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モノとポップカルチャー、それっぽく言ったりたまに爆ディス

何故サウナは若者に受け入れられたか?という考察

ミーハーを考察する記事を書いている途中で、サウナの流行とは何なのか?を考えはじめたら、先にこっちを書きたくなった。

2020年代の幕開けと共にコロナ時代に入ると、若者だって予防・免疫なんて言葉を嫌でも耳にし、口にするようになっている。多分、間接的に健康でいることへの関心は高まっていて、若者なら寝不足で“飲み・食い”して思い出を作るのがなんぼでしょってのが、どうやらうまくハマってない。いや、渋谷や新宿ならそんな若者はいくらでもいるが、ファッション的な感度が高くてサブカルチャー好きで経済的にもまぁまぁ余裕がある20〜30代こそ、サウナとかスパイスカレーとか言っている気がする。ミーハーの話になりそうだが、サウナはどうしてユースカルチャー化したのかを考察したい。

 

“サ道以前、サ道以後”

まずは流行っている理由について、上澄みの部分だけ先にピックしておくと『サ道』『サウナイキタイ』の二つがブームの大きなきっかけだったことは間違いない。

サ道はサウナをテーマにしたエッセイである。やがて漫画化され、さらにドラマ化となる。

一気に認知度を上げたのはドラマ化(Netflix,2019)だろう。

この若年世代への火付け役となった『サ道』のドラマ版は、『孤独のグルメ』のようなスタイルで主人公の独白と共に全国のサウナをめぐる。

訪れるサウナをレビューしながら、サウナ→水風呂→外気浴というルーティンから、汗流しカットやおしゃべりなどのマナーにも触れ、how to サウナそのものだ。さらに“ととのう”というサウナ特有のリラックス状態の言語化も達成し、これはサウナを知らなかった層への究極のリーチ方法になったと言える。

『サウナは汗かくところ』みたいな漠然とした認識から、“サウナとはなにか?”のアンサーとして決定的なものとなった。

サ道以前、サ道以後と言われるほどに影響を与えたのだ。

“ととのう”というキラーワードは、漠然として良くわからなかったサウナにシンプルな目的意識を生み、あれこれどんな効能や医学的効果があるとか、そういった説明を省いて「おまえ、ととのうって知ってる?」と、それだけで広まる。発明である。

しかも、確かに“ととのう”というものはある。自分が知らなかった種類の快楽がそこにあった。やましくもないし、如何わしくもない。確かにあるから、誰かを誘いたくなる。

「おまえ、サウナ行ってる?え?ととのうって知らないの?」

 

そうして、サウナはたちまちユースカルチャー化してきた。

 

2018年にオープンしたwebサイト『サウナイキタイ』はサウナ情報をまとめたサウナポータルサイトである。サ活に片足だけ使っただけのミーハーを、一気にサウナ愛好家へと導くため、マイナーメジャー問わずとてつもない情報量で大量の玄関口を用意している。ユーザー評価もわかりやすく、UIも使いやすくデザインも現代的。長きに渡りおじさんカルチャー止まりだったサウナが、なんだかクリエイティブに思えてくるのは、塊根植物ブームの火付け役となった『BOTANIZE』のように、渋い文化もクリエイターが手掛ければ、“いまツウなもの”化していくのだ。

他にも若者の入口として多かったと思われる、フリークスストアのサウナ関連アイテムの参入もある。サウベニアというサウナ館内着ブランドを展開し、極楽湯や黄金湯とコラボしたアイテム等を展開している。Twitterで少し検索してみたら、「フリークスのサウナウェア、めっちゃととのう。サウナ行ってみようかな」なんて読んでしまって結構引いたのは言うまでも無い。

SNSとコロナ

SNSが若い世代にもたらした価値観の変化は”ノームコアとは何だったのか。 - スグループ”で書いたが、サウナブームにはノームコアという概念が密接に関わっているように思える。記事の中ではキーワードとして「こうでなきゃだめという同調圧力、こうあるべきという固定概念からの解放」、そして「もっと自由であるために、人と違うことを探すのではなく自分にとっての普通を探す」と書いた。この記事では価値観の変化を真面目に考察しているが、サウナのユースカルチャー化という面においてはもう少しライトだ。

『自分にとっての普通が世間的には少数派であるが、一定水準以上の認知度があるものにオシャレさを感じる』という傾向があるように思える。

簡単に言うと、“生きていく上での自分らしさや個性”みたいなウエイトのある葛藤から、マイノリティっておしゃれだよねって感じのライトな領域である。

また、サウナは銭湯に行く程度の難易度だからこそ敷居が低く『自分にとっての普通化』しやすい。

サウナのようなクローズドなカルチャーは、まさにそれに当てはまるのではないか。23区に住んでいても、その辺のサウナが爆混みするような状況でもない。だけど、にわかに流行っているよねという話はよく聞く。藤原ヒロシのように新しいモノを一早く掘ってそれが5年後に流行るみたいなことはできなくても、『知らないの?俺は知ってるよ』みたいなことが現在進行形でできるのだ。さらにコスパもいい、情報も揃う。健康にもいい。

SNSは個性という概念を塗り替えた。自分の個性だと思っていたものはSNSで検索すればいくらでも同じような人がいて、自分よりも極めていたり自分よりも困っていたりする。自分の個性だと思っていたものなんて、なんでもない。でも、それで自己評価を下げるのではなく、そういったコミュニティーの中に浸かってしまえば途端に気持ちが良い。

若い人であんまりやっている人は少ないけど自分たちにとっての“普通”としてライフスタイルに取り入れてしまえば、そういう仲間がいれば、それってオシャレじゃない?

 

ノームコアという概念踏まえると、全国的に大ブームになるようなものは生まれない時代である。局所的(場所ではなく層)な流行というのが、世代・趣向・性別・ライフスタイルごとに発生している。言い換えれば同じカルチャーを好む者同士は、同じようなライフスタイル、仕事や生活圏であることが多いのではないか。

 

次から次へとユースカルチャーしていく古い価値観

日本におけるサウナの起源は1956年の銀座6丁目「東京温泉」。思えば純喫茶や塊根植物のような文化は、現代のクリエイターたちによってブラッシュアップされ再提案されている。サウナは”オロポ”に始まり“サ飯”というゾーニングも提案され始めている。集まって騒ぐより、黙ってととのうのはコロナという観点からある意味で言うと、追い風だったのは間違いないだろう。ソロキャンプブームと掛け合わせたテントサウナ。若者文化からはほど遠いスナックがフックアップされそうな流れもある。思えばシン・ゴジラだってそうではないか。カセットテープもサブカルチャー化している。昭和レトロ自転車のジュニアスポーツやロードマンも注目されるかもしれない。

ある程度は歴史に裏付けされた文化でなければ、リブート的再構築は成功しない。そして時代とのマッチングも重要である。人々が感じていることと景気。サウナは2010年代以降SNSの発展と共にサウナーたちのコミュニティを少しづつ拡大してきたが、その成長度と時代がまさに今ドンピシャだった。