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ダウン症バービーは社会に何をもたらすのか?

“バービーと同じ体型を持つ可能性は10万分の1”

 

バービーといえばウエストが細く化粧をし、真っ直ぐなブロンドヘアーといったイメージが強い。バービーのような体型を持つ可能性は10万分の1らしい。

かつてから多様性を表現していない、非現実的な美意識を広めたと批判を受けてきた米マテル社は、2016年『Curvy Barbie』『Tall Barbie』『Petite Barbie』を発表した。曲線美・高身長・小柄といった現実的な人々の表現は称賛された。その後も様々な人種の肌色を表現したり、補聴器・車椅子・義足といった商品もリリースされた。そして2023年、米国国立ダウン症協会と協力して発表されたダウン症バービー。同協会のCEOのKandi Pickard氏はこう語る。「これは自分たちに似たバービー人形で初めて遊べる私達のコミュニティとって大きな意味があります。表現の力を決して過小評価してはなりません、これは包摂への大きな前進です」

 

人形には現実を求めるべきなのか?

 

そもそも2016年以前のバービーはアメリカの典型的な美意識の象徴だった。しかし、現実に女性がそれを表現するのは難しい。“多様性”といった言葉が広く使われて長いが、SNSのもたらす社会的変化により2010年以降、多様性を包括する運動は一気に加速している。2014年頃にバービーの売り上げは著しく低下した。当時はレディー・ガガビヨンセ、デミ・ロヴァート、クリスティーナ・ヘンドリックスなどの自然体で曲線美のある体型に美の意識が変容し始め、従来のバービーはより時代遅れになったのだ。そして冒頭で記述したCurvy Barbieに繋がるのである。

一方で、当時matel UKのサラ・アレンは「バービーは本物の女性の体を表現するものではありません。人形をまとめてみれば、人間同士の関係性に幅があることがわかります」と話す。子供たちにとって、人形は自分を反映して遊ぶ、表現である。しかし、それは個だけではなく、コミュニティや組織、友人グループなど、関係性の表現でもあるのだ。どこからか、“体型”に対する反応ばかりに囚われていたが、これが答えなのであろう。自尊心も重要であるが、自分とは違う他者を認めることも重要であると。

リカちゃん人形には不可能か。

こうみると、欧米の社会的文化はヨコ社会であると実感する。友達の輪を広げて活発的なコミュニティに属する。そこには様々な人種や特徴を持った人がいて、お互いに認め合い信頼関係を築いていく。考えてみればボーイフレンドや多種多様の同世代バービーが発売されていても、母親・父親などはいない。子供の成長に必要なのは自立自尊であるという文化が根底にあるからだろう。これがリカちゃん人形との決定的な違いである。フランス人音楽家の父とファッションデザイナーの日本人母という設定を持つ、リカちゃん人形の家庭内のごっご遊びは、タテ社会的な文化が根底にある。『言うことを聞けてえらいね、我慢できてえらいね』という従順さの教育は自立心が育たない。多様性などはるか先にある気がしてくる。実際、アメリカと違って日本は良くも悪くも変化が無い。どこの街へ言っても、大抵同じような人たちが同じような車に乗り、同じような生活をしている。反対にアメリカは変化に富んでいる。都市度、地形、気候、豊かさ、民族性、所得水準、政治的見解、世帯構成など、そもそも人と違うことが当たり前だからこそ、誰かを何かの枠にはめてステレオタイプに否定することを嫌う。言い換えれば多様性を好むのだ。

彼らは同じ世界線で生きている

ダウン症候群とは染色体が一つ多い、特徴的な顔つきがある、軽度の発達障害がある、などの常識は誰でも持ち合わせているだろう。学年に1人はいて、接してきた経験がある人も多いはずだ。しかし、いつからか関心が無くなる。社会に出れば、関わることも勉強する機会も減っていく。さらに、このご時世、自分が生きることに精一杯だ。ひたすら仕事と生活を回していくことに追われ、少ない余暇時間を何に使うかだ。映画もゲームもBBQもランニングもサウナも推し活も、やりたいことがいっぱいあるだろう。その余暇時間で、ダウン症について興味を持って勉強してみる人がいるだろうか。本当に少ないと思う。それでも、社会のどこかで、彼女、彼らは生きている。

どうやらダウン症は年間1000出生あたり1人に現れるらしい。自分の体感よりもすごく多いな、と感じた。しかし、92%が中絶されるらしい。そういうことなのか、と少し複雑にもなる。いや、中絶、それが正しいか正しくないかに答えはない。想像してみる。自分のもとに生まれようとする命が、ダウン症だと告げられたときに、中絶を選ぶだろうか。パートナーと納得してその事実を乗り越えていく自信はあまりない。でも、育てるための、人力・経済力・エネルギーがとてもかかる。自分の力で成立するのか、その自信もない。中絶するなんておかしいと、他人に無責任な重荷を背負わすことだって到底できない。興味を持つ、知る、そして考える。少しでも理解が深まれば、行動も変わる。ダウン症のバービーは、少しインパクトがあるかもしれない。これは、ダウン症の子供たちに夢を与えるだけでなく、こうして理解しようとアクションを起こす人たちが一定数いることにも大きな意味がある。社会の影に隠されてしまう子供たちに光を与えるのは、社会としてとりまく私達なのだと考えずにいられない。