#生きている』(#살아있다,2020)は韓国で6/24に公開され、その後Netflixを介して全世界に配信された。

 

ゾンビスリラーのこの映画の特徴は、非常に現代的な若者が主人公であることだ。ゾンビ映画の元祖、ジョージ・A・ロメロ監督(1940-2017)は自らが生み出したゾンビというキャラクターに権利を求めなかった。以降、ゾンビはあるゆる人の手で再解釈、再構築、アップデート、利用されながら映画表現の幅を広げてきた。

ジョージ・A・ロメロが言ったように、ゾンビ映画はゾンビそのものの解決に意味はなく、ゾンビが蔓延る世界の中で新たに構築される人間関係・組織、その中で引き起こされる人間同士の争いや駆け引き、またはゾンビへの価値観など、社会・宗教・哲学などあらゆる社会問題のメタファーとして描く。

 

『#生きている』の主人公、オ・ジュヌは団地で暮らす若者で、水冷式のゲーミングPCでオンラインゲームで遊び、ドローンを持っていたりと非常に現代的な若者である。

水・武器・食糧が無い状況だが、そこには強い緊迫感は無く、ただ家の中で何かが起きるのを待っているだけである。

孤独が襲い、突発的に自殺をしようとすると、キム・ユビンという可愛い女性が向かいの棟に姿を表す。この女性が非常に可愛い。

 

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ゾンビ映画では、ショッピングセンターで偶然居合わせた他人同士との人間関係が社会の縮図として描かれたり、ウォーキング・デッドのように西部開拓時代からメタファーとして描く作品もあり、新感染 ファイナル・エクスプレス』では悪役として非常時の人間の醜さが徹底して描かれたりと、あらゆるメッセージ性を内包してきている。

この『#生きている』では一人の若者が、非日常に陥った時、いかにしてヒーローになり得るか?という現代の若者の心の空洞を埋めるような映画だ。

2010年代は、"個性"というものへの価値観が大きく変わっている。人は学校や会社の中で、いかに人と違い、個性を見出し、自分らしさを求めるかを追求してきた。しかし、インターネットの発展・情報化が進むと、それまで狭い世界で認識してきた「自分らしさ」とはいくらでも世に溢れていたと気づく。どれだけ個性を求めても、インターネット社会からは、"そのような人"として一括りにされるだけである。

劇中でも、生き延びて助けを求める若者はSNSに溢れている。

 

この映画のゾンビは特徴が無い。ウォーキング・デッドに習ったようなメイクと戦い方、『28日後』アイアムアヒーロー』のように生前(発症前)の記憶が残っているということ、ワールド・ウォーZのように走るが、どの要素も掻い摘んだ程度で、物語に特徴や推進力を与えるようなものでは無い。むしろ、そういった要素はご都合主義的に利用されるだけである。走る割には大群の中でも飛びかかってこないし、ゾンビの"個性"発揮したのは消防士だけである。

 

そして、彼らにとってのフィールドはこの団地の一画だけである。非常に狭い世界での出来事だ。広大な世界観や、そとの世界への希望や興味は排除され、「生き延びること」それだけが理由だ。つまり、ジョージ・A・ロメロ監督以降、数え切れないほどのゾンビ映画は生まれ、あらゆる角度からゾンビというキャラクターが利用され社会風刺してきた今日に、映画史にとって重要な個性を持ったゾンビ映画を創ることを最初から目指していない。普通の若者が小さな団地だけで奮闘する。容姿の整った男女が出会うが、恋に発展もしない。ゾンビが蔓延る世界の中とはいえ、映画界の出来事としては日常的で普通なのである。

 

若い世代が普通であることを認めている現代に、どんな非日常的な普通があるか?

そんな、普通の映画であった。でも、この普通さが時代なのである。研究者、政府関係者、専門家、警察官など、物事の中心にいない一般人が主人公であり、精神的にも身体的にも頭脳的にも普通である。ゾンビ映画としても、ピックアップできるような新鮮さもない。携帯やインターネットが使えないことも、世界が終末化に向かっているならば普通のことである。コアな映画ファンは、物足りなさでいっぱいになるだろう。ゾンビ映画とは、もっと絶望的で、醜くて、無情な世界だと。しかし、そんなものをこの映画は求めていない。

世に出た無数のゾンビ映画の中でも、多大な影響を残してきた作品がある。そういった映画が創ってきた土台を借りて、ありふれたゾンビ映画を撮っているのだ。映画としての前衛的な個性は求めず、若い世代が、自分と重ね合わせることが簡単なキャラクターとバックグラウンドで、"今"のゾンビ映画、それもある一画の小さな出来事をジブンゴトとして描いた作品である。