KITHやアトモス、Pattaなどのコラボレーションはそれまでにリリースされていたが、流れ、あるいは決意みたいなものが大きく変わったのが2019年KIKO KOSTADINOV(キコ・コスタディノフ)との関係が始まった頃である。6作のモデルをリリースし、その後もVivienne Westwood・COMME des GARÇONSなどのビックネームコラボも実現した。2018年頃からはハイプなアイテムの全盛期で、抽選・並び・転売・プレ値・セグメントが一気に加速した時期でもある。実際のところ、パフォーマンスカテゴリーに注力するasicsにとって、ブランド全体が大きくそちら側に舵取りすることはブランド理念としても一致しないことだからnikeやadidasに埋もれていたことは否めない。それでもいくらか上品で、生活水準とファッション感度が高い層にマッチしているデザイン性は確実の現在のasicsのポジションに繋がっている。
2023年のBRAIN DEAD×GEL NIMBUS 9は“ゲル・ニンバス”がASICSアーカイブのアイコンモデルの一つであることを明確にしたと言える。2007年発売された同モデルは高機能ランニングシューズとしてデビューしたが、そのデザイン性はまさにヴィンテージスニーカーの再評価の流れにぴったりだ。NYのヴィンテージストア「Procell」の設立者ジェシカ・ゴンサルベスや熊谷隆志"氏のWIND AND SEAなどにフックアップされている。
GEL-NYC
new balanceのテディ・サンティスが550をフックアップし成功を収めた後に、2010年のM2002の準復刻としてリリースされた2002シリーズのように、ソールスワップやアーカイブデザインのマッシュアップはベターな流れだ。GEL-NYCというスタイルネームだけで唆られるが、主に3つのアーカイブをマッシュアップしたGEL-NYCはかなり完成度の高いデザインでスポーツスタイルミックス、シルバースニーカー、トレイルミックス、あらゆるスタイルをデザインできそうである。
インラインとして発売されているが完売はかなり早い。そもそも流通足数もNIKEやNBと比べると少ないだろうが、抽選はされず手に入りにくいが、情報を把握していれば苦労はせず変える、楽しい領域である。アッパーのデザインのベースはGEL-NIMBUS 3でさらに2021 GEL-MC PLUS Vのパーツを追加している。
2000年代初頭に登場したGEL-NIMBUS 3をデザインのベースとして、2021年に登場のGEL-MC PLUS Vのカラーや素材などのさまざまな要素を組み込み、ASICSアーカイブの象徴的な特徴を受け継いでいる。
327や5740からそういった企業戦略は動き出していたが、決定的にしたのは2002Rの発売からだろう。古典的なモデルを現代的にアップデートし、アジア製で比較的価格を抑えSNSマーケティングプロモーションする。様々なブランドとタッグを組みながら、パートナーシップを結んだAimé Leon Doreと繰り出されるコラボレーションモデルは遂にNIKEを射程圏内にしている。
アーカイヴの正しい発掘
Aimé Leon Doreのテディ・サンティスはNIKEのようにアーカイヴをブランド化する方法を知っていた。例えば、550は今まで全く興味を持たれなかった、いわば墓場に埋まったままのバスケットボールシューズだった。当時も全くヒットしていない。しかし、Aimé Leon Doreのテディ・サンティスの発掘により、世界中で最も人気のあるスタイルとなった(日本ではそうでもない)。550と同じスタイリングをしたReebokのクラブC、adidasのFORUM、NIKEのAIR フォース1を思い出してほしい。これらは80年代を代表する、ファッションにおいて最も汎用性の高いヴィンテージなシルエットだ。レーニアはアーカイヴの復権の2つめにあたる象徴である。
もはやニューバランスをやらせればAimé Leon Doreに失敗は無い。NIKEが得意とするようにアーカイヴを如何に価値あるものにするか、確かな段階を踏みながらAimé Leon Doreが掘り返した“レーニア”にはH710の品番は無い。過去の平凡な実績を払拭するにはこの象徴的なナンバリングを撤廃することは不可欠だっただろう。
ピッグスエードでオリジナルよりもクラシカルな雰囲気を装ったレーニアは、確かにファッションとして現代的である。実際のところスニーカーヘッズというよりは、ファッション感度の高いコア層にピンポイントで向けている。この層は、スニーカーだけでなく、マルジェラのブーツもプラダのスニーカーも、グッチのビットローファーも履く。素材とサイズ感を追求する彼らこそ550を支持している。スニーカーリセールも下降気味な昨今にAimé Leon Doreが仕掛ける戦略はNIKEを凌駕するハイブランド化かもしれない。
アメリカではオッサン靴のイメージから抜け出せない2010年代前半。一方日本ではUA栗野氏やPOPEYEを始めとしたファッション提案、あるいはMADE IN USAフリークの心を掴んでいて、“知ってる人は知ってる良い靴”として、ある程度ストリートでも需要は広がりつつあった。それでもNIKEのように、ビッグネームコラボやハイプビーストに括られるようなシグネイチャーもこれと言って無く、思い出せるのは衣料量販店ジェイクルーとのM1400別注カラーくらいだ。
そして、何よりニューバランスの今後を変える象徴的なモデルは2002Rである。2010年以前からのnew balance信者は”MADE IN USAアーカイヴの復刻があるのか無いのか”尽きるが、置き去りにされたままのM2002はどうするんだろう?と何か重要な発表を心待ちにしていた。それを打ち砕くかのようにドロップされたM2002はアジア製だった。「USAじゃないの?」と疑問符を付けた人たちは古参コアファンである。彼らなら3〜4万円でも有り難がって買うだろうが、カジュアルな消費者からすれば明らかに高すぎる。アジア製でコストを抑えることは、よりマクロな視点でのブランディングに必要不可欠だった。そしてNIKEを見習うかのように、2002Rから最も顕著になったSNSマーケティング。著名人のポスト、インフルエンサー。そこに二次流通業者・botによって即座に売り切れる希少性が後押しし、カジュアルな消費者にまで魅力的に映り、ニューバランスは遂にNIKE化した。