スグループ

モノとポップカルチャー、それっぽく言ったりたまに爆ディス

30周年『TOKYO STYLE/都築 響一』時代に取り残された一冊が今の時代を語るとき

『TOKYO STYLE/都築 響一』

 

ちょうど30年前に出版された——『TOKYO STYLE/都築 響一』——。サブカル的感受性の高い人が、20代を終えて大人になった頃に開くのがちょうどいい本だ。作者の都築 響一氏はポパイ・ブルータスで現代美術、建築、デザイン、都市生活などの記事を主に担当している作家である。本書は1993年出版された個人の部屋を被写体にまとめた一冊である。もともとはアート本サイズだったが、1996年に文庫化され、2023年第14刷まで発行されている。

前書きに根本的なテーマがが書かれている。『僕らの生活はもっと普通だ。木造アパートや小さなマンションにごちゃごちゃとモノを詰め込んで、絨毯の上にコタツを置いたり、畳に洋風家具を合わせたりしながら結構快適に暮らしている。——部屋は確かに狭い。でも中に詰まっているものは結構高級品だったりする。わざと都心の狭い部屋にすんで街を自分の部屋の延長にしてしまう。そっちほうが気が効いてるんじゃないかと考える人間が、この都会にはたくさんいる。』

この本に登場する大量の“部屋”は、よくあるインテリア雑誌のようにすっきりしていて、有名なブランド家具やヴィンテージ雑貨でデザインされた状態の模範的な部屋とは全く違う。ごちゃごちゃとモノに溢れていて、それは無造作に積み重なり部屋に散乱していて、とてつもなく生活感がある。そしてどれもが東京のワンルーム。このTOKYO STYLEを思えば、いつの時代も巷に溢れるインテリア雑誌がいかにリアルと解離しているか再確認させられるのだ。そう、東京のひとり暮らしは特殊である。正直最安地区で7万〜8万出してやっとそれなりのワンルームマンションを借りられる。自分の経験では音楽家だったから音漏れ対策で鉄コンのマンションが条件だった。まったく売れてないフリーター時代で出せる家賃は5万円代が限界。そうすると、練馬区板橋区江戸川区あたりで探して築25年・徒歩10分・ユニットバス・6畳・18㎡。頭のおかしくなるような狭さである。一方、都心まで電車で1時間半程度の郊外で同じ家賃で探せば、ギリギリ3LDKに住めたりする。それでもなぜ東京がいいのか。これには明確な一つの理由なんてなくて、様々な小さな理由が複合的に込み入っているのである。そして、それは部屋に現れる。部屋にあるすべてのモノが、自分がここで生活してる因果関係を表現している。そんな人たちが大量にいる東京という都市のリアルがTOKYO STYLEだ。1993年の部屋だから、そこにあるものは結構古い。部屋の風呂やキッチンなどの設備も今の感覚では古びている。でも、根本は変わらない。全く違和感なく、これは現在も変わらない東京のリアルだと自然に受け入れることができる。それは、東京という街の本質が変わらないからなのか、日本経済における、失われた30年と言われる所以なのか。ピンポイント世代の1990年代に20代を過ごした50代はノスタルジーを感じるだろう。そう、そもそも東京実家組と上京組には決定的な価値観の違いがあって、多分だがこの本は実家組にはピンとこない、古びたただのインテリア本だ。東京で20代を過ごした、特に上京組こそエモーショナルで記憶の断片に触れてくる。あの時あの部屋に大量にあったモノはどこに行ったんだろう。あの時出会ったあの人はいま何をしているだろう。あの時の生活は自分にとって何だったんだろう。そんなことを考えながら、今その綺麗なソファーに座って、綺麗なテーブルに置いたコーヒーでも飲みながら、間接照明に当たり、TOKYO STYLEを読んでみてはどうだろうか。

GEL-NYCと非ヒップなasicsの動きを考察

売上高4.3兆円のNIKE、2.8兆円のADIDASは世界のアスレティックブランドTOP2であり、市場を食い荒らしている。その残り物を取り合ってきた多くの世界的アステレィックブランドの中でも、new balanceやsalomonのようなパフォーマンス志向のブランドがスニーカーの話題の中心になることが多くなってきた。2000年代のメッシュで機能的なパーツが配置されたシルバースニーカー(Y2K)の流行も拡大し続け、まさにASICSこそアーカイヴの宝庫ではないかと思えるが、そこまで目立つ動きはない。やはりASICSのパフォーマンスランニングシューズブランドであるという姿勢は硬く、ここ数年は厚底ランニングシューズ戦国時代にNIKEに完敗した屈辱を晴らそうと取り組んでいる。2015年頃にASICSは米国での販売戦略の方向転換に大失敗し、ブランドの輝きを失った。そういった過去の教訓、ブランドを成長させてきたランニングカテゴリーをおざなりにしてハイプ商品に取り組むことなどしない。しかし、今回のGEL-NYCのように、ゆっくりとエスカレーターのようにファッション領域にASICSが挑んでいることも事実なのである。実際のところカルト的な人気を誇るインディーブランドのルックブックやアートディレクターの足元など、世界的なファッションアイコンがASICSをライフスタイルスニーカーとしてピックアップしていることも見逃せない。近年のアシックスの象徴的なコラボレーションモデルとともに流れを考察してきたい。

Vivienne Westwood・COMME des GARÇONS

KITHやアトモス、Pattaなどのコラボレーションはそれまでにリリースされていたが、流れ、あるいは決意みたいなものが大きく変わったのが2019年KIKO KOSTADINOV(キコ・コスタディノフ)との関係が始まった頃である。6作のモデルをリリースし、その後もVivienne Westwood・COMME des GARÇONSなどのビックネームコラボも実現した。2018年頃からはハイプなアイテムの全盛期で、抽選・並び・転売・プレ値・セグメントが一気に加速した時期でもある。実際のところ、パフォーマンスカテゴリーに注力するasicsにとって、ブランド全体が大きくそちら側に舵取りすることはブランド理念としても一致しないことだからnikeadidasに埋もれていたことは否めない。それでもいくらか上品で、生活水準とファッション感度が高い層にマッチしているデザイン性は確実の現在のasicsのポジションに繋がっている。

Vivienne Westwood HyperGEL-LYTE

COMME des GARÇONS SHIRT×ASICS JAPAN S/OC Runner

KIKO KOSTADINOV(キコ・コスタディノフ) 

それまでのキコ・コスタディノフとのコラボレーションを終了した、次の動きは正式なパートナーシップ契約だった。ミニマルで洗練されアート性も富んだブルガリア出身の気鋭デザイナーであるキコ・コスタディノフは学生時代にステューシーのデザインからデザインの依頼を受け一躍有名になった。2016年に自身のブランドを立ち上げるがわず3年で世界的デザイナーとして認知されている。ASICSはそれまでにもデザイナーとのコラボレーションは行ってきたが、外部デザイナーとのコラボレーションに区切りをつけ新たなデザインチームを立ち上げキコ・コスタディノフとパートナーシップを締結した。

KIKO KOSTADINOV × ASICS UB1-S GEL-KAYANO 14 4COLORS

パートナーシップ締結後の初のモデルはGEL-KAYANO。“カヤノ”と言えば1993年に初登場したASICSで最も知名度のあるランニングシューズである。デザイナーの榧野俊一氏のから取られたスタイルネームは、これまではランニングユーザーのほうが認知度が高かったであろう。当該モデルは2008年に発売された14代目。2020年11月に発売され、ライフスタイルに落とし込まれた絶妙なカラーリングとまさに拡大するシルバースニーカースタイルである。ASICSの歴史は長いが、榧野俊一氏と言えばASICSのここ30年の歴史を作ってきた重要人物である故に、榧野俊一氏の処女作をベースにしたインラインモデルなども発売されている。

 

榧野俊一処女作GEL-EXTREMEベースのEX89

2022年にはNikeでもプレミアコラボを実現してきたJJJJoundともGEL-KAYANO 14をピックアップしている。NIKEが95やdunk、adidasがSS、NBが993や2002であるならば、ASICSの最重要アーカイブはKAYANO14である。

JJJJound x ASICS GEL-KAYANO 14

Brain Dead

LA発のクリエイティブ集団、"BRAIN DEAD(ブレイン デッド)"とキコ・コスタディノフとのトリプルーネームが発表された。2021年8月に120足限定だったゲルフラテッリは左右非対称、異素材のかなりインパクトのある一足だ。関わるデザイナー、そしてこういった一足もASICSがこれからどんなプランがあるか、ひしひしと伝わってくる。こういったアート性の高い作品的な意思表示は、今後多くのコラボレーションを生む道標になっていた。

Kiko Kostadinov×Brain Dead×ASICS GEL-FRATELLI(ゲルフラテッリ)

 

BRAIN DEAD × ASICS TRABUCO MAX "ORGANIC CHAOS DESIGN"

2021年ブレインデッドと2社で実現したトラブーコ MAX。肉厚なソールにゴテゴテしたアウトドアライクなスタイルはそもそもトレイルランニングである。本来はランニングらしい蛍光色などが多いが、ALL BLACKのインラインモデルが注目を集めていた。HOKA/SALOMON/MERREL/ACGなどを彷彿とするスタイルは新しいものを探しているニッチなスニーカーコアファンのターゲットだった。もちろん、トラブーコをファッションアイテムとして視野に入れている層はBRAIN DEAD × ASICS TRABUCO MAXを知らないわけがない。

 

ASICS GEL-NIMBUS 9

 

Brain Dead x ASICS GEL-NIMBUS 9

2023年のBRAIN DEAD×GEL NIMBUS 9は“ゲル・ニンバス”がASICSアーカイブのアイコンモデルの一つであることを明確にしたと言える。2007年発売された同モデルは高機能ランニングシューズとしてデビューしたが、そのデザイン性はまさにヴィンテージスニーカーの再評価の流れにぴったりだ。NYのヴィンテージストア「Procell」の設立者ジェシカ・ゴンサルベスや熊谷隆志"氏のWIND AND SEAなどにフックアップされている。

2022 Jessica Gonsalves×GEL-NIMBUS 9

2022 WIND AND SEA × ASICS GEL-NIMBUS 9

 

 

GEL-NYC

new balanceのテディ・サンティスが550をフックアップし成功を収めた後に、2010年のM2002の準復刻としてリリースされた2002シリーズのように、ソールスワップアーカイブデザインのマッシュアップはベターな流れだ。GEL-NYCというスタイルネームだけで唆られるが、主に3つのアーカイブマッシュアップしたGEL-NYCはかなり完成度の高いデザインでスポーツスタイルミックス、シルバースニーカー、トレイルミックス、あらゆるスタイルをデザインできそうである。

GEL-NYC(エヌワイシー)

インラインとして発売されているが完売はかなり早い。そもそも流通足数もNIKEやNBと比べると少ないだろうが、抽選はされず手に入りにくいが、情報を把握していれば苦労はせず変える、楽しい領域である。アッパーのデザインのベースはGEL-NIMBUS 3でさらに2021 GEL-MC PLUS Vのパーツを追加している。

2001 GEL-NIMBUS 3

2000年代初頭に登場したGEL-NIMBUS 3をデザインのベースとして、2021年に登場のGEL-MC PLUS Vのカラーや素材などのさまざまな要素を組み込み、ASICSアーカイブの象徴的な特徴を受け継いでいる。

 

2021 GEL-MC PLUS V

ソールは2014 GEL-CUMULUS 16をスワッピング。選定されたソールは、new balanceの2002に採用された860 V2とかなりデザインが近い。確実に意識があったように感じるが、完成したNYCはまたそれとは違う、着地感のあるデザインでアーバンスタイルにマッチしそうである。実際に履いた感触は、まさに2000年代ランニングといった履き心地でnew balanceと遜色ない。アーチが控えめだからこそ落ち着きがあり、高所得感のあるデザインである。

2014 GEL-CUMULUS 16

こうしてASICSも、パフォーマンスカテゴリーには伝統を守り注力していく一方、ライフスタイルカテゴリーでは戦略的に、でもゆっくりと認知を拡大しているように見える。ここ1年での話題性や注目度は高く、いつ爆発的にヒップなブランド化してもおかしくないポテンシャルだ。

ダウン症バービーは社会に何をもたらすのか?

“バービーと同じ体型を持つ可能性は10万分の1”

 

バービーといえばウエストが細く化粧をし、真っ直ぐなブロンドヘアーといったイメージが強い。バービーのような体型を持つ可能性は10万分の1らしい。

かつてから多様性を表現していない、非現実的な美意識を広めたと批判を受けてきた米マテル社は、2016年『Curvy Barbie』『Tall Barbie』『Petite Barbie』を発表した。曲線美・高身長・小柄といった現実的な人々の表現は称賛された。その後も様々な人種の肌色を表現したり、補聴器・車椅子・義足といった商品もリリースされた。そして2023年、米国国立ダウン症協会と協力して発表されたダウン症バービー。同協会のCEOのKandi Pickard氏はこう語る。「これは自分たちに似たバービー人形で初めて遊べる私達のコミュニティとって大きな意味があります。表現の力を決して過小評価してはなりません、これは包摂への大きな前進です」

 

人形には現実を求めるべきなのか?

 

そもそも2016年以前のバービーはアメリカの典型的な美意識の象徴だった。しかし、現実に女性がそれを表現するのは難しい。“多様性”といった言葉が広く使われて長いが、SNSのもたらす社会的変化により2010年以降、多様性を包括する運動は一気に加速している。2014年頃にバービーの売り上げは著しく低下した。当時はレディー・ガガビヨンセ、デミ・ロヴァート、クリスティーナ・ヘンドリックスなどの自然体で曲線美のある体型に美の意識が変容し始め、従来のバービーはより時代遅れになったのだ。そして冒頭で記述したCurvy Barbieに繋がるのである。

一方で、当時matel UKのサラ・アレンは「バービーは本物の女性の体を表現するものではありません。人形をまとめてみれば、人間同士の関係性に幅があることがわかります」と話す。子供たちにとって、人形は自分を反映して遊ぶ、表現である。しかし、それは個だけではなく、コミュニティや組織、友人グループなど、関係性の表現でもあるのだ。どこからか、“体型”に対する反応ばかりに囚われていたが、これが答えなのであろう。自尊心も重要であるが、自分とは違う他者を認めることも重要であると。

リカちゃん人形には不可能か。

こうみると、欧米の社会的文化はヨコ社会であると実感する。友達の輪を広げて活発的なコミュニティに属する。そこには様々な人種や特徴を持った人がいて、お互いに認め合い信頼関係を築いていく。考えてみればボーイフレンドや多種多様の同世代バービーが発売されていても、母親・父親などはいない。子供の成長に必要なのは自立自尊であるという文化が根底にあるからだろう。これがリカちゃん人形との決定的な違いである。フランス人音楽家の父とファッションデザイナーの日本人母という設定を持つ、リカちゃん人形の家庭内のごっご遊びは、タテ社会的な文化が根底にある。『言うことを聞けてえらいね、我慢できてえらいね』という従順さの教育は自立心が育たない。多様性などはるか先にある気がしてくる。実際、アメリカと違って日本は良くも悪くも変化が無い。どこの街へ言っても、大抵同じような人たちが同じような車に乗り、同じような生活をしている。反対にアメリカは変化に富んでいる。都市度、地形、気候、豊かさ、民族性、所得水準、政治的見解、世帯構成など、そもそも人と違うことが当たり前だからこそ、誰かを何かの枠にはめてステレオタイプに否定することを嫌う。言い換えれば多様性を好むのだ。

彼らは同じ世界線で生きている

ダウン症候群とは染色体が一つ多い、特徴的な顔つきがある、軽度の発達障害がある、などの常識は誰でも持ち合わせているだろう。学年に1人はいて、接してきた経験がある人も多いはずだ。しかし、いつからか関心が無くなる。社会に出れば、関わることも勉強する機会も減っていく。さらに、このご時世、自分が生きることに精一杯だ。ひたすら仕事と生活を回していくことに追われ、少ない余暇時間を何に使うかだ。映画もゲームもBBQもランニングもサウナも推し活も、やりたいことがいっぱいあるだろう。その余暇時間で、ダウン症について興味を持って勉強してみる人がいるだろうか。本当に少ないと思う。それでも、社会のどこかで、彼女、彼らは生きている。

どうやらダウン症は年間1000出生あたり1人に現れるらしい。自分の体感よりもすごく多いな、と感じた。しかし、92%が中絶されるらしい。そういうことなのか、と少し複雑にもなる。いや、中絶、それが正しいか正しくないかに答えはない。想像してみる。自分のもとに生まれようとする命が、ダウン症だと告げられたときに、中絶を選ぶだろうか。パートナーと納得してその事実を乗り越えていく自信はあまりない。でも、育てるための、人力・経済力・エネルギーがとてもかかる。自分の力で成立するのか、その自信もない。中絶するなんておかしいと、他人に無責任な重荷を背負わすことだって到底できない。興味を持つ、知る、そして考える。少しでも理解が深まれば、行動も変わる。ダウン症のバービーは、少しインパクトがあるかもしれない。これは、ダウン症の子供たちに夢を与えるだけでなく、こうして理解しようとアクションを起こす人たちが一定数いることにも大きな意味がある。社会の影に隠されてしまう子供たちに光を与えるのは、社会としてとりまく私達なのだと考えずにいられない。

 

走ること、老人になった自分を創造する。

“老人になった自分を創造する。”

f:id:sugroup:20230515011253j:image

運動公園とか森林公園にあるジョギングコースは大変ありがたい。信号や歩行者に気を使わずタイムをとってベンチで休憩する。遠くに目をやるとありえない高さまで竹トンボを飛ばす老人が今日もいた。それも3,4人と複数いることが多い。ふと左に目をやると、80歳前後の5人のお爺さんがベンチを囲んでいる。中心には一回り年下くらいのお婆さんがその場を回している。小籔千豊風に言わせれば、我覇者なりだ。オタサーの姫的なあれにも見えた。

こんな朝早く、公園のベンチに一人で座って休憩することなんてランニングを始めるまではなかった。5キロ全力で走って、良いタイムが出た朝の出来事である。止まらぬ汗がアスファルトに染みていくのを眺めながら考えた。彼らのコミュニティーは狭い。狭い世界の中で、あの年になっても自分は何者か?を探し続けている。70になっても80になっても。自分の未来を少し想像した。——お金に、時間に終われながら毎日をひたすら消費していく終わりのころ、老人になった時に自分に残るものはなんだろうか——。もう一度5キロを走ってサウナに行こう。nike runアプリでスタートボタンを押し走り始めた。すぐに自分を後ろから追い越して行ったのは全身アシックスのランニングウェアにアシックスを履いた老人だった。この人も70歳に見えてもおかしくない。自分が靴に詳しいから、履いているのがアシックスのフラッグシップ、プロ向けのMETASPEEDだってのがわかった。だからサブ3は無理でも、あの年にしてはすごいタイムかもしれない。ランニングシューズにそこまでお金をかけられるなら相当走り込んでいるのもわかって想像を掻き立てた。すごいな、あの年でも割と早いペースで走るんだな。ちょっとまて、こっちは全力5キロ走った後の2本目なんだぞ、と頭の中で言い訳する。ベンチで生産性の無い会話を続ける老人たち、小さい折りたたみのイスを持ち込みひたすら竹トンボを飛ばす老人、屋根の下でまるで意味なさそうなオリジナル体操を取り憑かれたように続ける老人より、そのどれよりも、若者を追い越していくアシックス老人ランナーがカッコよく見えた。多分、先に出てきた談笑する老人たちとも、竹トンボ老人とも、この老人ランナーとの世界線は交わらない。歩んできた人生が絶対に違う。正解不正解はない。それに自分がランニングをしているからポジショントークなのもわかっている。でも、アシックス老人ランナーの世界線のほうが、豊かな人生に見えてしまった。ランニングは行動力を試されるし、逆に言えば行動範囲を広げてくれる。旅行先でも走りに出てしまう自分が証明である。そういえば、御殿場近くにあるランニングコースはとにかく気持ちが良かった。走りきった後は、信じられないほど澄んだ空気(に感じる)を目一杯吸い込みながら、芝生に寝転んだ。汗が染みる目をこじ開けながら晴々した空を見た。脳内まで澄み切っていく。シメは木の葉の湯でサウナに入って富士山サイダーである。老いへの抵抗とか言っていたけれど、走ってさえいれば、老いた後の人生も現役なんじゃないかと考える。若いうちは、理由もなくドライブして、理由もなく集まって、それだけで楽しかった。なのに人生経験を積めば積むほど、行動には理由が必要になる気がしている。ジャガイモ買うために北海道行けるかって話で、ちっぽけな理由では小さい行動しかできないし、小さい行動で間に合わせたいから小さな理由、もしくは結果しか生み出せない。自分の体ひとつで大きな行動を生み出すには?走っているとわかるが、走るのを止める理由はいくらでも見つかる。どう考えても走る理由は走ることでしかない。でもそれが大きな行動力を生む。北海道、走ってみたいし、世の中には走るために国境を越えるアマチュアもいるだろう。走り続けてさえいれば、老後に何かを残せる気がする。それが何かはわからないけど。サブカルチャーポップカルチャーも博識高くありたい。でも、”家の近所”みたいな限られたフィールドから飛び出す自由も同時に持っておくべきだと思った。子供の頃、オープンワールドゲームにあれだけ興奮したのに、大人になった今、現実世界で縮こまってはいられない。走ることが、どこか遠くで何かを達成する理由に、ひいては老人になっても。

Aimé Leon Dore×ニューバランスのレーニアの解説『Rainier』

New Balanceが変わった数年間

f:id:sugroup:20230112005148j:image

長い間、本当の意味でダッドスニーカーだったnew balanceはここ3〜4年その見方を大きく変えた。それまでnew balanceの芸と言えばアーカイヴのプレミアムな復刻止まり。確かにUSA製で厳選された素材、究極の履き心地持つモデルは最高のスニーカーには変わりないが、他社と比べ群を抜くハイコストな価格は、ライトファン層ほど手を出さない。

327や5740からそういった企業戦略は動き出していたが、決定的にしたのは2002Rの発売からだろう。古典的なモデルを現代的にアップデートし、アジア製で比較的価格を抑えSNSマーケティングプロモーションする。様々なブランドとタッグを組みながら、パートナーシップを結んだAimé Leon Doreと繰り出されるコラボレーションモデルは遂にNIKEを射程圏内にしている。

アーカイヴの正しい発掘

f:id:sugroup:20230112005026j:image

f:id:sugroup:20230112005042j:image

 

Aimé Leon Doreのテディ・サンティスはNIKEのようにアーカイヴをブランド化する方法を知っていた。例えば、550は今まで全く興味を持たれなかった、いわば墓場に埋まったままのバスケットボールシューズだった。当時も全くヒットしていない。しかし、Aimé Leon Doreのテディ・サンティスの発掘により、世界中で最も人気のあるスタイルとなった(日本ではそうでもない)。550と同じスタイリングをしたReebokのクラブC、adidasのFORUM、NIKEAIR フォース1を思い出してほしい。これらは80年代を代表する、ファッションにおいて最も汎用性の高いヴィンテージなシルエットだ。レーニアはアーカイヴの復権の2つめにあたる象徴である。

レーニアの歴史“ルー・ウィテカー

f:id:sugroup:20230109223710j:image

f:id:sugroup:20230112011203j:image

この記事を見れば大体がわかる、がモットーなので起源から掘りたい。ニューバランスの“レーニアブーツ”は1982年誕生した。それまで実績の無かったハイキングシューズをドロップするためにニューバランスが協力を依頼したのは登山家のルー・ウィテカーである。

f:id:sugroup:20230112010531j:image

ルー・ウィテカーは世界的に有名な登山家で主に80〜90年代に活躍した登山家。特に氷河地帯を専門としており、世界でもっと危険と言われるマウントレーニアを250回以上登頂に成功している。レーニア山のガイド、そしてホテルとレストランを営んでおり、まさにマウントレーニア専門家である。そう、このモデルのネーム“レーニア”とはまさに、協力を依頼したルー・ウィテカーと共にある山の名前から取っている。

82年に『ニューバランス レーニア・ブーツ』が登場した2年後の84年にルー・ウィテカーはエベレスト、ノースコルの最初のアメリカ人登頂をガイドした。その時に履いていたのは“レーニア・ブーツ”だった。

 

“H710”

f:id:sugroup:20230109223612j:image

f:id:sugroup:20230109223619j:image

2009年に久かったレーニアはまた姿を現した。2011年頃からインラインとしてH710が登場した。日本市場でもしっかりと展開していて、2009年頃から登山ブームもあったからか、街履きとして良く見ることができた。とはいえ、比較的購買者は中年層が多く、レディースモデルとなると可愛い配色で、一般消費者向けでファッション的ではなかった。スエードでオールベージュやオールグリーンの雰囲気の良いカラーバリエーションもあったが、さほど人気が出ていた訳ではない。派生としてHS77というモデルもあった。

 

2016年の復刻

f:id:sugroup:20230109223631j:image

2016年に、割と真面目な復刻があった。オリジナルカラーで当時のレーニアそのものである。しかし全くヒットはしなかった。それもそのはずで、当時のスニーカー市場はハイプにまっしぐら、イージー、シュプコラボ、AJ、モアテン真っ只中でスニーカーヘッズは見向きもしないのは当然である。かといって2011年頃のH710を懐かしんでいる人は皆無、82年のオリジナルに思いを馳せている人も皆無だ。ここでも、大きな結果は見出せず平凡にまた姿を消す。

f:id:sugroup:20230109224453j:image

Aimé Leon Doreが再発掘

f:id:sugroup:20230112005425j:image

f:id:sugroup:20230112005813j:image

f:id:sugroup:20230112005820j:image

 

もはやニューバランスをやらせればAimé Leon Doreに失敗は無い。NIKEが得意とするようにアーカイヴを如何に価値あるものにするか、確かな段階を踏みながらAimé Leon Doreが掘り返した“レーニア”にはH710の品番は無い。過去の平凡な実績を払拭するにはこの象徴的なナンバリングを撤廃することは不可欠だっただろう。

ピッグスエードでオリジナルよりもクラシカルな雰囲気を装ったレーニアは、確かにファッションとして現代的である。実際のところスニーカーヘッズというよりは、ファッション感度の高いコア層にピンポイントで向けている。この層は、スニーカーだけでなく、マルジェラのブーツもプラダのスニーカーも、グッチのビットローファーも履く。素材とサイズ感を追求する彼らこそ550を支持している。スニーカーリセールも下降気味な昨今にAimé Leon Doreが仕掛ける戦略はNIKEを凌駕するハイブランド化かもしれない。

 

sugroup.hatenablog.com

sugroup.hatenablog.com

sugroup.hatenablog.com

sugroup.hatenablog.com

 

“1906D プロテクションパック”からニューバランスを考察・解説

f:id:sugroup:20230104223737j:image

2010年に登場したMR1906

さて、この姿に見覚えはあるだろうか。2010年にリリースされた『MR1906』。1906年創業の意味を込めたこのモデルは記念碑的モデルで当時の最先端が詰まった“ランニングシューズ”だった。まだまだ2000年代名残の残る荒いメッシュにシルバーやゴールドのパーツ。いかにもランニングシューズな出立ち、ソールにはN-ERGYフルレングス。12年後の2022年はY2Kプロダクトが脚光を浴び、ニューバランスから同年8月にドロップされたのは『M1906R』。2002Rと同じく“860V2”のツーリングにスワップされ、絶妙な現代版アップデートを遂げていた。

f:id:sugroup:20230105005048j:image

“2022 M1906R”

f:id:sugroup:20230105005122j:image

“2010 MR1906”

f:id:sugroup:20230105005101j:image

“2022 M1906R”

f:id:sugroup:20230105005142j:image

“2010 MR1906”

 

ニューバランスの躍進

f:id:sugroup:20230105131900j:image

アメリカではオッサン靴のイメージから抜け出せない2010年代前半。一方日本ではUA栗野氏やPOPEYEを始めとしたファッション提案、あるいはMADE IN USAフリークの心を掴んでいて、“知ってる人は知ってる良い靴”として、ある程度ストリートでも需要は広がりつつあった。それでもNIKEのように、ビッグネームコラボやハイプビーストに括られるようなシグネイチャーもこれと言って無く、思い出せるのは衣料量販店ジェイクルーとのM1400別注カラーくらいだ。

風向きを完全に変えたのはエメ・レオン・ドレを率いるテディ・サンティスとのパートナーシップだ。彼が目をつけたアーカイヴは次々と成功し、誰も目をつけていない、言い換えれば墓場に埋もれたままのバスケットボールシューズの550をプレミア化したのは大きすぎる功績である。

 

2002Rの成功

f:id:sugroup:20230105131845j:image

そして、何よりニューバランスの今後を変える象徴的なモデルは2002Rである。2010年以前からのnew balance信者は”MADE IN USAアーカイヴの復刻があるのか無いのか”尽きるが、置き去りにされたままのM2002はどうするんだろう?と何か重要な発表を心待ちにしていた。それを打ち砕くかのようにドロップされたM2002はアジア製だった。「USAじゃないの?」と疑問符を付けた人たちは古参コアファンである。彼らなら3〜4万円でも有り難がって買うだろうが、カジュアルな消費者からすれば明らかに高すぎる。アジア製でコストを抑えることは、よりマクロな視点でのブランディングに必要不可欠だった。そしてNIKEを見習うかのように、2002Rから最も顕著になったSNSマーケティング。著名人のポスト、インフルエンサー。そこに二次流通業者・botによって即座に売り切れる希少性が後押しし、カジュアルな消費者にまで魅力的に映り、ニューバランスは遂にNIKE化した。

“プロテクションパック”

今後発表される2つのモデルが注目だ。一つは1906R プロテクションパックである。

f:id:sugroup:20230105013116j:imagef:id:sugroup:20230105013119j:image

4色展開だが、このWHITE/BLACKは秀逸すぎる仕上がりだ。スニーカー好きのツボとして、あるモデルが時を経てパフォーマンスからストリートにフィールドを移すとき、ナイロン・メッシュからスエードになった姿で再会する時が最も楽しい。最近ではFREE RUN2もその類だった。

つま先はの膨らみや甲の高さまでボリューミーなのは、サロモンやホカ、アシックスでトレイル系が馴染んできた最近の足元事情にもマッチするし、ランニングベースの機能美をスエードにしてしまうと、途端にアーティスティックなデザインに見える。裏を返せば、これだけウケそうな見てくれをしていれば、そう簡単にこの所有欲は満たされないことも容易に想像できてしまう。

f:id:sugroup:20230105101319j:image

New Balance The 2002R  “Protection Pack”

プロテクションパックは2002Rですでに成功していて、そもそもアーカイヴからソールスワップして復活したナンバリングであること、アジア製であることも含めば1906Rは2002Rの道筋を追っている。むしろ2002には1000番代の超フラッグシップという付加価値あったが1906は、それほどの強い背景が無い。今後、2002が作ったレールで、2000年代の埋もれたアーカイヴが大きな意味を持つことが確立された。3万越えのUSA・UKを狙うコアファン、インライン・流通品番を日常使いする一般的な消費者、その真ん中を埋める馬鹿でかい市場をニューバランスが席巻するのはこれからが本番だ。

 

sugroup.hatenablog.com

sugroup.hatenablog.com

sugroup.hatenablog.com

sugroup.hatenablog.com

 

AIR FORCE1とLUNER FORCE1を解説

f:id:sugroup:20230101083654j:image

ルナフォース1が初めて姿を現したのは、2012年12月12日のこと。エアフォース1が30周記念のこの年に、現在(2012)の技術で、過去を祝うため生まれた。で、この“LUNER(ルナ)”はクッショニング素材の名前である。正式名称はルナロン。エアフォース1は気持ち程度の”エア”が入っていて、こちらはフルレングスでルナロンクッションが使用されている。

 

2012年当時は、今と違ってエアフォース1も大量のカラーバリエーションがそのへんのスニーカーショップや大手小売店にいつでも置いてある状況だ(この状況が東京で見れたのは2018年が最後)。White/Whiteのエアフォース1は、お祭りごとがあれば30%オフとかザラにあったし、そもそも定価は¥9,000だったので、思い起こすと素晴らしい時代だ。そこにルナフォース1が加わって、割と頻繁にカラー展開も増えたので、当時フォース1系列でいっぱいだったのを覚えている人もいるかもしれない。逆にAIR MAXのほうが有り難がれていて、同時期にドロップした1st,90,95のOGカラー復刻は一瞬で姿を消した。といっても、抽選も並びもない時代で取り扱い店舗も今よりずっと多かった。

f:id:sugroup:20230101111131j:image

2009年にLUNER TRAINERで搭載されデビューしたルナロンクッションは、その名の通り“月の上を跳ねるようなクッション”という売り出しだった。その後に発売されたLUNER GLIDE 3は、そのクッション性と、オーバープロネーションをカバーする機構のおかげで世界150万足の大ヒットとなったが、その後の“ZOOM” “REACT”といった新素材クッションに徐々に徐々にその座を明け渡していく。といっても2019年まではルナグライドも9代目(日本未発売)まで継続していたし思いっきり過去のものというわけでもない。このルナロンを使ったルナフォース1のブランドは日本においてはイマイチだが、本国では割とコンスタントにドロップされていた。今回2023SPでダックブーツ仕様が再びドロップされる。

f:id:sugroup:20230101135151j:image

日本では2018年にリリースがあった4年ぶりのルナフォース1で、ダックブーツ仕様は2015年9月20日にデビューしている。

f:id:sugroup:20230101111743j:image

2015年版

近年のアウトドア需要を見るとacgを掘り起こすよりも、よっぽど今っぽいこのアイテムはVANSのSK-8 MTEと同様、ハイプビーストではなくサブカルチャーに傾倒している層を射程しているはずだ。